科学技術万能の時代を生きて | hello-candy-candyのおかりなブログ

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ひねもす土の音(オカリナ)の響きに興をもよおせど、しばし徒然なるままに由無し事を綴りけるなり。

何か生きた証を残すのだ、と気負って懸命に生きてきたが、今振り返ると、もう少し遊びがあっても良かった。

自分なりにあれこれ無い知恵を絞ったつもりだが、お釈迦様の掌の上で多少動き回っただけだったような気がする。

 

  私の人生は時代の枠にはまったものだった

 

 結局私の人生は、ささやかな一技術者としてのそれだった。今からもう一度人生をやり直せるとすれば、無機質なものを相手にする技術者よりは、自然や人間により近い農業や法律あるいは医療分野が視野に入るだろう。

 だが、かつての私には技術分野以外の生き方は視野に入らなかった。なぜか。思うに、それはおそらく戦後の高度成長期という時代ゆえだ。これから求められる分野はモノ作りだ、工業だ、日本は貿易立国として原材料を輸入し付加価値の高い製品を輸出する。そして産業を興して豊かな経済社会を目指そうと、国を挙げて行け行けドンドンだった。

 

  私は科学技術万能精神の反映だった

 

 人間というものは必ずその時代の精神を映しているといわれる。私の発想も、明らかに戦後の時代の特徴の一つである科学技術万能主義に洗脳されていた。いつ頃から私のこうした思考法が芽生えただろうかと、少年期まで遡ってみると、鉄腕アトムとガガーリン少佐に行きつく気がする。

 背中に背負ったジェットエンジンで飛翔するという画期的技術を身に着けた鉄腕アトムは無敵だ。それは技術が発達すれば、あのような強靭な人間になれるという思い入れを抱かせた。

 

  実物大の宇宙ロケットが未来の象徴だった

 

 もう一つのきっかけは、確か1955年に名古屋城で開催された宇宙博覧会だったように思う。子供にとって立体的な展示物は、それがいかに張りぼてのようなロケットであったとしても強く印象に残るものだ。

 まだ、ソ連のガガーリン少佐が搭乗する人工衛星が飛ぶ前だったが、私には宇宙への夢を掻き立ててくれたことが、脳裏に残っている。

 そうした出会いが以後の私を、すべての事象は科学で説明できるとか、すべてのアイデアは遅かれ早かれ実現できるといった科学技術万能主義へ傾倒させていった。

 

  技術は人間を幸福にしたか

 

 以来、そうした技術万能の考え方に何らの疑問も持たず突っ走ってきたが、振り返って見て今やこうした無条件の科学技術信奉は、地球環境破壊の元でもあり、また、人間性を棄損しており、果たして本当に人間の幸福のためになったのだろうかとの疑問が沸く。

▼Myオカリナ演奏のコーナー

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どすの効いた歌声が懐かしい。今、元気にしてるかなぁ。八代亜紀も亡くなったし。