脳で記憶したものは50年も経てば大半のことは忘れるけれども、体で覚えたことは忘れないものだ。40年ぶりにスキーをやった友人の話より。
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1日1曲ずつオカリナを演奏しています。 今日の曲は「夢をあきらめないで」です。 このブログの最下欄にリンクが張ってあります。
漠然と覚えていた数え唄の本意を知る
数え唄、てまり唄として有名な、「一番はじめは一の宮」がある。私の微かな記憶にある歌詞は、一番はじめは一の宮、二は日光東照宮、三は佐倉の宗五郎、四は信濃の善光寺、五つ出雲のおおやしろ・・・と十まで続いたのち、さらに次のように続く。これだけ心願かけたなら、浪子の病も治るだろう、ごうごうごうと鳴る汽車は、武男と浪子の別列車、二度と逢えない汽車の窓、鳴いて血を吐くほととぎす。 過去の感動とは違う印象の理由
これまで3回読み、毎回、クライマックスの列車のすれ違いの場面では、涙で文字が滲んだものだった。が、今回、いよいよ涙の場面が近づくと心の準備していたが、以前ほど感動しなかった。もはや加齢で感受性が退化してしまったのだろうか。 そうではなく、50年前と現在の読者としての視点の違いによるものだ。かつて読んだのは主人公の二人と近い年齢だったので、列車が離れていくシーンは、自分がその当事者の気持ちで読んでいたので、その時の切なさが共感できた。 しかし、今回は父中将の立場から娘浪子の辛さを受け止め、浪子を不憫だと思いながら読んでいる自分に気付く。なるほど小説も再読するたびに別の面が味わえるということだ。
記憶の大半は洗い流され忘却の彼方へ
もう一つ愕然としたことは、始まりの伊香保の場面と、クライマックスの列車のシーン以外は、50年を隔てて私の記憶から完全に消えていた。こんな場面もあったのか、あんな場面もあったのかと、自分の記憶から完全に欠落してしまっていることの多さに今更ながら驚く。 ということは、その当時私が現実に直面した数多くの出来事も、もはやその大半は忘却の彼方に行ってしまっているということだ。ときは私の楽しかったこと、苦しかったこと、嫌なこと、悩んだことももはやその大半を流し去ってしまっている、ということに気付かされたことが、50年ぶりに「不如帰」を読んでだった。
夢をあきらめないで (岡村孝子)
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