謙虚に第三者の意見を聞く | hello-candy-candyのおかりなブログ

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ひねもす土の音(オカリナ)の響きに興をもよおせど、しばし徒然なるままに由無し事を綴りけるなり。

今朝、起きたら一瞬、カラッとしたさわやかさを感じた。そうか、なんだかんだと言っていた8月も、もう終盤か。そういえば、夏、夏、夏、夏、ココナッツ・・・と歌っていた杉山清貴さんは今どうしているのかな、とあれこれが思い巡った。

 1日1曲ずつオカリナを演奏しています。

  今日の曲は「椰子の実」です。

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   かつて社内報に拙文を寄稿したことがある。自分なりに文章を推敲してから原稿を係の人に提出した。が、校正された原稿には、なるほどと納得できる修正意見が多数あった。誤字脱字に加えて、意味が重複した文や、二通りに解釈できる文などの指摘があった。その時初めて校正係の大切さを知った。見直し後の文章は、確かに贅肉が取れ、すっきりとした読みやすい短文になった。

 

  世の中には、文芸批評家とか美術批評家という人がいる。私はずっと批評即ち批判する人であると誤解していた。読書感想文と批評文の違いが、読後の好き嫌いを含む個人的感想と、書かれた内容についての分析や類似作品との比較などの学問的研究との違いということも最近知った。作品について仮説を立て、それを事実やデータによって考察し、第三者にも納得できる結論を得るという、実に専門知識が豊富でないと務まらない仕事だ。文を読みやすくするために、校正する人が不可欠なように、文学や芸術の発展には、芸術家の独り善がりではない、客観的な視点を持った批評家の力が必要だ。

 

  かつて、日本学術会議のメンバー承認を巡って菅元首相の姿勢に批判が出たことがあったが、第三者の意見を聞く度量のない独善的な人だと、その本根が白日の下にさらされる出来事があったのを記憶している。岸田首相も聞く力ということを殊更強調したために、かえって、言ってることとやっていることの違いが浮き彫りになるという、示唆に富む教訓を残した。

 



▼Myオカリナ演奏

椰子の実