店の営業時間を本日より以下のように変更いたします。

変更前【14時オープン、17時半最終入室/日曜定休日】

変更後【14時オープン、19時クローズ/水曜定休日】

本日、石黒荘の契約を更新いたしました。ここに移転してきて、まる11年になります。ですが、更新できるのは今回が最後になりそうです。契約期間を全うできるかもわかりません。そういう訳アリ物件であることを承知の上で引っ越してきたので、むしろ11年間やってこれたことが奇跡だと思っています。てなわけで、実店舗として存在できていることの有り難さを噛み締めながら、限られた時間を全力で走り切ろう。いつかやろうと思っていたことなどは残さずやりきろう。そんな風に思っております。皆様のご来店を心よりお待ちしております。












物語カードもHELLO//TEXASタグの縫い付けもない、純粋な古着Tシャツを売るコーナーを設けました。一律5000円です。中にはびっくりするような掘り出しモノもあるかと思います。今さら何でそんなことをするのかと言うと、「物語を書けないTシャツ」だからです。わざわざ書くまでもなくすでに価値が世間に伝わっているモノ、過去に同じようなTシャツを売ったことがあり新たに物語を書き下ろすには気分が上がらないモノ、いかにもウチらしいユルいTシャツで数年前なら普通にカード付きで売っただろうけど今のテンションで物語を書くにはちょっとしんどいモノ。そういう極めて個人的な感覚で理不尽にもお蔵入りしてしまったTシャツなのです。モノとして問題があるわけでは全くありません。むしろこっちのTシャツの方が全然良くね?なんてことが余裕であるかと思います。問題は、物語を書きたいTシャツしか売らないという阿呆みたいに非効率なシステムを作り上げてしまった僕にあるのです。3年ほど前にこの手のTシャツをとち狂って数百枚捨ててしまいました。しかし、時が経ち、はたと我に返り、何ちゅうことをしたんだ、と自分の蛮行にびっくりし、せめて今残っているTシャツは良心的な値段で売ろう。そう思い立った次第です。在庫がなくなるまでは品を補充しながら常置する予定。一見の価値はあるかと思いますよ。ご来店、お待ちしております。


 11月1日でハローテキサス、まる15年。

 これまでTシャツを買ってくれた皆様、本当に有り難うございました。あの時あの店でTシャツを買って良かった。そう、ずっと思ってもらえるよう、これからも不屈のネバーチェンジを貫いていく所存です。変わらぬご支援の程よろしくお願いいたします。

 さて、記念すべき節目なので、なんかブログで書くべきかなぁと思い、パソコン内の古い写真なんかを見返していたら、12年くらい前に書いたブログの下書きデータを発見。
 もう何年も前に消してしまったブログの文章ですが、当時の自分と今の自分が、精神的にまったく変わっていないことに気づきました。なぜ消したのか。いつ消したのか。まったく思い出せないのですが、今読み返してみて恥ずかしいと思わないし、何ならこれが15周年を迎えた今の心境に一番近いとすら感じるので、ここに復刻掲載いたします。


〜以下、2011年にアップしたブログより〜

 昨日、思いがけないゲストが店に遊びに来てくれた。


 藤崎博治さん。


 僕のかつての上司であると同時に、ハローテキサスの根底を支えるスピリッツを、これでもかと叩き込んでくれた「恩師」である。


 僕が表参道で店をやっていることは、昨年の『アカン警察』で知ったという。

 藤崎さんがわざわざ表参道に足を運んでくれるなんて、昔の僕と藤崎さんの関係ではありえないこと。それほど僕にとって藤崎さんは遠い存在であった。

 藤崎さんは、吉祥寺を中心に都内5店舗を構える老舗ライブハウス「吉祥寺曼荼羅」(1974年オープン)の鬼軍曹的人物として、その筋では有名である。
 現在は、曼荼羅グループのディレクションを行なう立場のため、昔みたいに現場で「仁王立ち」していることは少なくなったが、今も藤崎さんを慕って曼荼羅のドアを叩く「本物」はあとを立たない。


 僕が藤崎さんに初めて会ったのは、今から16年前。


 シンガー/ソングライターを目指し田舎から上京してきた僕は、プロへの登竜門として名を轟かせていた吉祥寺曼荼羅を真っ先に目指した。
 今のライブハウスは、単なる「貸し小屋」みたいに誰でもお金さえ払えばステージに立てるところがほとんどだが、当時の曼荼羅や新宿ロフトは全然違った。

 どんなにうまくても、どんなに人気があろうとも、店主が気に食わないミュージシャンは問答無用に「不合格」と切り捨てる敷居の高さがあった。

 曼荼羅の公開オーディションは、毎週土曜日の昼間に行なわれていた。
 ひとり(ひとバンド)3曲づつ、藤崎さんの前で演奏を行ない、その場で合否が下される。

 初めてのオーディションで僕はなんとか「合格」の判定を受け取ることができた。
 そのとき藤崎さんに言われた言葉は今も鮮明に耳に残っている。

「素質はある。ただ、視野が狭いね。もっといろんなジャンルの音楽を聴いたほうがいい。歌詞なんかも、もっと勉強しないとダメよ。とにかく青い。毎日1曲づつ書くこと」

 曼荼羅に出演しているミュージシャンがどんな音楽をやっているのか知りたくて、スケジュール表でオススメされているミュージシャンのライブを、僕は手当たり次第観に行った。


 そこで、鳴っていた音は、メジャーを標榜していた田舎者の僕にとって、あまりにもヘヴィなインディーズパワーの洗礼であった。


 テレビや雑誌、ラジオ、レコードショップでは大きく取り上げられることのない、孤高の音世界。


 世間の気持ちに歩み寄るのではなく、ひらすら自身の存在理由を証すために生まれる丸裸の歌心たち。


大御所系では、
高田渡、遠藤賢司、友部正人、福島泰樹、三上寛、渋さ知らズ、灰野敬二、浅川マキ、西岡恭蔵、、、。

若手/中堅では、
ゆらゆら帝国、GEORGE PIE、フラワーカンパニーズ、おしょう&レッツゴーズ、怒髪天、河童、風天、BENZO、ザ・コブラツイスターズ、スランキーサイド、ソウルジャミン、西川恭、からふうりん、月下美人、のえ、イノトモ、村山よしろう、、、。


 彼らの「表現」を前にすると、僕のオリジナル曲など、「ガキの戯言」以外の何者でもなく、もはや恥ずかしくてステージに上がる気になれなくなった。

 そして、僕は歌うことを封印した。
 牛乳屋のバイトを辞めて、藤崎さんの計らいで曼荼羅のスタッフとなった。
 それから3年半後。
 僕は突然「写真家」になりたくなり曼荼羅を辞めた。


 その後紆余曲折を経て、僕は音楽専門の出版社へと入社した。
 編集者として、国内外の超メジャー&実力派ミュージシャンのインタビューを数多くこなした。しかし、プロの彼らが、片手で数えるほどしかいない客の前で演奏するアマチュアのミュージシャンたちよりもアーティストとして優れているかと言えば、必ずしもそうではない。

 むしろ、僕の評価はまるで逆だったりする。
 曼荼羅のオーディションで不合格になった、あるいは出演してはいたがスタッフ受けしていないミュージシャンを皮肉にも何人も雑誌で取り上げた。しかも、特大のページ数で。
 その度に、性格的に不器用が故にステージから去っていった本物たちの悲しみを僕は想った。


 2008年。


 8年間の会社員生活を捨てて、僕はハローテキサスを始動させた。

 僕がこの店で徹底的にこだわっているのは、「埋もれたマイノリティ・アートへの賛美」に他ならない。


 音楽からアートへ。


 アウトプット形式は違えど、根底にあるものは曼荼羅時代に培われた反骨精神である。

「食うために働くんじゃない。働くために食うんだよ」

 藤崎さんが常日頃口にしていた言葉の意味を痛いほど感じながら、今日も僕は、無言のファイティング・ポーズを取り続けている。


HELLO//TEXAS




 今週から月に2日くらい息子とふたりで店に立つことにしました。昔は週末になるとしょっちゅう石黒荘に来ては、畳に寝転がってゲームをやって遊んでましたが、ついに店のサポートができる歳になったのです。学生生活が終わるまでの限られた時間ですが、こういう日が来るまで店を続けられるとは正直思っていませんでした。皆さま本当に有難うございます。一発目は今週の69日(木)。息子が立つ日は基本的に木曜日になります。


 あと、ハローテキサスのタグ付けをやっている僕のカミさんも月に一回、どこかの土曜日に店に立ちます! カミさんと夫婦で立つ日は、13時オープン、19時クローズといたします。初の夫婦営業は618日(土)。


 2008年の開店以来、「店は戦場」と頑なに一人で店を守ってきましたが、散々つっぱり通して、もはや倒さねばならない敵とか舐められたら困るライバルなんかがいないんですよ。ってか本当は敵なんて存在しなくて、全部、自分自身の心が作り上げた妄想だったんだよな、、そう今は思えるんですね。もう、十分やろ。フツーに店やったらええやんけ、と。月に二日は親子、月に一日は夫婦、月に20数日は一人で。しばらくは、そういう体制でやってみようかと思います。常連さんにとっても新しくご来店するお客さんにとっても、ありのままのハローテキサスを体験できるスペシャルな日になる事は間違いありません。是非、気軽に遊びにいらして下さい。家族一同お待ちしております。


 なお、今後はインスタのストーリーとか投稿のコメント欄で息子とカミさんが在店する日をお知らせします。


ハローテキサス