いもたる いもたれ いもたると

いもたる いもたれ いもたると

浪人生活の日々を記録してました。
その役目を終えた今、
リア充のキャンパスライフ日記へと
姿を変えたのであらまほし

と思う携帯販売事業者

何でchillな気持ちになってるかというと、

今日は娘が早々に寝たので、久々に耳にイヤホン突っ込んで

音楽聴きながら簿記の勉強してたんですよ。

 

そしたら流れてきた曲がベボベのchangesで、

それはもうとんでもなくチルチルのチルになったのです。

 

 

10年前、大学受験時代によく聴いていた曲だったので、

「夜にイヤホンで曲聴きながら勉強している」シチュエーションが重なり、当時の感情が一気に蘇った訳です。

 

 

「過去は美化される」とはよく言ったもので、

今となっては受験勉強の辛さなんて微塵も忘れて、

何なら浪人時代は楽しかったとさえ思う自分がいます。

(当時のブログを見返せって話よね)

 

でも何だかんだ本当は楽しかったのかもしれない。

受験云々は置いといて、とことん自分自身に向き合える時間はあの時ぐらいしかなかったと思うし、「何かを理解する」という営み自体は好きだったので、人生の全てを「勉強」に費やすことができたあの時間は本当に貴重だったと思う。

 

その後の大学時代も、あらゆるプレッシャーから解き放たれて自撮りをTwitterにアップするような自己肯定感爆上がりお兄さんの時もありましたが、それはそれで楽しかったんだろう。

 

今はどうなんだいと聞かれたら、

「や、やれなくはないよ…こんなおじさんでもいいの…?」

という感情だったりはする。これはまだいけるね!!

 

 

 

という茶番は置いといて!!

こんな深夜にアメブロ書いてる理由は毎度の浪人回顧録を残したい訳ではなく。

 

 

 

ベボベのchangesにこんな歌詞があります。

 

changes さぁ、変わってく

失うものもある でもいいんです

ひとつ頷き、駆け出す

さぁ、すべてがいま変わってく

 

 

最近になって、人生って失うものがないと先に進めないなとと思いました。

就職すれば当然自分の時間は失われ、結婚すれば無責任な人生が失われ、育児が始まれば尚更です。

 

最近の風潮として、↑の失われる部分ばかりに焦点が当てられているような気がする。

仕事も結婚も育児も、どうせ自分が縛られるだけとか。

もしくは、今はそんな生活を望んでないとか。

 

 

でも失うもの以上に、得られるものがあることに気づきました。

仕事は正直ハードで辛いけど、何だかんだ職場や上司にも恵まれてそこそこのビジネスパーソン(=大人)にはなれてると思う。

 

妻と娘との生活は本当に幸せです。大変なことも多いですが、それ以上に妻と娘から元気づけられている。今頑張れているのは家族のお陰だと思う。

 

 

今のままがベストだと思うのは、当然の感情だと思う。

何なら「楽しかったあの頃に戻りたい」というのもあって然るべき感情だと思う。

 

 

でも個人的には「あの頃」のままでいたら今の幸せはない訳で。

今までの選択には何も間違いはなかったと思います。

 

(難しいのは、「幸せ」と言っている部分が精神論的な話なので、実際経験しないと理解が難しい感情であること)

 

でも世の中、全部が全部理論で語れることばかりではないと思うんです。一見無駄に見えるかもしれないことから、新しい人生の生甲斐だったり目標が見つかることもあると思う。

 

 

不安は絶対不安だと思うけど、

どっかでその不安に踏ん切りを付けて前に進むと、実は想像以上の「幸せ」的なものが見つかったりするかもね。

(見つからなかったらごめんだけど、前に進んでみないとあるかどうかすらわからんからさ)

 

 

 

 

 

 

結局何が言いたいかというと、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1歳の娘、最近すぐパパに甘えてきて可愛いんよ…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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