武者小路実篤著「人生論」(昭和13年) | hello-candy-candyのおかりなブログ

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ひねもす土の音(オカリナ)の響きに興をもよおせど、しばし徒然なるままに由無し事を綴りけるなり。

 1日1曲ずつオカリナを演奏しています。

  今日の曲は「サン・トワ・マミー」です。

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  人生論の著者から垣間見える時代の変化

 

 かつて人生論と題した本は何種類もあった。昔の大作家は大抵「我が人生論」という著書を残している。が、今はそうした大上段に構えた本は、大仰すぎるせいかあまり見かけない。人生は複雑化し、一言で語れるほど単純ではないという認識が広がっている上に、語れる大家もいない。瀬戸内寂聴さんぐらいか?今、本屋に並んでいる本を眺めると、人生論らしき本の著者としては、養老孟司、曽野綾子、五木寛之、稲森和夫、和田秀樹あたりが目に付く。何んとなく、内容が透けて見える気がする。

 

  若い人に武者小路実篤は知られている?

 

 かつて青年期に首題の本を読んだ。偉い人の訓話に似て、わかったようなわからないような読後感が残った。歳月を経て、今や著者が同書を書いた50代をはるかに超える年齢となった自分が、人生論を書くとしたらどのようなことを書くだろうか、との興味から半世紀ぶりに同書を再読した。
 人生の目的は、正しい仕事につき、よく働き、もって社会の前進に寄与することである。お金に対する欲には際限がないので、生活に必要なだけあればそれ以上を求めることは不道徳である。道徳は人間だけが持つ最高の規範であり、道徳に則った生活をすべきだ。人間を創造した自然の意思を感受し、自然の摂理を道しるべとして、正しく生きること。恋愛は良き子供を産むための崇高な自然の采配であり、結婚に至ってその目的を達する。結婚後はより落ち着いた男女の愛情に進むべきだ。子供を産み育てることが人としての大きな使命の一つである。と、いずれの助言も今となっては、突っ込みどころ満載の、古い考え方に基づいていることが良くわかる。

 

  時代が変われば、人生論も変わる

 

 やはり人生論というものは、その著者の時代を背景にして書かれるものだなぁとわかる。未だ世間知に染まっていなかった自分は、無条件に著者の語る人生論の考えをまずは自らに当てはめようとしていた。純真だったといえば、その通りだった。そうした考えは、恐らく自覚出来ないほどの基層に今でも染みついているはずだ。人間はそうやって生まれ育った社会の規範を受け継いでいく。

 逆に言えば、同書から現代が読み取れるとも言える。働くことの意味、お金に対する考え、人間という存在への思い、男女の違い、恋愛や愛情に対する考え、などについて現代では多様な見方があり、とてもではないが、こうあるべきだと一筋縄で人生を論じることなど、私にできないことだけはわかった。



▼Myオカリナ演奏

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サン・トワ・マミー