明け方近くまでたらおさんたちとすっでんあたっくをしていた私は、眠ってしまうとどうせ夕方まで目が覚めないだろうと思い、前から使っていたノートPCから新しく手に入れたデスクトップPCへと雑多なファイルやフォルダを移す作業に取り組んでいました。どうにかこうにか検索エンジンの力を利用して必要なもの―といっても大したものではなく、例えばゲームや音楽や画像を新PCへと移した頃には完全に朝が来ていたので、私はそこでいいかげん眠ることにしました。
目を覚ましたのはやはり夕方ごろで、一日を無駄にしてしまったような気分がまとわりついてきましたが、私はそれを溜息を吐いてやり過ごし、少しでも何かよいことをしようと決意して、部屋の掃除に取り掛かりました。しばらく部屋には手を入れていなかったので、そこかしこに埃やゴミがあり、また、整頓されないままの本やらなにやらが散らかっていましたが、2時間足らずの掃除でいくぶんか清潔さを取り戻し、床面積が増えて、私の気分も上向きになってきました。
ここで夕食を摂り、私は愛用のマウンテンバイクを駆って夜の街へと繰り出しました。夜の街というのは言葉の綾で、別にいかがわしい店へ行ったわけではありません。ただ髪を切ってもらいに行ったのです。ここのところやたらと髪を切っているような気がしますが気のせいに違いありません。家を出たときから湿った空気のにおいを嗅ぎ取っていましたが、案の定途中で雨が降り出したので、傘を持って出ていなかった私は濡れるのを気にしつつ、本降りにならないようにと祈りながら、心持ち急いで床屋へと向かいました。
2時間ほどの散髪が終わって頭が軽くなり、さて帰途へ着こうという頃になってもまだ雨は降り止む気配を見せず、床屋も傘を貸そうかタクシーを呼ぼうかなどと言ってくれましたが、傘を差すのは危ないし、タクシーに金を使うのも気が乗らなかったので、第3の提案であるところの「ゴミ袋を羽織ってカッパ代わりにする」という手を使いました。カッパを買う必要もなく経済的で、わりと水も防いでくれるというなかなかの案だったと思います。難点を挙げるとすれば見た目があまりよくないということですが、ゴミ袋は無色半透明のもので目立たないし、もう12時に近い時刻だったので人通りも気にするほどではありませんでした。ゴミ袋を開いて首と腕を通して着る、というのは小学生以来のことで、なんだか少し楽しくなってきました。
ゴミ袋を軽快に着こなした私は、上着のフードをゴミ袋の下から引っ張り出し、それをかぶって水に対する抵抗を強めて、来たときよりも本格的に降っている雨の中、白川通りを下っていきました。上半身はゴミ袋のおかげで雨の中でも平気だったのですが、下半身のジーンズはあっという間にずぶぬれになり、雨の冷たさに脚の体温を奪われていきました。これはできるだけ雨を避けていかねばなるまいと思い、街路樹の下を選んで通っていきましたが、街路樹の枝は払われていて、雨避けにはなってくれません。これでは困ると思い、私は荒神口から御所へと入っていきました。
御所―京都御所。といっても、実は私は正確には御所へ入ったわけではありません。私が入ったのは、京都御苑と呼ばれる、南北は今出川から丸太町まで、東西は烏丸から寺町までという、御所を取り囲む歴史ある公園です。晴れた昼間などには観光客が闊歩し、近くの住人や通りすがりたちが憩い、また、年中行事の際に使われることも多く、そのたびにおおいに賑わいます。このだだっ広い公園は、幅が15メートルか20メートルほどの砂利敷きの道のわきに島のように芝生が繁り、そこに多くの樹木が林を成しているので、私はその木々がつくるかげを借りようと思ったのです。夜の雨の御所は、昼間とは打って変わって人っ子一人見当たりません。時々宮内庁か警察かわかりませんが車がパトロールしているのを見かけるくらいです。夜の中に松の木は黒々とそびえ、聞こえるのは雨の音と自転車が砂利を鳴らす音だけ。人によっては不気味だと思うこともあるかもしれませんが、そんな感じではありません。暗いといっても、ガス燈を模した街灯がよく整備されていて、それなりに見通しは利きます。雨や砂利の音も、それら以外は本当に音が無いので、不気味というよりも、幽玄という言葉が合うように思います。
しかしあまり思ったほど枝が砂利まで張り出しておらず、期待したほどの雨避けを得ることなく、幽玄に浸る間もなく、私はぬれねずみで家路を急ぎ、帰ってから風呂に入って、ずっとこれを書いていました。
この連休の成果は、新しいPCを手に入れ、ゲームで遊び、むさぼるように眠り、生活リズムを狂わせ、最後に少しだけ掃除をして、髪を切った、というところでしょうか。やりたいことややるべきことがまだまだあり、そこからくる後悔がけっこうあるのですが、やらなかったものは仕方がありません。反省しこれからの行動のための原動力とするのがその後悔の最も良い活かし方だと思います。もちろん、そういうふうに割り切ることがすんなりとできているわけではありません。まだまだ腹に溜まっている感じです。せいぜい、後悔をエネルギーに変換するように気をつけてすごそうと思います。