訪問日:2021年5月1日

所在地:山形県鶴岡市大字藤沢字荒沢

訪問人数:城友さん1名と私の計2名

 

参考文献:『山形県中世城館遺跡調査報告書』、『最上義光の城郭と合戦』

 

藤沢楯は湯田川三楯の一つ。

楯の歴史と場所については七日台楯の頁で記述したので、ここでは省略します。

 

藤沢楯の縄張

主郭取り囲むように破壊痕が残ります。そして主郭中央部に線状の溝を堀り郭を潰しています。大手と思われる南西方面を帯郭で、尾根を堀切で防御するシンプルなものです。

出典:『山形県中世城館遺跡調査報告書』

 

当日のルート

西側麓の道路に「湯殿山」の石碑があり、そこから山に入ります。途中で道がなくなるので直登する必要があります。登りはそれほどキツくありませんが、尾根道に到着すると藪漕ぎする必要があります。

主郭を見学後に大手方面の連続帯郭から降りたかったのですが、藪で見通しが悪かったため、今回は見学を諦めて元来た道より下山しました。

 

湯殿山の石碑

 

尾根に到着後、南東方向に進むと縄張図Bの三連続堀切が見えてきます。

形がはっきりしているのは一本のみで、他2本は土が堆積してかなり埋まっていました。

 

三連続堀切を超えると主格の切岸が見えてきました。

この切岸は斜度が垂直に近い急勾配なので三連続堀切側からよじ登るのはほぼ不可能です。主郭の西側に回り込むと傾斜がやや緩い場所があったので、そこからよじ登りました。それにしても主郭に行くのがかなり大変でした。

 

主郭に聳える大木。我々の侵入を阻むかのように聳え立っていました。

樹齢は500年近くあるのではないでしょうか。

 

そして頑張って主郭まで登ると、そこには無数の破城痕が!

かなり明瞭に残っていました。

 

七日台楯、石堂山楯で見られた郭をミンチ型の破城とは異なり、郭を取り囲むように切り刻まれています。

 

 

破城痕が波打っています

 

 

 

主郭の破城痕を見学した後に下山しました。

 

七日台楯、石堂山楯とは異なる趣の破城痕でしたが、城の占有面積が一番大きい部分を切り刻む方式は他の二楯と共通しています。

他の二楯はこれでもかというくらいに郭、または尾根道がミンチにされていましたが、ここ藤沢楯は郭のみミンチされており、主郭と同様に駐屯スペースとして使用されるであろう、連続帯郭がミンチにされていないのは不自然に感じました。

まあ、連続帯郭を実際に見学した訳ではないのでなんとも言えませんが、、、

今回は連続帯郭を見なかったので、いつか再訪して見学したいです。

 

以上、藤沢楯でした。

 

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