16年 | なんだかなあ

なんだかなあ

なんとなくかきます

あの時、私は広島にいた。

父からの電話で目を覚ましたが、何を言ってるのか理解できなかった。

そして、テレビを付けて、絶句した。

それから2カ月後、ようやく姫路まで開通した新幹線を使い、そこから在来線で三宮まで出た。

空は広かった・・・

空は碧かった・・・

あるはずの高いビルは影もなく、アーケードも屋根はなかった。

瓦礫をよけながら、新神戸まで歩いた。

目に焼き付けておきたかった。

幸い、家族に大事はなかった。
自宅は影響を受けたが、住めないことはなかった。

毎年、テレビで放映する。

忘れてはいけない。

阪神大震災で亡くなられた方。

遠く、出張先から、ご冥福をお祈りします。