訪問日:2019年5月2日

所在地:京都府綾部市高津町

訪問人数:単騎

 

参考サイト:京都府教育庁指導部文化財保護課HP、風雲戦国史

 

歴史

将監城の築城年は不明。高津城主の大槻氏一族である大槻将監が城主であるとされ、高津城の支城であったと推察されます。高津城が天正3年(1575年)の明智光秀による丹波平定の際に落城したため、将監城も同時に落城した可能性があります。

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京都府教育庁指導部文化財保護課HPにて、何鹿郡(いかるがぐん)の大規模城館群のひとつとされている城です。また、将監城は畝状竪堀マニアさんの間ではかなり有名な城らしく(ソースは小生のお城友達からの伝聞)、縄張図を見ただけでもマニア心を擽るのがわかる気がします。

 

出典:京都府教育庁指導部文化財保護課HP


見ての通り、U字型の縄張でありI〜Ⅶの郭を畝状竪堀で防御しています。Ⅷ郭が一番大きく、ここに居館があったのではないでしょうか。また、主郭の位置がよく分りませんね。最高所のⅠ郭が主郭だと思うのですが、土塁がなく北側の防御が甘い気がします。こうして縄張図を眺めていると何だかよく分からない城です。しかし実際に見学してみると、そんなことがどうでも良くなるくらいの素晴らしい遺構群が待ち構えています。

 

と言うわけで、ここから実際に訪問した時の記録を書きます。

 

登城口には看板が立っているので迷うことはありません。

 

Ⅷ郭です。看板が立っていることだし城内は整備されていたりして。。。なんて淡い期待を抱いておりましたが内部は雑木林だらけで整備されているとは言い難い状況でした

 

Ⅷ郭の西側にある壇状郭をひたすら登ります。それにして雑木林だらけのやや薄気味悪い雰囲気なので少々心細かったです

 

壇状郭を越えるとⅥ郭とⅦ郭を隔てる堀切に到着します。尾根の両脇に竪堀を設け土橋となっています

 

 

 

そしてⅤ郭〜Ⅵ郭にたどり着くと待ちに待った畝状竪堀が!!!実に美しい畝状竪堀でした!!!

 

 

 

 

ここはⅢ〜Ⅳ郭の畝状竪堀。Ⅴ郭〜Ⅵ郭と比べるとやや埋まっていますが、写真だとよく分りませんが、肉眼だととても綺麗に並んでいるのが分りました。

 

 

 

 

その後、主郭へ向かおうとしましたが薮が凄かったので、Ⅱ郭から先は見学していません。ちょっと後味の悪い撤収だったので、いつの日か再訪したい城です。

 

実際に城跡を見学した感想ですが、同じく畝状竪堀で有名な豊前長野城と縄張が似ていると思いました。にしてもここの畝状竪堀は凄いので畝状竪堀を見たい方には是非おすすめしたい城です。

 

後半は雑な内容になってしまいましたが、

以上、将監城でした。

 

 

訪問日:2020年8月22日

所在地:神奈川県小田原市根府川

訪問人数:城友さん2名と私の計3名

 

参考文献:『神奈川中世城郭図鑑』

 

歴史

後北条氏が豊臣秀吉による小田原征伐に備えて築いた要害。守備は北条氏家臣の大藤与七が担当した説がありますが実際の所は不明です。豊臣軍の山中城突破後に根府川要害は足柄城と共に放棄されました。

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ここ根府川要害は『神奈川中世城郭図鑑』の縄張図を見て行きたくなった城です。だってこのお城、あまり見たことがない縄張で一体全体どういう城なのかずっと気になっていました。しかも城跡への到達難易度が高いという記述もあるので、 お城魂が燃え、これは是非行ってみなければ!と思い立ち、城友さん達を誘って訪問することに。

ちなみに私はお城魂がある割にはチキンなので、この手の得体の知れない城には極力単騎で訪問しないことにしております。

 

出典:『神奈川中世城郭図鑑』

 

以下は当日の訪問ルートです。最初は南側からのアプローチを試みましたが藪が酷くて断念しました。仮に藪を突破できたとしても、藪の奥に採石場の痕があるそうなので、恐らく登ることは出来ないでしょう。東側からはアプローチしていないのでどのような状況なのか分かりません。というわけで西側からアプローチしたわけですが、実際に行ってみて道さえわかれば超楽勝の城ということが分りました。藪漕ぎの必要もありません。但し、停車位置より先は車両通行止めのため、城址まで徒歩で移動する必要があります。

 

停車位置から道なりに10分程歩くとカーブミラーが見えてきます。そのカーブミラーの横に林道があるので、林道に入ってひたすら北東方向に進みます。

 

ここから先は徒歩で移動

 

林道を道なりに進むと堀のような地形に出くわします。城址に到着してから分かったのですが、これは恐らく古道の痕です

 

 

 

そして更に歩みを進めていよいよ城内に。。。

 

この土塁が見えた瞬間に城友さん達と私が歓喜の声をあげちゃいました。やっと辿り着いたと。。。南側からのアプローチに失敗して既に疲労困憊だったので到着した時は本当に嬉しかった

 

土塁を間近から見る。かなり長い土塁で長塁と呼んだ方が正確かもしれません

 

土塁の越えると削平地があり、ここは古道と連結されています。もしかして関所でもあったのでしょうか?

 

そして削平地の東側に虎口もありました

 

削平地には礫石らしきものが落ちていました

 

 

縄張図を見ると城域はかなり広そうですが、藪に行く手を遮られ、ここに掲載した場所以外は見学していません。藪の向こうにはまだまだ遺構が眠っていると思います。

 

そして実際に見学したところ、ここは城というよりも古道を監視する関所のような役割を果たした場所という印象を受けました。まあ、南側の眺望も効く場所なので城の役割も果たしたと思います。

 

以上、根府川要害でした。

 

(*)後日、根府川要害を訪問した城友さんの情報によると、城址には現在、案内板が建っているとのことです。今後整備が進み、藪の奥にある遺構も見えるようになるといいですね。

 

参考記事