先日、今年のわんにゃんのツアーがファイナルを迎えた。
今年のわんにゃんのツアーでよく隣にいたのは、去年までとは違う人物だった。
どちらも私にとって本当に特別な人で、尊敬もしているし、居心地がいいし、私が今の私になるうえで欠かせない存在だ。
ファイナルが終わったその場で、彼女は私に涙ながらに話してくれた。
「去年かおととしか、手紙をくれたでしょう。そこには“私たちにはそれぞれの世界があって分かり合えないと思う。でも大切にすることはできる”って書いてあった。当時の私は分かり合えないんだ…ってショックで返事を書けなかった。でも私が私の大切な人と大切な時間を過ごしているとき、それを話した中で唯一なのこだけが泣いてくれた。自分でもなんて馬鹿なことしてるんだろうって思ってたけど、それに支えられた。大切にしてくれてありがとう。」
手紙を書いた覚えはあった。内容はあまり覚えてなかったけど。
でも「分かり合えないけど大切にすることはできる」それはたしかに私の考えだった。だからきっと書いていたのだろう。そして私はそれをちゃんと実行していたらしい。私も涙を流していた。言葉は出てこなかった。うれしさと照れくささの混じった短い笑い声だけがこぼれた。
去年までよく隣にいた彼女からも、特別な言葉を聞いたことがある。
何気ない会話の中で、彼女は「私たち、定年したらもっと自由に楽しんでそうだね」と言った。
私にとって、彼女にそんな風に遠い未来のことを想像させることができたというのはものすごく大きな、衝撃的なことだった。
彼女は30歳になったらしぬつもりでいたという。親にも言っていたと。
私も、そこまで明確に自分の命の期限を考えてはいなかったけど、そんなに長生きするつもりもないし、人生の先のことを考えて生きるのではなく、いつしんでもいいように生きようと考えてきた。
そして私たちに共通していると思うのは、来るもの拒まず去る者追わずなところ。離れていくならしょうがない。終わりが来るのはしょうがない。そんな感覚をもっているように思う。
だから私は、こんなに楽しく心地よく過ごしていても、私たちの大切な人たちが終わったら、この場所がなくなったら、ふっと夢みたいに終わってしまうのだろうなんて思っていた。
彼女とはほとんど一緒だと思っていたから、彼女もうっすらそんな風に思っているとばかり思っていた。
私は彼女に未来を見せられた。未来を信じさせられた。私との未来を。
今どう思っているのかはわからないけれど、彼女にあの一言を言わせたのは、私にとってすごく誇らしいことである。きっと一生忘れないだろう。
なんて言ってても人間の記憶なんて、信用ならないので書き記しておく。
“繋がり”を、どこか信じきれてない、だからこそ信じたい、だけど怖い、
つい繋がることを避けてしまいがちな弱い私の備忘録。