好きな漫画化は漫☆画太郎、AGです。死ぬ。
今日は皆さんに、サドンアタックで100%勝てる必勝法をお教えしようと思っていたんですが、眠いのでやめておきます。
代わりに昨日のクラン戦の報告でもしようとも思ったんですが、眠いのでまたこんどにします。
だからうん、今日はパンチラについて軽く触れようと思います。サドンアタックでもチラッとヒットアンドアウェイって大切ですよね。そのテクニックを自分なりに考えてみます。
-わたしとパンチラ-
パンチラとは、わざわざ書かなくてもわかることではあると思うけれど、一般的にその語から連想されるものは、女性のスカート等がめくれてその下のパンツがチラっと見えることである、といっていいだろう。
こうしてチラっと見えるパンツは世の男性を大いに魅了してやまない。
中にはパンツを直接見るよりもパンチラのほうがいい、という人もいるのではなかろうか。僕自身はどう思っているのかは、もちろん割愛させていただく。
さて、「パンツ」が「チラっと」「見えた」・・・いったい何がそんなにいいのだろうか。
まず、パンツが見えたという部分である。
パンチラにおける「パンツ」とは、下着売り場においてあるパンツや「見られてもいい」パンツや「見せるための」パンツではなく、人が身につけ、大事な部分を隠し、さらにそれを見られることを羞恥とする「見られたくない」「見られてはいけない」パンツであるといえるだろう。普通街中歩いててパンツを見せびらかしはしないと思う。(そんな人がいたら自粛してください。ていうか自首?たま~にそれに近い人を見かけますが、目のやり場に困ります。余談でした。)見せるためのパンツをみてもなんだかモヤモヤするだけである。
その「見られたくない」ものが「見えた」のである。「見た」でも「見てやった」でも「観測した」でも「観察した」でもない、「見えた」。偶然見えた。見るとも無く見ていたらたまたま見えた。積極的に見てやろうとして見たのではなく、ほんの偶然によってパンツが見えたということが、パンツを見たということからくる直接の興奮や歓喜のほかに、幸運、幸福、得をした、ラッキーという感情を生み出すのである。
この上乗せはポイントが大きいと思う。そもそもパンツがみたけりゃ人に頼むなり、それができなければエロ画像を探すなり、どうしようもなくなったらそういうお店に行くなりするべきだろう。間違っても血眼になってパンチラを探す、なんてことをしてはいけない、それは逮捕されてもしかたがない行為だから。どれだけの衝動が湧き上がっても、紳士であってほしい。思わぬところで見えた、というのが重要なのである。パンチラは楽しみに待つのではなく、偶然を楽しむものだと僕は思う。
パンチラがあれば、そこで事態は終わりではない。我々は流れる時間の中を生きているのだ。自分には経験がないのでわからないが、観測によると、パンチラの後、パンチラしてしまった人は、自分のパンツがいま見られた(かもしれない)、と気付くこともあれば、そうでないこともあるようだ。
もし気付かなければ、見た側としては、気付かれなかった幸運に感謝し、満足することだろう。そして、またパンチラがないだろうかと期待してしまうかもしれない。先ほど述べた「偶然を楽しむもの」にいきなり反するけれど、このワクワクは止められない、誰にも。僕にも。
気付いた場合は、リアクションをとったり、とらなかったりするだろう。大いに隠したり、知らんふりをしたり、あるいはにらみつけてきたり、お前は見たかときいたり、見ただろう見やがってこのやろうとばかりに怒ったりすることもあるかもしれない。ノーリアクションの場合、上で述べた気付かなかった場合とどう違うのかというと、それは観測者の側の問題である。見られたことに気付いていれば、見た側の心情は違う。主に冷や汗をかいたり、「恥ずかしいくせに」などとニヤニヤしたり、ではなかろうか。
僕が好きなのは、見られたことに気付いて裾をおさえつつ、頬を赤くしてやや上目遣いににらみつけ
「見たでしょ・・・えっち!」
・・・もう、死んでもいい。
ていうかもう殺してくれ!なんだこれ!!うわーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!11111111!!!!!!どがーんばごーんぐあっしゃーんどっがーーーーーーーーーーーーんんぼぼぼぼがあああああああああんんん!!!!!!!1111
-まとめ-
パンチラは偶然を楽しむもの。恥じらいは偉大。漫☆画太郎も偉大。