だいぶ時間が経ってしまい申し訳ありません!

もう忘れかけてますがメモを頼りに…。




M「さぁソモソモの授業、4時間目を始めます。みんな、メモ取ってくれてる?…書いてる人の中に、鉛筆の人もきっといると思います。そもそも、鉛筆の誕生っていうのは今から450年前、イタリアの羊飼いの人が、落ちていた黒炭を布で包んだのが始まりだそうです。

このように、僕たちは自分の周りにある“ソモソモ”を意外と知りません。なので今日は、みんなのソモソモについて授業をします!」



M「まずは…今日、この会場に親子で来てくれた人!お話を聞いてみたいと思います」


S「よろしくでーす」


M「こんにちは、お名前聞いていい?…ありがとう、○○くんね。○○くんはそもそも自分が生まれたときの話を聞いたことがある?」


「あります」


M「どんな話だったか覚えてる?」


「………///」


結局その子(名前は伏せますね)は、やっぱり知らなかったって言って嵐さんが突っ込んで(笑)

なんでその名前をつけたの?という質問にお母さんが、

「強く負けないで元気に育つように」という想いをこめてつけたそうです。


ここからすこし、書くには名前の話になるので割愛しますね。


M「ありがとうございました!」


母「すいません、ひとこと…」

「ぼくは、ジャニーズに入りたいです!」

S「おおっ、ぜひね!履歴書をうちの事務所に」

M「歌ったり踊ったり楽しいよ」

S「待ってるよお」


なんてやり取りも。


M「改めて聞いてみると知らなかったこともあります。今日僕は、新しい命のそもそもに立ちあってきました」



<VTR>


今まで4200人以上の命を取り上げた助産師さんのもとへ。


ここで!非常に私事なんですが!!!

VTRに「みうちゃん」という子が出てきましてね。

それが何なのかと言いますと、まぁわたしの本名でありまして。


まつもとさんに!!!!!4回も!!!!!名前を呼んでもらったのであります!!!!!!!!!


うっきゃー(*´Д`*)

もうね…本当に行けてよかったと思うよ……まさか生で名前を呼んでもらえるとは。

ありがとう、ありがとうううう!


それでまぁ、とあるご家族のみなさんに、2人目の女の子が生まれました。名前はまだ決まっておらず。

お母さんのお腹から取り上げるところを見ていた潤くん。



M「相葉くんどうでしたか?」

A「VTRでさ、うまれてきてくれてありがとうってお母さん言ってたけど、僕もすごくありがとうって思ったんであとで電話しときます!」

M「はい(笑)」



M「あのー、それこそね。この出産した日、実は金環日食の日でして。なんか関係するらしいよ、月の満ち欠けとか」

S「ほんと?そうなの?」

M「そういうのもあるんだそうです」


M「僕も、メンバーも、会場にいるみなさんも、帰ったらお母さんに感謝の言葉を言ってみて下さい」



M「では次は、嵐のそもそも。今日は………櫻井くんのソモソモを!見ていきたいと思います!」

N「ありがとーございます!」

S「えぇ、ないと思うよ?そんなに俺…そもそも俺って」

M「櫻井くんのお母さんに聞いてみました!」


Q息子さんが産まれたときのことを覚えていますか?



Aまるでマジック!イリュージョンのようでした。女性から男性が現れる、この仕掛けのない手品のような瞬間に生命の神秘を感じました。


A「言い回しが面白いね」

M「なんと、翔くんのお母さん、妊娠中に駆け込み乗車をしてしまい。お腹が挟まれて圧縮されてる箇所があるかもしれません、とのことです」

S「えっうそ!!!そういえば右のおしりが…ってわかんねーよっ!!!笑」

O「覚えてないの?」

S「覚えてないよ!!笑」

A「聞いてないの?」

S「聞いてない」

A「結構これって大事件だよ?」

N「すごいね、妊娠してる状態で駆け込み乗車とかするんだ?」

M「圧縮されたということですね」

S「30年かけてもとにもどりました(笑)」



Q名前はどのように決めましたか?



A母親が作家の柴田翔に傾倒していたのでつけました。羊に羽がついているという意外性。なんともロマンチックで、馬に羽が生えている『ペガサス』のようであり、柔らかい優しさを感じました。


A「コラムみたいだね(笑)」

S「おまえそれポエムだろっ?笑 コラムって新聞にあるやつじゃねーか!」←頬杖ついてるのかわいい…

A「そうだポエムだっ(笑)」


N「なんか、言葉の選び方が櫻井家だよね」

M「いつも僕らが見てるしっかりした翔くんは、こういう両親に育てられて翔くんになったんだね」

N「なるほどね」

M「柴田翔さんの名前からだって」
O「へー」
S「なんか流行っていたんです。両親くらいの年代の方とお会いすると、たとえば、この間、中村雅俊さんから『翔の名前って柴田翔から?』って聞かれた」
M「そうなんだ」
S「だから両親くらいの世代の人は、やはり柴田翔さんが最初に出てくるんでしょうね」
M「柴田翔さん『されどわれらが日々』で芥川賞を獲られています」
A「へー有名な人なんだ」
S「いつかお会いしたいなと思っているんですけどね」
M「ダブル翔ですね」
S「まあ、会ったところが最終点で、何の会話をして良いか、今、まだ見えてないですけど」
M「是非『僕の名前は柴田翔さんから付けられた』と話してください」
S「いつか出来たらと思います」



Q小さいころはどんな子供でしたか?


A小学校入学前のころ、渋谷で喧嘩をしてしまい置いてきてしまいました。そこで別れて、バスに乗車し発車してしばらくしたら、渋谷から六本木へ5歳の子どもが歩いていました。泣いているどころか、こちらにガンをつけて歩いていました。個の頃から自分で判断して行動する対応でした。



(リーダー爆笑)

S「あっ俺これ覚えてる!」

A「覚えてる?」
S「これ本当に腹が立ったので覚えている。渋谷の今のヒカリエの前辺りにバスロータリーがあって、バスに並んでいるときに母親と何かで喧嘩をしたんだよね。腹が立って、なんでこの人と一緒に帰らないといけないんだろうと思って、あのくらいの距離なんか一人で帰ってやる! 5歳か6歳の子供がいなくなったらあせるじゃん親って」
N「そうだよね」
M「あせると思いますよ」
S「俺がいなくなったらどんなにあせるかやってやる!って思って」
M「櫻井少年が」
S「渋谷から六本木通りを一直線だから、ずっとそこを歩いていればいつかは着くだろうと思って歩いていたらね。
母親がバスに乗ってて!!『くそー、なんでバス乗ってんだよ!探せよ!』って思った。それで、あぁ俺探すの諦めたんだなって」
M「僕、ちょっと疑問に思ったことがあるんですけど。これが本当だとすると、お母さんはバスで、櫻井少年は徒歩で、となると、櫻井少年はもの凄く足が速かったことになります」(会場笑)

N「すげえな!笑」
S「母親はどこかで探したんでしょうね」
M「先にね。よーいドンで行って翔君のほうが早かったわけじゃないのね」
S「渋谷で息子がいないと大騒ぎして、警察とかに行って、渋谷が迷子で大騒ぎになっている輪の中に母親がいるのをイメージしながら、俺は『見てろよ』と思って歩いてたのに」
M「ほお」
S「バス乗って帰ってるじゃん。俺としては非常に残念でした」
M「非常に面白いエピソードだと思いますよ。お母さん、印象的なんでしょうね」
N「ね」

M「他にもこんなことがありました。特に心配したことを聞いたところ」


ジャニーズに入ったことです。郵便受けに1通の茶封筒を発見したときには、青天の霹靂でした。自分で応募したと聞き、その道を閉ざすより、その道を整備し、好きな道へ進むことをサポートすることが親の勤めと思い、常に心配しながら見守って来ました

M「という答えをいただきました。お母さん、心配してくれていたんですよ」
S「言わないで勝手に応募しましたからね~心配かけてたんですね」
M「自分で送ったんですね」
S「自分で送った。『コンビニで履歴書を買って書いた13歳、夏』」

N「すげぇなあ」

S「この歳になって思うけど、親の立場としては、子供が勝手に芸能事務所に入りますと言い出したら、何をやっているんだと言う事になるよね。だからサポートをしてもらったのかなと思っています」


Q思い出を作るために意識をして何かしていたことはありますか?

Aそれはありません。旅行で経験したことが思い出となり本人の人格形成の一助になったと思います。

M「翔さんこれ覚えてるかな?」

・八ヶ岳の星の村での星の観察
・三重の合歓の郷(ねむのさと)での大ハマグリに舌鼓
・下田の海での日焼け大会への下地づくり


N「日焼け大会なんかあったんですか」
O「下地づくりってすごいね」
N「いきなり焼いちゃうとね」
A「ベロベロにむけちゃうからね」
M「覚えてる?」
S「全部覚えてるよ。日焼け大会っていうのは、保育園で日焼けコンテストが開催されるわけ。当然のように一番焼いたやつ一番黒いやつが優勝なの。保育園的には良く外で遊びましたねということだと思うんだけどね」
N「元気にね」
S「夏休みの間。もう、俺はそれに優勝したいし。櫻井家もそこに総力をあげているから。 5歳児にサンオイルを塗りまくる親!」
O「(大爆笑)」
A「あはは、おもしろいそれ」
M「日焼け止めでしょ、親が塗るのって」
N「逆、行っちゃった」
M「まだあります」


初めての海外で、船上ほら貝音出しコンテストで老若男女を交えての中での優勝
ですので、時々、ほらを吹いているときはありませんか?

S「何を上手いこと言っているの」
M「こんな冗談を言うんだ」
S「ちょっと上手いこと言っちゃったんだね、すいませんね」
N「凄いコンテスト好きなんだね」
O「優勝したんだね、すごいね」
S「ボォーと鳴るのがほら貝です。小4のときブラスバンドでトロンボーンやっていたから、(ほら貝で)音を出すのが一緒だったので、たまたま良い音が鳴って優勝したんですよね。そのほら貝を貰った気がする」
M「見事優勝ですからね」

N「そうだよ」

M「ご両親に大切にしまっていた櫻井君の思い出の品を借りてきました。何だと思いますか?」
A「まさか、ほら貝じゃないよね」
Oお、何だ」
M「これは、櫻井君の子供の頃のラグビーのユニフォームです」
S「小学校の部活のユニフォームです」
M「ユニフォームに関してもメッセージを頂いています」

小学4年で入部したラグビー部のユニフォームで、当時、小学校の頃、まだサッカーはメジャーな存在ではなく、身体が小さくても活躍できるポジションのあるラグビー部に入部しました。背中の9という数字はその必要なポジション スクラムハーフの背番号です。ただし中学に入ると世の中はサッカーブームとなりサッカーに転向しました。

M「これ凄いですよ。一式あります」
S「ちっちゃ、小4のサイズ」
M「ソックスとか。ちゃんとここに刺繍でSSって書いてあります」
N「へぇ~すごいねぇ」
M「櫻井少年、大きくなったんですよ」(上着を身体にあてる)
S「案外、これジャストで着れるよ」
M「着れないでしょ、着れないでしょ」
S「着れそうだよ」(パンツを身体にあててみる)
M「だってこんなですよ」
N「上は問題ないかな」
S「下がまずいねー」
A「上は頑張れそうだね」
M「いや入らないでしょ」
N「こうやってね、大事にとってあるんだね
M「昔のユニフォームを大事にとってくれているんです」
O「久しぶりに見たんじゃないの」
S「久しぶりに見たね」
A「見るとやりたくなるでしょ」
S「そ…そうだね(笑)」
M「どうですか翔くん、自分のソモソモを知って」
S「親の記憶と自分の残っている記憶がほぼ一緒と言うのが、なんか面白かった」
M「ソモソモを知ると親の愛に感謝して、親を大事にしよう自分をもっと大事にしようと思えるんじゃないでしょうか。そんなことを考えるきっかけを頂いた櫻井君のご両親に改めてありがとうございました」


M「僕は命のソモソモを知るために初めて出産に立ち会いました。思った以上に大変でした。出産ノート、流した血は牛乳瓶伊ppん1400CC。人間は2000CC以上出血すると死んでしまいます。すごく大変で、まさに命がけで産んだ。人の命は簡単には産まれない。だからこそいとおしくて。それだけで奇跡。この命は非常に大切で。京セラドーム、37000の奇跡。今日帰ったら、みなさんのご両親に自分のソモソモにsついて聞いてみて下さい。きっと自分をもっと大切にしようと思えるはずです。そして周りのソモソモにも。きっと周りに優しくなれると思います。

今日僕が、一番伝えたかったこと。

「ソモソモについて考えると すべてが大切に思えてくる 潤」


ありがとうございました」





えーと。もう1カ月以上の月日が流れていますけども。

受験生なので許して下さいませm(__)m

でも、どれだけ遅くなっても書くことによって、もし偶然でもこのブログを見た人が元気になれたら嬉しいなって、ただそれだけです(笑)