去年の事だが書き忘れていた事がありまして。
寒い季節にこんな感じでコソコソ書くのも、まぁ乙なものかなと。

お時間ある方は見てください。

さて、昨年はWat Mayhem Orchestraにて泰国でライヴをするという
非常に個人的な思い出の強い場所で、夢というのはどうかと思いますが
それに近いもの、つまりはタイでライヴをするというのは自分にとっても
ひとつの目標だった事でして。ただね…

タイに恋焦がれ、夏、冬と長い休みを取り当時の恋人や友人と長く
貧乏旅行を楽しんだりした。でもきっかけはこれもまた変わった事で。

個人名は省くが自分にとっての最初の海外旅行は泰国であり
その理由は、現地で事故死した友人の遺体引き取りであった。

事故があった当日、連絡をもらい現地で少しでも人手が必要と聞き
事故に遭った友人の婚約者という名目で、外務書にて一日でパスポートを発券してもらうなど
慌ただしく責任が重い事を、その時の感情的な気持ちだけで動いてしまい
よく考えると、ずいぶんと無茶な事をしたと思うも、これはよい人生経験になり

葬儀の最後まで一緒にいて、様々な人のしがらみみたいなものに揉まれて

その日以降、親しい友人や恩師であっても葬儀に伺う事は極力遠慮させてもらうようになった。
つまりはトラウマになったという訳で。

その当時も今もバックパッカーの相場はタイに入りそこで
格安の旅行チケットを手に入れ、目的地に行きまたタイに戻る。
今もそうしている方が多いみたいだ。

友人がそのような事故にあった場所、何か気が引ける部分もあったが
タイの魅力を知って欲しいという、当時の友人のアドバイスもあり
長期旅行者の日本人。欧米人。現地の人たちと交流を深め
すっかり惚れ込みタイにどっぷりと浸かる何年かを過ごした。

あまりに渡泰履歴が多いので、ロス・エンジェルスの入国審査の時に
長髪、ヒゲの容姿も手伝い「お前は麻薬の運び屋だろう?」と露骨に疑われ
個室で服を脱がされたりしたのも、今となればいい思い出になっている。

何度も訪れる度に友人も更に増え、10年以上会ってもいないが魂の繋がりがある兄弟とも出会えた。
この当時の事、生活、聞いた音楽、作った曲、ベーススタイル
これが今のキールになっているのは間違いもなく、指摘されれば否定もしない。

そのような人生の中での数奇なターニングポイントになった泰国でライヴ。
感無量である。
ましてや近日にもチャンスがあるという現状は、折り返しを超えた人生が
ラストスパートの準備を即しているようだ。

さて、Wat Mayhem Orchestraでは東京、大阪でもライヴが出来て
たくさんの方と接する機会を貰え感謝でこれからも努力していきたいと考えています。

お礼をちゃんと書かないまま時間が過ぎてしまった事。
まずこれが一つ。

そして昨年、非常に印象的だった出来事。

墓参りに行き、墓地で道に迷う。

先に書いた友人の命日には出来る限り、墓地に行くようにしている。
当時、友人が愛飲、愛喫してたものを持ち墓前で少し話をする。

これが定番になっている。

ただ、普段からのいい加減さや遅刻癖がここでも姿を見せ
墓地に着くまで散々迷い、随分と遅い時間になり関係者に迷惑をかけたりなど。

今年はそうならないようにと夜勤の仕事が終わり、ネカフェで仮眠。
それから墓前に出向くようにしたが、近年の目まぐるしい都市開発のせいで
何度行っても、某駅から墓地までの道順に迷う。
しかも命日は真夏で、照りつける太陽の下をウロウロし
疲労困憊で到着するケースが多い。

今年は到着までに脱水症状を起こすかと思うぐらい酷かった。
いっそ雨でも降って欲しいと思うが、記憶する限りここ数年は真夏日である。

意識朦朧で長い階段を登り、入口にて挨拶をして水桶と柄杓を借り
墓前へと向かう。

寄る年波かなんなのかは解らないが、墓地の中が微妙に変わっている。
前まであった墓石が無くなっていたり、今は改装されたり違う檀家に変わってたり
つまり、毎年微妙に景色が違うので、妙に緊張して迷ってしまう。
 
今回は場所にして駅のホームぐらいのスペースで一時間以上、ウロウロした。

何故、こんなに迷ったのかは前日の疲労のせいなのか、それとも別に理由があるのか
それはわからない。今となってはどうでもいい。

こう曲がって、こっちに行くと…おやまた同じ場所に。何度もそれを繰り返す。
後半は自分でも嫌になり、墓参りもせずに逃げ出そうと思ったが
それでもどうにか墓前にたどり着き、陽水の「東へ西へ」の一節
「花見の駅で待ってる 君にやっとの思いで会えた。
満開 花は満開 君は嬉しさあまって気がふれる」
のフレーズが頭をよぎった。

いや、むしろ気がふれているのいはオレだろう。客観的にも主観的にも間違いがない。

「いや、遅くなってすまない。道に迷ってね^^;」

土産のヱビスの500の開けて墓前に置き、水で掃除をする。
そのあとにザブザブとビールをかけてやる。
それを時間をかけて二度行う。

これが夏の儀式のひとつである。

線香のかわりにマルボロの赤のソフトパックから一本抜き出し
火を点け、線香を置く場所に置く。
短くなるとまた新しいものに火を点ける。

「どうよ、調子は?」「今はどんな事してるの?」
墓前に独り言をブツブツといい、しかも炎天下の下。
たまにケラケラと大笑いをしたりするので、寺関係者でも通報をすべきか考える様子だろう。

小一時間ほど、こちらの近況報告をしたり何か向こうから感じるものを聞き取ったり
そんなやり取りをする。

かつて、十分にドラッグを経験した事があるが、このように相手から何かが伝わってくる
それが当時の後遺症ではないと、そこだけは分かってもらいたい。
他人からみると理解に苦しむ場面だが、オレと友人にとって非常に崇高な時間だ。
こうやって儀式をし、繋がりを再確認するのは大事な行為だ。

「そう、今は自分で店をやっているのか。」「ん?タバコ変えたのか。」
「禁煙しようとして失敗かw」「恋人?てか、ダンナだろ。」

死というものは無になるとは考えておらず、別の世界に行くだけだと。
そちら側という表現が適切かどうか、そういう世界があると信じている。
ゆえに二人はこういう話が出来て、お互いに深い繋がりがあると信じてる。

月日が経つのは早いもので、オレは50歳が見えてきた。独身にして長生きし過ぎた感もある。
友人はまだ19歳。ただ、そちら側では年を重ね自分の目標に向かい努力してる。
去年や一昨年は何か喫茶店のようなお店を切り盛りしてる様子だった。
店の合間に出てきて、エプロン姿を恥ずかしそうにしてた。

今年にはきっと禁煙に成功してるだろうし、タバコの差し入れは控えようかと思う。

炎天下、日陰もない場所でずっといると流石に肉体も辛くなってくる。
オレは勝手に
「じゃあ、今日はこんな感じで」
と、切り上げて帰る。毎年、こんな調子だ。

帰り道も炎天下で自分の脳髄が沸騰しそうになる中、帰り際にいつもいうセリフを反芻する。

「今度生まれ変わり、同じ世界で会ったら
激しい恋をして素晴らしい時間を過ごそう。
例えお互いが違う性に生まれても、オレは同性のお前を探し出し
深い恋に落ちる。」

未練があるのかとか、そういう質問は答えたくないが。ただ
抱きしめたいなと思う。もう一度、抱きしめたいと思う。

$人楽と音

親愛なるTへ。オレはまだまだ冒険を止めていないし、何も諦めてもいない。
ただ今は今までの人生の中で、一番厳しい時だと感じている。
勿論、サラリと乗り越えてまた大暴れするのが定番だが、そのためには少し努力が必要だ。
なんなりかの支えになってもらえて、いつも応援してもらえてて嬉しい。
このように二人の関係を何か残す気などなかったのだが、
気まぐれか書き残してしまった。

気が変われば削除する記事だが、貴殿への真摯な気持ちに変化はない。
どうかこの行為、許してほしい。

未練といえば一度でもタイの食堂で
この粗末で美味い、カオ・パットを一緒に食べたかった。
$人楽と音


さて、夢の話と楽器の練習の話。これは別の記事で。
久しぶりに猫が夢に出てきて、あいつ出世しとってたまげたぎゃ('∀`)

今夜はこれを聞いて下さい。