2013年に入って「20日間」が過ぎた。
この「20日間」、私が私のことを分かってきたからこそ、
人生というスパンで見て、もう一度最初に戻り見つめ直す時間にした。
その時間の中で考え直していた一部分をここに書き留めておくことにする。
「なぜ私は私なのか」だとか
思えば、小さい頃から「私がいるということはそもそもどういうことなのか?」
「なぜ私は私を知ることができるのか」と1人で考えていた。
「なぜ私は私なのか」ということを1人で永遠と考えていても
問いに問いを重ね行きつかないと思ったので
私以外の人の考えを見たり聞いたりした。
その人達自身にとっても「私は私」であるだろうから。
そんなことを根っこの部分に持って今まで毎日を過ごしてきて
21歳になった今、そんな答えがひとつにはならないことを
一緒に話せる人達に出逢って
そういう人達が私の周りにいてくれるということで
やっと「なぜ私は私なのか」ということに答えが出た。
目の前にいる相手に何かしたいとか
誰かの為に何かしたいとか心配をするだとか
結局は自分のエゴなんじゃないかなと思ってた。
だって私は「なぜ私は私なのか」ということを探しているベースがありながら
人の気持ちに耳を傾けているから。
でもそれは考え方を変えてみれば、私のことのように相手を思っているということだった。
まずは、自分自身のことを知らなくて相手のことを知ることが出来ないだなんて
当たり前のことだろうけど
私の場合は何かしたいと思える相手と出逢ったのなら
一緒にやらないという選択肢はないということだった。
初めからみんなで一緒につくりあげて完成したときの
しあわせは1人では感じられないもの。
結果を残しても1人で喜んでいてはつまらない。
その時には誰かが傍にいて一緒に喜びを分かち合いたい。
それが私のしあわせ。
心で感じる、しあわせはお金では買えない。
自分が100持っているのなら50をお裾分けして一緒に分かち合いたい。
だからこそ、みんなと一緒に喜びあえるような日を迎えるために
毎日を過ごしているのだろうな。
私は人のしあわせを見ることが自分のしあわせなわけではない。
自分が満たされているからこそ、人のしあわせを一緒に喜ぶ。
ただ、私がしたいことをしているのみ。
そんなことをこれからも私がちょっぴりナーバスに
なってしまった時は思い出そう。
私は私だけの為に毎日を生きているのではないから。
