医者の見立て | hello-candy-candyのおかりなブログ

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ひねもす土の音(オカリナ)の響きに興をもよおせど、しばし徒然なるままに由無し事を綴りけるなり。

 

 1日1曲ずつオカリナを演奏しています。

  今日の曲は「心の瞳」です。

 

 

   21日のこのブログでコロナ検査を受けて陰性であることを確認したことを書いた。その後、のどの調子は悪くもなっていない代わりに、良くもなっていないような気がしている。当初の予想では今頃はもう回復しているだろうと期待していただけに、今日もこの調子だと、週明けまで持ち越しそうだ。となると、仲間にも迷惑をかける。と思って、別の医院に行ってきた。

 

 我が家の近くには徒歩5分程度のところに二つの個人医院がある。一つは、30年ほど前に開業している老医師の医院で、もう一つは5年ほど前に開院した50前後の医師だ。以来、私は後者に通うようになった。取り立ててそうした理由はない。単に新しい方がいいか、という程度の気持ちだ。さすがに後者は、診察中もコンピュータでデータを打ち込んでいる。初心の時に奇異に感じたのは、全く触診したり、のどを目視したり、血圧を測定したりしないことだ。患者である私に触れるような診察は今日まで一度もない。すべて、問診のみだ。血圧も自動測定器が計測したデータを見る程度だ。私は、それが近年の医者の常識なのだろう、くらいに思ってはいるが・・・。

 

 今日思うところがあって、久しぶりに前者の医院へ行ってきた。医院内の椅子や内装、雰囲気も相応の時間差を感じる。

診察室に呼ばれて、来院の目的や症状の経緯などを話す。それを聞き取りながら手書きで診察表に記入するという、昔ながらのやり方だ。それからのどの具合を目視し、聴診器で胸の鼓動を確認し、血圧計で血圧を測定された。いずれも特に異常は見当たらないとのこと。

 

 医院を出るときに、やはり診察後の安心感が違うなぁと思った。医師自身が、患者の自己申告だけをうのみにせず、自らの五感も動員して患者の異常の原因を読み取ろうとするか、患者の症状の自己申告だけで、簡単に原因を診断するかの違いは大きいのではないか。真の異常の原因を見落とし、表面的な症状だけで判断する懸念はないのだろうか。私なら、出来るだけいろんなデータを収集したうえで、風邪なら風邪という診断を下したくなるのだが、最近の医師は、何か別の考えがあって、触診等は気休め程度の役しか立たないと考えているのだろうか。

 

 今回ちょっとした気持ちのはずみで、同じ症状で、二医院を受診した経験を顧みて、一度医師に聞いてみようかなと思う。聞き方は難しいが。



▼Myオカリナ演奏

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心の瞳