20024

カナやんの動きのように今回のネタは見たくないものですからもし興味を持っていない方なら気楽にスルーしてください。

ずっとそう思っていますが私の人生は、古代ギリシャと何らかのつながりによって結ばれているに違いない!というのは、成長する地元も、家族も友達も、周りの人も、なんでもかんでも、「古代ギリシャ」とちっとも関係していないのにやはり、古代ギリシャ(とくに、あの時の人の知恵)のものに魅了されて“戻ってくる”とまで感じるのです。もちろん、そんなに関係の薄い環境にしても、きっかけはちゃんとあるのですが、それは、中学校の西洋歴史の授業でした。西洋歴史、つまり、「History」と地元で呼ばれる学科に対する興味は、言わずもがな、こんなに非文明の私なんかにとっては、大嫌いと言ってもよい(汗)そんな学科にもかかわらず、三人の名前しかがしっかりと頭にインプットされていないのです。念のためにそれを取り上げておこう。

Socrates(ソクラテス)
Plato(プラトン)
Aristotle(アリストテレス)

この三人はいったいどんなやつなのかというと、正直に言うとさっぱりわかんない(汗)とはいえ、日本語の国語辞書で簡単に引ける見出し語ですから一言で言えば、古代ギリシャに生きている何とも言えない哲学者なんです。それに上に挙げられた順序はこいつらの年齢的な順序でもある。

まず、今回のテーマのソクラテスを見出し語にして辞書(大辞林)を引いたら

(前470 – 前399)ギリシャの哲学者。アテナイで活動。よく生きることを求め、対話を通して善・徳の探求をしつつ、知らないことを知らないと自覚すべく自己を吟味することとして………獄中に毒杯をあおいで死んだ………

彼の人生を私の目で評価すれば、おかしくて意味不明な追求をしつつも、偉そうな言論や思想にもかかわらず結局獄中で殺されたという、みっともない人生を送ってしまったただの失敗者だと思う。でも、もっとポジティブで単純明快の言い方ができそうです。ソクラテスの人生を一言で帰結してみたら

「花咲舞が黙ってない」じゃなくて「ソクラテスが黙ってない」

哲学者なんてどうでもいい!要するに、理不尽な世界に取り巻かれる中で、大多数の人は心の中で“現実を見ろ!”って悲鳴しながらたとえ道理に合っていない状況とぶつかってもやはり黙ったほうがよいだろうと判断して理想や不公平などをそのまま見逃していくけど、この人、ソクラテスと呼ばれる男、虚しくて偽りの知恵を見抜いて絶対の真理への探求を世の中(アテナイという古代ギリシャの都市)の人に呼び起こすために、「黙ってない」という困難の道を選んで結局、自分の死亡を堂々と迎えていた。

なんでアテナイの人が絶望の雰囲気に包まれるのかについて少し述べておきたいんですが、アテナイは、多くの古代ギリシャの都市の中でその繁栄を誇っているから西へ(イタリア方向)進出しようとするという野望にもかかわらず、もう一つの古代ギリシャ都市、スパルタと呼ばれる都市、アテナイの好敵手として競い合っていたあげくに、敗戦を喫しました。「Peloponnesian War」と呼ばれる戦争。実は、スパルタを見出し語にしてまた大辞林で調べてもわかる話です。辞書の記述のように、スパルタは最終的に、アテナイを破ってギリシャ全土を支配することに成功していた。この勝利には大きな意味合いがある。というのは、アテナイとスパルタは対比的な存在でまるで生まれから競い合うような定めだからです。

アテナイは、文明・知恵・教育・経済・民主といった、現代文明とほぼ同じ価値観で都市を繁栄させ、勢力を周りの地域に拡張していくのに対してスパルタは、辞書の書いてあるように正反対で人民による政府じゃなくて軍事によって回りの都市を恐怖させ、勤倹・尚武の厳しい教育で自身の強さを確保する、軍事的な都市なのです。このスパルタの性質によって現代英語に形容詞として残っているんですが、「Spartan」という形容詞、辞書を引いたら

“simple and severe with no comfort”(地味・厳しい、そして心地よいところはない)

という、Cambridge Dictionaryの定義が見つかっている。

アテナイの人がずっと信じていて誇っていた文明や民主といった価値観は、みっともない姿でスパルタに完敗してしまうことからの衝撃がどれくらい破滅的でしょうか?自分の性質と相反する相手による失敗は、痛手と言ってもよいものでしょう?この種の徹底的な失敗を喫してやけくそになっちゃったアテナイの人たちにどんなに気の毒な話を与えても救うことにはならないはず!これこそ、ソクラテスの「黙ってない」事情になっている。

そんなソクラテスは、何をしても口先だけのせいで著作として後に残されている文字はいっさいないので彼をめぐったすべても、弟子であるプラトンの著作を通じて伝わっているのです。私はもちろん、プラトンの著作をきちんと読み通すわけではないけど、著作の一つの「ソクラテスの弁明」(英語:apology)のごく一部を読んで興味津々と思うので紹介したいと思います。ちなみにプラトンのこれらの著作はほぼ、ソクラテスによる対話という形式で作成しているので意外と、ドラマの脚本を読むような感じです。

じゃあ、皆さん、これからぜひ、プラトンの「ソクラテスの弁明」をドラマの脚本としてください。さて、「ソクラテスの弁明」を紹介しておきたいと思うんですが、この辺はやはり、大辞林に任せることにします。

ソクラテスの弁明:
プラトンの著作。瀆神および青年に害をなす罪に問われたソクラテスの法廷における弁明の姿を通してその哲学の核心を描く。

ということで、脚本に登場する役目は次のようになる。

罪人:ソクラテス
背負う罪:少年の純潔さを汚すし、アテナイの神様を冒涜している
告発人:メレトスなど
場所:法廷

私はあくまでも、この脚本の“ごく一部”しか読まないのでその部分だけ述べることにする。

前略

ソクラテス:ここへ寄せ!メレトス!いくつかの質問をさせてもらおう。少年を善導することをお前は、いつも心がけているのでしょうか?

メレトス:はい、もちろん。

ソクラテス:裁判官に言え!誰が少年の善導の担当者かい?お前は知っているだろ!彼らに害をなすやつを見つけて彼らの前ではこの私を指名して告発しているのだ。言え!誰が少年の善導の担当者なのかということを、裁判官に教えてくれ!ほら、メレトス!お前は黙ってる。何とも言えない。お前の沈黙は、あんたが信用できない者、それに、私の言ったことの真実を証明してくれるだろう?お前が少年を善導することに全然関心を持っていないということ!ちゃんと言え、わが友、皆に誰が少年の善導の担当者かを教えてくれ。

メレトス:法律

ソクラテス:しかし、わが良き相棒、これは勘違いだよ。だ・れ、つまり、何者が最初のところから法律を知っているのかが知りたいよ。

メレトス:裁判官、ソクラテス、法廷に出席する人。

ソクラテス:じゃあ、裁判官が少年を善導することができるということは、あなた、メレトスが言いたいこと?

メレトス:もちろん!

ソクラテス:じゃあ、裁判官のすべて?それとも、一部分の裁判官だけはそうできるか?

メレトス:全部。

ソクラテス:女神のヘラの名で誓う、これはなんと素晴らしい話!善導の担当者はたくさんいる。それで、ここの聴衆はどう?少年を善導している?

メレトス:はい、そうです。

ソクラテス:じゃあ、議員は?

メレトス:はい、議員さんもそうです。

ソクラテス:けど、集会(ここの集会はたぶん、古代ギリシャの一種の政治組織)のメンバーは少年に害をなすかもしれない?それとも、やはり彼らも少年を善導している?

メレトス:彼らも少年を善導している。

ソクラテス:そうだったらアテナイ人のすべても少年を善導して向上させているにもかかわらず私しか例外として取り残されていないし、私だけ、少年に害をなすことを、お前は確信している?

メレトス:君の言った通りに!それだけ私が疑問の余地なく確信していること。

ソクラテス:それは大変困っちゃうよ!もしお前の話は正しければ。お前に私がこう質問するとする。馬はどうですか?1人の人間だけ馬に害をなすのに対して残りのすべても馬を改善する?それとも、その逆のほうが事実か?1人の人間だけ、あるいは、少なくとも馬の担当者が、馬を改善していると同時に、残りのすべても馬に害をなす、ということは事実?メレトス、(多くの人は)馬に対しても、ほかのどんな動物に対しても(害になる)?それはおそらく、事実だろう。たとえあんたとアニュトス(Anytus,もう1人の告発者)が「はい」もしくは「いいえ」と答えたとしても。もしも青年に害をなす人間がたった一人いて、そして、残りのすべての人間も少年を善導するとしたら、これは青年にとってどれくらい素晴らしい話だったのに。しかしながら、あなた、メレトス、お前自身はまさに、青年のことに無関心という事実を十分に示しているのだ!なぜなら、お前の無関心は、今この私を告発するためのお前の口実によってはっきりと、示されているからだ。さて、メレトス、お前にまた別の質問を聞く-ゼウスの名で誓う。悪質な市民との生活、あるいは、良質な市民との生活のどちらかが、より良いことだろうか?答えろ、友、これは簡単に答えられる質問だろう?良い人は周りの人に良くし、悪い人は周りの人に罪を及ぼすのではないか?

メレトス:当然。

ソクラテス:すると、生活しているところの周りの人からの被害を蒙ることよりもむしろ、周りの人たちに恵まれるほうがよりほしいだろう?答えろ、わが良き友、法律に基づいて、お前は答えねばならぬから。傷つかれるのが好きな人間はいるかい? 

メレトス:そんな人はいないはず。

ソクラテス:少年を汚して劣化させるという私の不正な行為を法廷に訴えるけど、私は意図的にそうするか、それとも、無意識のうちにそうしちゃったか、お前が告発するのはどっち?

メレトス:君が意図的にそうすると、断言します。

ソクラテス:しかしながら、先ほどお前は良い人間が周りの人に良くして、悪い人間が周りの人を悪くすると、主張していただろ?お前は抜群な知恵で人生のそんなに早い段階でもう、(ソクラテスの闇を)見破っている一方で私は今の年齢(70歳)になっても、自分と一緒に生活する周りの人たちを汚しちゃうことについて一切知っていないという、暗闇と無知の境地にずっと陥っている。そうだったら私のほうが逆に、周りの人に汚されかねない。しかしながら、こっちが人を汚す、特に、わざとって。だから私も他の人もお前の話を信用しない。私は少年を汚さない。あるいは、少年を汚しても意図的にやるはずがない。いずれにしてもお前が嘘ついているのが判明。もし私の犯罪が無意識だったら、法律は無意識の犯罪を有罪としていないし、お前はプライベートで私の不謹慎を注意して直してくれるはず。それで私は無意識の行為をすぐに直して改善するはず。疑問の余地なく私はそうするに違いない。なのにお前は何も言わずに私のことを指導することも拒絶した。今はお前が法廷で私のことを告発する。法廷は指導のための場所じゃなくて罰を課するための場所なんだ。

後略…

私の下手くそな訳文はさておき、内容自体を読んでみたらどう思いますか?私の場合では、正直にいうと、がっかりしちゃった(汗)というのは、この対話ではどこか知恵など全然察知できないし(逆に自分の知恵を反省して検討するべきところなのにm(_ _ )m)このソクラテスはまるでばか者で滑稽な弁明をしているみたい!

滑稽なところの一つ目:役目の反転

しつこくて詰め寄る態度を取るこのソクラテスはあたかも、事実的の告発者になって逆に、あのかわいそうなメレトスは罪人になっちゃうみたいなんて!

滑稽なところの2つ目:ソクラテスの意味不明な弁明

私の目でやはりわからなくて申し訳ございませんでしたm(_ _ )m

それにしても理解の混迷を辛抱して繰り返して検討を重ねていくことで、少しでもソクラテスの本意を理解する気がする。きっかけとしてやはり、真への追求というプラトンのこだわりや数学の本質によって明らかになっているのです。

まずは、「事実」・「うそ」に対する現代人の理解を直さなきゃ。大辞林によれば、

うそ:
事実でないこと。また、人をだますために言う、事実とは違う言葉。

そして、

事実:
実際に起こった事柄。現実に存在する事柄。

まずはいったん、辞書の定義をすっかり忘れたほうがよい。ソクラテスにとって「事実」は辞書の意味ではなく、論理学で言う「事実」に近い意味です。だから、ソクラテスの言った事実は次のようになるはず。

ソクラテスの事実:

いつまでも、どこまでも、どんな状況にあっても、例外なく依然として変わっていないこと。

つまり、肝要なのは実際に起こる事柄にあるわけではなく、恒常の一致性が守られることにあるのです。そして、「うそ」は上のソクラテスによる定義の事実に対する対義語です。

実は、上の対話でメレトスの告発を論破する手段として、一致性を絶対的に守るという論理での鉄則によっていることが判明しているはず。まずは、対話の最初の部分をもう一度取り上げさせてもらいます。

ソクラテス:ここへ寄せ!メレトス!いくつかの質問をさせてもらおう。少年を善導することをお前は、いつも心がけているのでしょうか?

メレトス:はい、もちろん。

このようにソクラテスは、メレトスの言った「真実」、少年を善導することをいつも心がけるという仮定の事実をメレトスから要請し、これを命題として論理的な推理を進める。原論でユークリッドのやり方のように!

命題:
メレトスはいつも少年を善導することを心がけるのは事実

それを事実だとする。事実はいつまでも、どこまでも、どんな状況にあっても依然として変わっていないと定義されている。すると、少年の善導も事実の一種だからこそ、その結果としてただ一つしかない。それは、少年の善導がいつまでも、どこまでも、どんな状況にあっても依然として変わっていないことを意味している。つまり、場所としてアテナイかどうか、ソクラテスという人間が存在するかしないかといった事柄の影響は、少年の善導という事実にいっさい及んでいないはず。なのに、たったのソクラテスの存在による今回の告発も勃発したという例外が生じる。よって、命題の「メレトスはいつも少年を善導することを心がけるのは事実」も成立していないはず。

そして、ソクラテスの言ったメレトスのついた「うそ」は、命題の絶対的の一致性の崩壊によっているわけである。

この思想でソクラテスの主張している知恵はもしかして、世の中を貫く究極の真実を見抜くことで、魂もそれによって究極の真実と融合していていつか、魂も究極の真実と同じくいつまでも、どこまでも、どんな状況にあっても例外なく(つまり、変わることなく)依然として生き続けるのを実現させることを通して、「永遠」という性質を得ているのではないでしょうか?

当然、人間としてだからこそ、矛盾やあいまいばかりが起こっていて絶対的の一致性なんてあくまでも虚しい話で無理なことだが、ソクラテスは誰よりもそれをわかっているから、一番知恵を持っている人間だと巫女のところから自分に対する神様の評価を知っているけど、神様の評価を信じていないソクラテスは一生懸命にそれを否定すればするほど、自分のことが本当に一番知恵的だと確信していくという皮肉な話ですね。ということでソクラテスはこう語っている。

「Well, although I do not suppose that either of us knows anything really beautiful and good, I am better off than he is – for he knows nothing, and thinks that he knows; I neither know nor think that I know. In this latter particular, then, I seem to have slightly the advantage of him.」(お互いも本当に美しい善のことも知ると一切思わないけど、私は彼よりちょっと良いと思う。というのは、彼は何も知っていないくせに知るふりをしているのに対して私は、実際に知ることなく、もしくは、知ると思うこともないのだ。それだけ私は、彼より優位を占めるだろう)


もちろん、上の理解はただ個人的な話ですし、「ソクラテスの弁明」をキーワードにして検索したら様々な結果が出て、それらの結果をちょっと読んでみたら解説も様々あるということを心がけたら嬉しいです。

余談ですがソクラテスのしつこさは、その人物像だけでなく彼自身の名前までも、しつこい変化をしていることからわかる。彼の名前自身の変化は、「真実」ではないものを示唆しているよね(笑)

20023

彼の名前は、ギリシャ語文法で言えば一番やっかいな第3変化の子音語幹の名詞で、「Vocative」と示されている形は基本形となっているはず。語尾変化に加えて鋭のアクセントの位置にも注目してください。

ところで、いつまでも、どこまでも、どんな状況にあっても変わらないのはソクラテスの言う知恵なのだったら、カナやんの知恵はたぶん、歌うことなのではないでしょうか。

はい、これで私の今回のしつこいネタも終わりますm(_ _ )m