宗教に心惹かれるが入信したことはない。若い頃はだれでも、多かれ少なかれ生きることの意義を自問し、悩み、迷う。学校や周囲の友人や大人たちや本などを頼って、問うたり、調べたり、相談したりする。が、求める答えは得られない。そんな自問を繰り返しながら、人は成長するものだと今はわかる。
だが、人は一人で生きていけるほどには強くない。とくに、人生経験の少ない若いものや、悩みを抱えている人にとっては、そんな悠長なことは耐えられない。早く明快な答えが欲しい。ここに宗教の必要性がある。宗教は、簡単に答えを提示してくれるものから、一緒になって答えを探す仲間になってくれるものまでいろいろある。
悩みが深ければ深いほど、その有難味も増すというものだ。宗教をありがたく思える理由のひとつは、同行の仲間がいるという心強さ、安心感だ。ついには自分が実感しているこの実践のすばらしさなり信条を世の中の人たちにも是非とも味わってもらいたいと思うようになる。
金銭の多寡が宗教と仲良しクラブの分かれ目
朝のラジオ体操会ですら、自分が健康になったことを実感し、仲間が増えるにつれ、さらに仲間を拡げたいと思うことを止めることは至難だ。ついには、ユニフォームを揃え、一緒に旅行したり、ゆくゆくは不動産施設まで共有したくなるなどという事例は自然であり、止められない。
宗教の勢力拡大も基本的には同じだろう。そこにボス的な仕切り人が絡むと変な方向に行く可能性が生じる。だが、やはり金銭面の多寡と取り扱い方が判断の分水嶺だと思うが、たぶんそんな冷静な判断ができるぐらいの悩みならば、そもそも宗教に入信しないか?
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