スルーできる記事というカテゴリに入っているけど、とにかくカナやんの写真だけ、スルーできる部分から除外(笑)
まずは、風邪なんて絶対引かないカナやんの写真を見ることで風邪を追い払うための力を得ています。先日、フェスブックに掲載されている写真です

(☆。☆) (☆。☆) (☆。☆)
風邪なんて打ち負かせ!!!
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
風邪というと、咳、鼻水、たんは必要不可欠な元素として心身ともに苦しめているのです。季節の変わり目にきっと訪れてくるやっかいな風邪、今年相変わらず、やってくるところです。
病気なんて本当に面倒くさい!いったん薬を飲んで直るようになっても、体の仕組みがどこかがもう永遠的に壊れているのせいか、また同じ時期が回ってくると再び、同じ病気になる可能性はぐっと高くなる。
皆も病気なんて悪いと納得がいっているだろう?生物にも共通している特徴なんですが品物なら病気になることはありえないのです。なぜなら、品物は自主的に動けるものじゃないのでその仕組みは生物よりもずっと単純で病気になるための複雑な仕組みを根本的に持っていないからです。もちろん、品物ではその形が崩れるというような“不調”が起きている可能性がある。
実は、生き物の病気でも、品物の崩れや壊れでも、その本質はやはり、仕組みがどこか間違っている、あるいは、乱れて崩壊していると言ってもよい。そうだったら一番問題になるのは、それぞれの仕組みにある。
今の私はそう思っているんですが、仕組みを持っているものは悪い。そして、その悪さは、仕組みが複雑であればであるほど悪くなるという比例的なタイプなんです。結論として生き物の中でもし人類が一番複雑な仕組みを持っていれば、人類そのものは一番悪いと言ってもよいという、反社会的な結論までも出てきちゃう。
じゃあ、次は人類を滅ぼすべきという、失敗者からのありふれたやけくそに偉そうな言論をしたいやつだろうと考えたらやはり違うのです。人類は神さまができたさまざまなもの中で一番の傑作と思う必要はないという悟りを覚えるだけです。逆に、その神さま自身は、簡単さの美しさを見失って複雑さの極めを追いかけている最中に、意外と一番やっかいに複雑な人類を作っちゃいましたという感じです。余計な複雑、いくらその複雑な仕組みを誇っていても相変わらず余計。余計は余計、それだけ。
余計な複雑さを持っている人類はいくつかおもしろい性質を反映していると思いますが、次のようになる。
本質的に簡単さを好きだけど、ほとんどそれを見失って簡単さを嫌って複雑さを追求してしまう。
よって、
本質的に絶対の整合性がほしいけど、ほとんどそれを見失って整合性を恐れてその場その時の行動は好きになってしまう。
そもそもいろんな場面でもうまく対応できるには、複雑な仕組みが必要になるだろう。そして、根本的に仕組みが複雑な人類ですからその複雑な性質のせいで柔軟な対応がほしくなってしまう。もし究極の整合性を厳しく守っている人間がいれば、その人間を、頑固、執着、融通のない、バカ、愚かな者といったマイナスな形容詞で語っているのです。
本当の美しさを恐れて侮っているのは人間
本当の悪さを好んで誇っているのは人間
数学はその好例です。数学というと難しいと思う人は圧倒的に多いでしょう。だから数学をいったんマスターしたら自慢したくなる人もいるかもしれませんが、数学をマスターして自慢するやつは決して数学者にはなれない。というのも、数学が根本的にわからないのです。逆にいうと数学の本質を見極める人だったらそれだけで自慢する理由はいっさいないと、はっきりとわかっているはずです。なんと言っても、数学者は誰よりも簡単さを追い求めるものだけです。もし複雑さを極めるからこそ誇る価値があるという世界中にも通用している価値観を認めるなら、一番の簡単さを求める数学者は確かに、誇るべきところは一つもないはずです。
数学の教科書で読んで見つけたものなんですが、指数関数(exponential function)を微分(differentiate)して導関数(derivative)を簡単に導出するためのものです。

ご覧のように自然対数eの導入によってできたものですが、知っている人なら簡単、知らない人なら意味不明なもの…
でも、理解という人による「変数」を除いてただその本質を考えてみれば、簡単です。要するに、さまざまな指数関数の形にしても依然として同じ自然対数によって(本質的に)同じ導関数が導出されるという、究極の一致性を見出すための式だけです。
その外見で評価したら複雑で意味不明なものに対してその本質で評価したら簡単に美しいもの!数学への人々の理解はまた次のような結論になる。
本当に簡単なものを恐れて複雑で難しそうなものとして敬遠するのは人間
本当に複雑なものを好んで簡単で易しそうなものとして愛着するのは人間
そして、複雑に見える世界から見失った簡単さへの視点を取り戻そうとするのは数学。
だから、もしあの人が簡単で易しいものが好きだと自称するとする。すると、それは本心なのか口先だけの話なのかと確かめたい場合では、ソクラテス(実はプラント)風の問いかけを通してそう宣言した人に質問して済む。
“数学なんて好きですか?”
好きと答えられるならさらに好きの理由を続けて質問したらいい。さもない、この人がうそをついているに違いない。本質に簡単な数学を嫌う人はそもそも、簡単さを好きに思うことはあり得ないからです。
簡単という立場から複雑へと辿り着くことは難しいと誰でも同意していると思いますが、逆にいうとそうです。つまり、複雑という立場から簡単へと辿り着くことも同じく、難しいというわけです。
もしあなたはいつも“私って何のために生きているのかと”自分で自分に問いかけ続けているのなら、私の答えは、“生きないために生きている”。注意してほしいのは、生きない=/=死ぬ、つまり、そう言われたら自殺するという結論を導き出すことはあり得ないのです。というのも、自殺をする人は、実は、おかしく聞こえるかもしれませんが、けっこう、生きることが好きな人。どうぜ完璧な人生を手に入れないくらいなら死んだほうがましだという気持ちかもしれません。つまり、人間としての完璧な生活に憧れすぎる人はしばしば、失敗を喫したら二度と立ち直せなくて自殺をしてしまうという話です。でも、私の言った“生きない”(生きるをあえて否定する形はややおかしいかもしれません)ことは、生きることの虚しさを十分に認識した上で、寿命が終わったら再び人として生まれ変わりたくなくてより簡単な仕組みのものになりたい。そして究極の存在としてやはり、仕組みのない存在であろうと、意識し始めるのは、“生きない”=生き物に内包される複雑さを捨てるという意味です。複雑さが必要ないものと認識するためには、本心からそう思わなければならない。その本心はどうやって養うのかというと、本当の簡単さを知っていることは必要です。ですから生きることは一種の修行と見なしてもいい。もし人生が虚しいと思ったらその理由を究明すればいい。それは虚しい人の生き甲斐と言ってもよい。
運に恵まれて生まれからすべても当たり前のように手に入れられる人はきっと楽しい。いや、違う。そんなやつはただ、何も知らないばか者で自分が運に恵まれることさえも、いっさい知っていない無知のものだけです。
病気に関するタイトルにもかかわらず自分だけの偉そうな理屈を書いちゃって申し訳ございませんでした。
まずは、風邪なんて絶対引かないカナやんの写真を見ることで風邪を追い払うための力を得ています。先日、フェスブックに掲載されている写真です

(☆。☆) (☆。☆) (☆。☆)
風邪なんて打ち負かせ!!!
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
風邪というと、咳、鼻水、たんは必要不可欠な元素として心身ともに苦しめているのです。季節の変わり目にきっと訪れてくるやっかいな風邪、今年相変わらず、やってくるところです。
病気なんて本当に面倒くさい!いったん薬を飲んで直るようになっても、体の仕組みがどこかがもう永遠的に壊れているのせいか、また同じ時期が回ってくると再び、同じ病気になる可能性はぐっと高くなる。
皆も病気なんて悪いと納得がいっているだろう?生物にも共通している特徴なんですが品物なら病気になることはありえないのです。なぜなら、品物は自主的に動けるものじゃないのでその仕組みは生物よりもずっと単純で病気になるための複雑な仕組みを根本的に持っていないからです。もちろん、品物ではその形が崩れるというような“不調”が起きている可能性がある。
実は、生き物の病気でも、品物の崩れや壊れでも、その本質はやはり、仕組みがどこか間違っている、あるいは、乱れて崩壊していると言ってもよい。そうだったら一番問題になるのは、それぞれの仕組みにある。
今の私はそう思っているんですが、仕組みを持っているものは悪い。そして、その悪さは、仕組みが複雑であればであるほど悪くなるという比例的なタイプなんです。結論として生き物の中でもし人類が一番複雑な仕組みを持っていれば、人類そのものは一番悪いと言ってもよいという、反社会的な結論までも出てきちゃう。
じゃあ、次は人類を滅ぼすべきという、失敗者からのありふれたやけくそに偉そうな言論をしたいやつだろうと考えたらやはり違うのです。人類は神さまができたさまざまなもの中で一番の傑作と思う必要はないという悟りを覚えるだけです。逆に、その神さま自身は、簡単さの美しさを見失って複雑さの極めを追いかけている最中に、意外と一番やっかいに複雑な人類を作っちゃいましたという感じです。余計な複雑、いくらその複雑な仕組みを誇っていても相変わらず余計。余計は余計、それだけ。
余計な複雑さを持っている人類はいくつかおもしろい性質を反映していると思いますが、次のようになる。
本質的に簡単さを好きだけど、ほとんどそれを見失って簡単さを嫌って複雑さを追求してしまう。
よって、
本質的に絶対の整合性がほしいけど、ほとんどそれを見失って整合性を恐れてその場その時の行動は好きになってしまう。
そもそもいろんな場面でもうまく対応できるには、複雑な仕組みが必要になるだろう。そして、根本的に仕組みが複雑な人類ですからその複雑な性質のせいで柔軟な対応がほしくなってしまう。もし究極の整合性を厳しく守っている人間がいれば、その人間を、頑固、執着、融通のない、バカ、愚かな者といったマイナスな形容詞で語っているのです。
本当の美しさを恐れて侮っているのは人間
本当の悪さを好んで誇っているのは人間
数学はその好例です。数学というと難しいと思う人は圧倒的に多いでしょう。だから数学をいったんマスターしたら自慢したくなる人もいるかもしれませんが、数学をマスターして自慢するやつは決して数学者にはなれない。というのも、数学が根本的にわからないのです。逆にいうと数学の本質を見極める人だったらそれだけで自慢する理由はいっさいないと、はっきりとわかっているはずです。なんと言っても、数学者は誰よりも簡単さを追い求めるものだけです。もし複雑さを極めるからこそ誇る価値があるという世界中にも通用している価値観を認めるなら、一番の簡単さを求める数学者は確かに、誇るべきところは一つもないはずです。
数学の教科書で読んで見つけたものなんですが、指数関数(exponential function)を微分(differentiate)して導関数(derivative)を簡単に導出するためのものです。

ご覧のように自然対数eの導入によってできたものですが、知っている人なら簡単、知らない人なら意味不明なもの…
でも、理解という人による「変数」を除いてただその本質を考えてみれば、簡単です。要するに、さまざまな指数関数の形にしても依然として同じ自然対数によって(本質的に)同じ導関数が導出されるという、究極の一致性を見出すための式だけです。
その外見で評価したら複雑で意味不明なものに対してその本質で評価したら簡単に美しいもの!数学への人々の理解はまた次のような結論になる。
本当に簡単なものを恐れて複雑で難しそうなものとして敬遠するのは人間
本当に複雑なものを好んで簡単で易しそうなものとして愛着するのは人間
そして、複雑に見える世界から見失った簡単さへの視点を取り戻そうとするのは数学。
だから、もしあの人が簡単で易しいものが好きだと自称するとする。すると、それは本心なのか口先だけの話なのかと確かめたい場合では、ソクラテス(実はプラント)風の問いかけを通してそう宣言した人に質問して済む。
“数学なんて好きですか?”
好きと答えられるならさらに好きの理由を続けて質問したらいい。さもない、この人がうそをついているに違いない。本質に簡単な数学を嫌う人はそもそも、簡単さを好きに思うことはあり得ないからです。
簡単という立場から複雑へと辿り着くことは難しいと誰でも同意していると思いますが、逆にいうとそうです。つまり、複雑という立場から簡単へと辿り着くことも同じく、難しいというわけです。
もしあなたはいつも“私って何のために生きているのかと”自分で自分に問いかけ続けているのなら、私の答えは、“生きないために生きている”。注意してほしいのは、生きない=/=死ぬ、つまり、そう言われたら自殺するという結論を導き出すことはあり得ないのです。というのも、自殺をする人は、実は、おかしく聞こえるかもしれませんが、けっこう、生きることが好きな人。どうぜ完璧な人生を手に入れないくらいなら死んだほうがましだという気持ちかもしれません。つまり、人間としての完璧な生活に憧れすぎる人はしばしば、失敗を喫したら二度と立ち直せなくて自殺をしてしまうという話です。でも、私の言った“生きない”(生きるをあえて否定する形はややおかしいかもしれません)ことは、生きることの虚しさを十分に認識した上で、寿命が終わったら再び人として生まれ変わりたくなくてより簡単な仕組みのものになりたい。そして究極の存在としてやはり、仕組みのない存在であろうと、意識し始めるのは、“生きない”=生き物に内包される複雑さを捨てるという意味です。複雑さが必要ないものと認識するためには、本心からそう思わなければならない。その本心はどうやって養うのかというと、本当の簡単さを知っていることは必要です。ですから生きることは一種の修行と見なしてもいい。もし人生が虚しいと思ったらその理由を究明すればいい。それは虚しい人の生き甲斐と言ってもよい。
運に恵まれて生まれからすべても当たり前のように手に入れられる人はきっと楽しい。いや、違う。そんなやつはただ、何も知らないばか者で自分が運に恵まれることさえも、いっさい知っていない無知のものだけです。
病気に関するタイトルにもかかわらず自分だけの偉そうな理屈を書いちゃって申し訳ございませんでした。