いかにもおかしそうに聞こえるかもしれませんが、分割ということです(笑)

自分の存在をもっと“基本的な”構成にまで分割していけばいい、もちろん、それは解剖ということではありません(汗)それよりもっともっと小さくまで分割すること。たとえば、今物理学で知るもっとも基本の素粒子としてクオークそのものなんですけど、すくなとくも、そのクオークまで分解していけばいい!

真理というのはいつまでも変わらずにいることだったら、一番基本の構成として結合も分解もなく(つまり、変わらない)ずっとそっくりそのままなはずっていうことですね。とはいえ、こういう程度の分解ならどうしても死んだあとの話だからどうやって自分が死んでもそのような状態へとたどり着けることを確保するのかわからないね(汗)

生まれからそういう性質を持っていたら自然にその成り行きもそこへ変わっていくという話は合理的なものとして捉えている私だからまず、分割をもっぱら目指すものにハマったらいいわけですね。いつのまにか自分もそのハマったものに似せるという話です。これはたぶん、数学の苦手な私であっても運命的に、数学に目を向ける理由だろうと思います。なんといっても数学っていうのは、分割そのものです!そして今、分割の世界で数学がやっと辿り着くのは、抽象代数学ということです。ということで、まずは、その抽象代数学を勉強してみなきゃという結論が得られている。


一方で早くもそれ(分割の重要さ)がわかっている古い文明のギリシャとインド、それぞれを代表している言語であるギリシャ語とサンスクリットもやり続けなきゃ。


そういえば最近、サンスクリットの一人称の曲用を勉強しているんですが、単数でその曲用は次のように変わっていく(便宜上長母音の表記は略する)

Sanskrit............Greek
aham................ego
mam.................eme
maya
mahyam..............emoi
mad
mama................emou
mayi


ギリシャ語とサンスクリットが同じ起源に由来すると主張しているにもかかわらず、一番基本的な語彙として日本語の“私”に相当するこの一人称の形から見れば、あんまりその音韻対応関係は見えませんでした。その理由はなぜ?という質問への答えはまだ知らないんですが興味津々です!


目標をはっきりさせたら気持ちもすっきりとなる気がする(笑)