なぜ西洋古代言語に夢中になるのかについてもう覚えられていないんですが、昔からずっとひとつの野望があった。自分の下手な英語を見返すためにいつかヨーロッパ諸語を制御するようになるという野望。言わずもがな、能力不足のせいで厳しすぎるこの野望は失敗に終わったし、英語の下手さも相変わらず昔とそっくりそのまま、ほかのヨーロッパ言語も断念。少なくとも、長期のドイツ語学習に必要なモチベーションが足りないんです。
そのときに、“退屈な”ドイツ語の学習への断念とともに、注意がフランス語に移り変わってきましたが、急にいい発想が思いついた。古代言語の世界への大胆な冒険を始めるのも、この発想のゆえ。ラテン語の勉強という発想でした。とはいえ、ラテン語じゃなくて古典ギリシャ語こそ、美しい古代言語への道を開拓していた。古代言語への興奮は、イギリス人のSir William Jonesの言葉によって、完璧に語ってくれました。違ったのは、彼の興奮がギリシャ語じゃなくてサンスクリットによっているのです。
“The Sanskrit language, whatever be its antiquity, is of a wonderful structure; more perfect than the Greek, more copious than the Latin, and more exquisitely refined than either, yet bearing to both of them a stronger affinity, both in the roots of verbs and in the forms of grammar…”(サンスクリット語は、どれだけの古さにもかかわらず、素晴らしい仕組みを有し、ギリシャ語よりも完全、ラテン語よりも豊富、両者よりも巧みに洗練されている、と同時にこれらの言語は、動詞の語根と文法の形式によって互いの共通したところを強く示している。)
もし彼が言ったこの3つの古代言語に接触したことがあるのなら、彼の意見に同意するしかないはず。そう、サンスクリットは、より保守的な言語として祖先言語から古いキャラを受け継ぐということで、ギリシャ語とラテン語よりも完全なのです。ギリシャ語とラテン語での不規則の多くは、サンスクリットの視線から見れば規則的なものです。サンスクリットの完璧さは、祖先言語の形態をより忠実に反映しているのではないでしょうか?
まずは、3つの言語の動詞の分類法について見てみます。
ラテン語は、その不定詞に基づいて動詞を4種類に分けている。-are, -ere(最初のeは長母音), -ere(最初のeは短母音), -ireが挙げられている。一見して4つのものがあるにもかかわらず、実は不定詞語尾そのもの(後綴りの-re)は一定している。変わったのは、特徴づける母音だけです。つまり、ご覧のようにa、e(長音)、e(短音)、iが特徴の母音です。これらの母音をギリシャ語(サンスクリットも)の文法で言ってみればthematic vowel(語幹と語尾に挟まれる母音を指す)のようなものです。
ギリシャ語は、動詞の1人称・単数・現在・能動・直説法の語尾に基づいて規則的に活用される動詞をomega動詞、不規則的に活用される動詞をmi動詞と呼ぶ。もう一つの呼び方もありますが、個人的にはこっちが好きで使っているのです。Omega動詞をthematic (適当な和訳がわからないので英語そのまま)動詞、mi動詞をathematic(語幹と語尾には挟まれる母音なし)動詞と呼ぶ。というのも、omega動詞とmi動詞のどちらも、実は、もともとは同じmi動詞だと言えるからです。後でもう少し、これについて言いたいと思います。
サンスクリットは、動詞の語根から現在組織の語幹への作り方によって動詞をクラス1-10に分類する。中のクラス1,4,6,10を、thematic classと呼び、残りをathematic classと呼ぶ。
ご覧のように3つの言語にも独自の分類法に基づいて動詞をいろんな種類に分け、その狙いはもちろん、正確にそれぞれの動詞を活用して文を作るためなんですけど、分類法自身は、Sir William Jones氏が主張しているサンスクリットの優越性を示しているのではないでしょうか。これはいったい、どういうことでしょうか?
正確にそれぞれの動詞を正確に活用するには、
ラテン語
4つの基本形態(principal part)を把握しなければならない。結局、動詞の分類と実際の活用が直結されなくなる。(a)thematic vowelという視点も失っちゃうから動詞の形態も一塊になっちゃう。
ギリシャ語
6つの基本形態を把握しなければならない。ギリシャ語の場合はだいたい、ラテン語と同じだと言ってよいものの、ラテン語よりも語形分析のできる要素を示しているのでそれぞれの動詞変化の理屈がある程度で垣間見える。とはいえ、不明な箇所はやはり多いです。
サンスクリット
語根がどのクラスに属するかさえ知ればよい。サンスクリットの場合では、動詞の分類とその活用が強くつながっているので比較的に語形分析が行われやすいという利点があるので、印欧祖語への再構築にも大きく役立っているわけです。
つまり、ラテン語とギリシャ語の動詞を学ぶたび、ばらばらになった基本形態によらざるを得なかったのに対してサンスクリットの場合では、語根→語幹への分析を体系的に行ったら動詞変形も一目瞭然という優越性なわけです。
これをより具体的に示す手段として3言語の動詞の活用を並列して列挙するべきだったんですが、本気に勉強するのはギリシャ語しかないのでそれは無理なことです。それにしてもサンスクリットの視点をちょっと借りてギリシャ語の動詞を再検討することもおもしろいからやってみます。omega動詞と mi動詞ともmi動詞という発想もこれで生まれるのです。
ギリシャ語の教科書に従って動詞の活用を勉強したらおそらく、次のようになるはず
範例のomega動詞:λύω
1st person singular: λύω
2nd person singular: λύεις
3rd person singular: λὐει(ν)
1st person plural: λύομεν
2nd person plural: λύετε
3rd person plural: λύουσι(ν)
範例のmi動詞:τίθημι
1st person singular: τίθημι
2nd person singular: τίθης
3rd person singular: τίθησι(ν)
1st person plural: τίθεμεν
2nd person plural: τίθετε
3rd person plural: τίθεασι(ν)
語幹を取り除いて人称語尾に専念したら次のようです。
omega動詞:ω, εις, ει(ν), ομεν, ετε, ουσι(ν)
mi動詞:μι, ς, σι(ν), μεν, τε, ασι(ν)
見てわかるよう、2組の語尾を完全の別物とは言えないけど、同じものだと言うのは妥当ではない。でも、サンスクリットとラテン語の語尾も考慮に入れれば、本当に違ったところは、thematic vowelの有無によるだけという事実、判明となっている。
サンスクリットの1-3人称・単数・現在・能動・直接法の語尾を列挙したら次のようです。
-mi, -si, -ti
サンスクリットの語尾からわかるよう、単数の人称語尾が全部母音iで終わるし、人称の変わりとともに子音字がm→s→tが変わっていく。実は、この3つの子音字が印欧語では大変顕著な特徴ですが、なぜ、ギリシャ語のomega動詞にはmiが見られなくなるのか?音韻変遷、それは理由だ。Thematic/athematic動詞でギリシャ語の動詞を分類するとこの視点も容易に思い浮かぶはず。λύωの本来の姿として仮想のλὐομιという推測が容易にできる。音韻変遷の流れは次のようになるかもしれません。
まずは、一番最後にくる母音ιが脱落する。というのも、語尾にはアクセントがないので語尾にくる母音を軽く読むのも当たり前でしょう?時間が経つとともに、そのιもどんどん読まれなくなって結局、綴字として事実に、消えちゃう。ということでλύομι はλύομになるはず。しかし、最後にμ(mに相当)がくるのはギリシャ語では許されないからそのままμも抜けているのです。これで、λύομι はλύοになる。でも、これだけではやはり妥当ではない。音節になるμιが完全に消えると言葉全体の重さもぐっと軽くなっている。それを補償するためには、いま、最後になる母音o(thematic vowel)を延長してωになる。この経緯はomega動詞の起源となるはず。この理屈でギリシャ語の2,3人称も推測できる。要するに、
2人称:εσι→ες(ιが脱落)→εις(失った分を補償してεを延長)
3人称:ετι→ετ(やはりιが脱落)→ει(τが最後にくることが許されずに脱落してεを延長)
おもしろいことに、3人称単数の語尾はmi動詞の場合ではτιじゃなくて σιになるんですが、これはおそらく、ギリシャ人にはτιが発音しにくいのでより滑らかに発音する摩擦音のσ(sに相当)と間違って読むのではないでしょうか。実際の発音はおそらく、ティ→ツィ→シという流れに沿って変わると思います。
もう一つおもしろい箇所として、3人数複数の語尾です。omega動詞ならουσι、mi動詞なら ασιとなる。それはどうして?もし、ラテン語とサンスクリットの同じ語尾を列挙したら次のようです。
サンスクリット: nti
ラテン語: nt
ご覧のように-ntという子音字が特徴です。この特徴に基づいてギリシャ語の風変わりな語尾を理解します。まずは、omega動詞のουσιから始まります。
οντι→ονσι→οσι→ουσι
もともとはサンスクリットと同じντιの語尾を用い、やはりτの発音を滑らかにするようσιになるが、ギリシャ人がνσの連続を頑張って避けようとするのでνを取り除いた。しかし、このν(nに相当)はどうやら、かなりの音声的な重さを持っているのでやはり、失った重さを補償するためその前のoを延長して今度、ουになる。ところでoの延長には2種類があるのですが、ωは、ギリシア人がそれを本当の長母音として意識するときに用いられるのに対して、ουは、補償的延長のものを意識して用いられるようです。この視点によればλύωのωは早い段階でもギリシャ人がもう、それを本当の長母音と誤解して一般化するものという推測も妥当かな?mi動詞の存在は、彼らにとって不規則のものの理由も、わかる。もとのmiへの認識が完全に失ったためです。
じゃあ、mi動詞のασιなら?ουσιの起源を考察するところでも示したように、もとのντのνはかなり重い音だと推測している。このνはおそらく、全印欧語でも失った、いわゆる音節的のn(syllabic n)というものなのではないでしょうか?この歴史的な音素は、ざまざまな形態でいろんな印欧諸語を生き残るのです。サンスクリットは短母音aでそれを表すにもかかわらず、ギリシャ語のασιのαは長母音となっている。それはなぜでしょうか?
まだまだ書きたいけどもうこういう長さですからいったん終わりです。
そのときに、“退屈な”ドイツ語の学習への断念とともに、注意がフランス語に移り変わってきましたが、急にいい発想が思いついた。古代言語の世界への大胆な冒険を始めるのも、この発想のゆえ。ラテン語の勉強という発想でした。とはいえ、ラテン語じゃなくて古典ギリシャ語こそ、美しい古代言語への道を開拓していた。古代言語への興奮は、イギリス人のSir William Jonesの言葉によって、完璧に語ってくれました。違ったのは、彼の興奮がギリシャ語じゃなくてサンスクリットによっているのです。
“The Sanskrit language, whatever be its antiquity, is of a wonderful structure; more perfect than the Greek, more copious than the Latin, and more exquisitely refined than either, yet bearing to both of them a stronger affinity, both in the roots of verbs and in the forms of grammar…”(サンスクリット語は、どれだけの古さにもかかわらず、素晴らしい仕組みを有し、ギリシャ語よりも完全、ラテン語よりも豊富、両者よりも巧みに洗練されている、と同時にこれらの言語は、動詞の語根と文法の形式によって互いの共通したところを強く示している。)
もし彼が言ったこの3つの古代言語に接触したことがあるのなら、彼の意見に同意するしかないはず。そう、サンスクリットは、より保守的な言語として祖先言語から古いキャラを受け継ぐということで、ギリシャ語とラテン語よりも完全なのです。ギリシャ語とラテン語での不規則の多くは、サンスクリットの視線から見れば規則的なものです。サンスクリットの完璧さは、祖先言語の形態をより忠実に反映しているのではないでしょうか?
まずは、3つの言語の動詞の分類法について見てみます。
ラテン語は、その不定詞に基づいて動詞を4種類に分けている。-are, -ere(最初のeは長母音), -ere(最初のeは短母音), -ireが挙げられている。一見して4つのものがあるにもかかわらず、実は不定詞語尾そのもの(後綴りの-re)は一定している。変わったのは、特徴づける母音だけです。つまり、ご覧のようにa、e(長音)、e(短音)、iが特徴の母音です。これらの母音をギリシャ語(サンスクリットも)の文法で言ってみればthematic vowel(語幹と語尾に挟まれる母音を指す)のようなものです。
ギリシャ語は、動詞の1人称・単数・現在・能動・直説法の語尾に基づいて規則的に活用される動詞をomega動詞、不規則的に活用される動詞をmi動詞と呼ぶ。もう一つの呼び方もありますが、個人的にはこっちが好きで使っているのです。Omega動詞をthematic (適当な和訳がわからないので英語そのまま)動詞、mi動詞をathematic(語幹と語尾には挟まれる母音なし)動詞と呼ぶ。というのも、omega動詞とmi動詞のどちらも、実は、もともとは同じmi動詞だと言えるからです。後でもう少し、これについて言いたいと思います。
サンスクリットは、動詞の語根から現在組織の語幹への作り方によって動詞をクラス1-10に分類する。中のクラス1,4,6,10を、thematic classと呼び、残りをathematic classと呼ぶ。
ご覧のように3つの言語にも独自の分類法に基づいて動詞をいろんな種類に分け、その狙いはもちろん、正確にそれぞれの動詞を活用して文を作るためなんですけど、分類法自身は、Sir William Jones氏が主張しているサンスクリットの優越性を示しているのではないでしょうか。これはいったい、どういうことでしょうか?
正確にそれぞれの動詞を正確に活用するには、
ラテン語
4つの基本形態(principal part)を把握しなければならない。結局、動詞の分類と実際の活用が直結されなくなる。(a)thematic vowelという視点も失っちゃうから動詞の形態も一塊になっちゃう。
ギリシャ語
6つの基本形態を把握しなければならない。ギリシャ語の場合はだいたい、ラテン語と同じだと言ってよいものの、ラテン語よりも語形分析のできる要素を示しているのでそれぞれの動詞変化の理屈がある程度で垣間見える。とはいえ、不明な箇所はやはり多いです。
サンスクリット
語根がどのクラスに属するかさえ知ればよい。サンスクリットの場合では、動詞の分類とその活用が強くつながっているので比較的に語形分析が行われやすいという利点があるので、印欧祖語への再構築にも大きく役立っているわけです。
つまり、ラテン語とギリシャ語の動詞を学ぶたび、ばらばらになった基本形態によらざるを得なかったのに対してサンスクリットの場合では、語根→語幹への分析を体系的に行ったら動詞変形も一目瞭然という優越性なわけです。
これをより具体的に示す手段として3言語の動詞の活用を並列して列挙するべきだったんですが、本気に勉強するのはギリシャ語しかないのでそれは無理なことです。それにしてもサンスクリットの視点をちょっと借りてギリシャ語の動詞を再検討することもおもしろいからやってみます。omega動詞と mi動詞ともmi動詞という発想もこれで生まれるのです。
ギリシャ語の教科書に従って動詞の活用を勉強したらおそらく、次のようになるはず
範例のomega動詞:λύω
1st person singular: λύω
2nd person singular: λύεις
3rd person singular: λὐει(ν)
1st person plural: λύομεν
2nd person plural: λύετε
3rd person plural: λύουσι(ν)
範例のmi動詞:τίθημι
1st person singular: τίθημι
2nd person singular: τίθης
3rd person singular: τίθησι(ν)
1st person plural: τίθεμεν
2nd person plural: τίθετε
3rd person plural: τίθεασι(ν)
語幹を取り除いて人称語尾に専念したら次のようです。
omega動詞:ω, εις, ει(ν), ομεν, ετε, ουσι(ν)
mi動詞:μι, ς, σι(ν), μεν, τε, ασι(ν)
見てわかるよう、2組の語尾を完全の別物とは言えないけど、同じものだと言うのは妥当ではない。でも、サンスクリットとラテン語の語尾も考慮に入れれば、本当に違ったところは、thematic vowelの有無によるだけという事実、判明となっている。
サンスクリットの1-3人称・単数・現在・能動・直接法の語尾を列挙したら次のようです。
-mi, -si, -ti
サンスクリットの語尾からわかるよう、単数の人称語尾が全部母音iで終わるし、人称の変わりとともに子音字がm→s→tが変わっていく。実は、この3つの子音字が印欧語では大変顕著な特徴ですが、なぜ、ギリシャ語のomega動詞にはmiが見られなくなるのか?音韻変遷、それは理由だ。Thematic/athematic動詞でギリシャ語の動詞を分類するとこの視点も容易に思い浮かぶはず。λύωの本来の姿として仮想のλὐομιという推測が容易にできる。音韻変遷の流れは次のようになるかもしれません。
まずは、一番最後にくる母音ιが脱落する。というのも、語尾にはアクセントがないので語尾にくる母音を軽く読むのも当たり前でしょう?時間が経つとともに、そのιもどんどん読まれなくなって結局、綴字として事実に、消えちゃう。ということでλύομι はλύομになるはず。しかし、最後にμ(mに相当)がくるのはギリシャ語では許されないからそのままμも抜けているのです。これで、λύομι はλύοになる。でも、これだけではやはり妥当ではない。音節になるμιが完全に消えると言葉全体の重さもぐっと軽くなっている。それを補償するためには、いま、最後になる母音o(thematic vowel)を延長してωになる。この経緯はomega動詞の起源となるはず。この理屈でギリシャ語の2,3人称も推測できる。要するに、
2人称:εσι→ες(ιが脱落)→εις(失った分を補償してεを延長)
3人称:ετι→ετ(やはりιが脱落)→ει(τが最後にくることが許されずに脱落してεを延長)
おもしろいことに、3人称単数の語尾はmi動詞の場合ではτιじゃなくて σιになるんですが、これはおそらく、ギリシャ人にはτιが発音しにくいのでより滑らかに発音する摩擦音のσ(sに相当)と間違って読むのではないでしょうか。実際の発音はおそらく、ティ→ツィ→シという流れに沿って変わると思います。
もう一つおもしろい箇所として、3人数複数の語尾です。omega動詞ならουσι、mi動詞なら ασιとなる。それはどうして?もし、ラテン語とサンスクリットの同じ語尾を列挙したら次のようです。
サンスクリット: nti
ラテン語: nt
ご覧のように-ntという子音字が特徴です。この特徴に基づいてギリシャ語の風変わりな語尾を理解します。まずは、omega動詞のουσιから始まります。
οντι→ονσι→οσι→ουσι
もともとはサンスクリットと同じντιの語尾を用い、やはりτの発音を滑らかにするようσιになるが、ギリシャ人がνσの連続を頑張って避けようとするのでνを取り除いた。しかし、このν(nに相当)はどうやら、かなりの音声的な重さを持っているのでやはり、失った重さを補償するためその前のoを延長して今度、ουになる。ところでoの延長には2種類があるのですが、ωは、ギリシア人がそれを本当の長母音として意識するときに用いられるのに対して、ουは、補償的延長のものを意識して用いられるようです。この視点によればλύωのωは早い段階でもギリシャ人がもう、それを本当の長母音と誤解して一般化するものという推測も妥当かな?mi動詞の存在は、彼らにとって不規則のものの理由も、わかる。もとのmiへの認識が完全に失ったためです。
じゃあ、mi動詞のασιなら?ουσιの起源を考察するところでも示したように、もとのντのνはかなり重い音だと推測している。このνはおそらく、全印欧語でも失った、いわゆる音節的のn(syllabic n)というものなのではないでしょうか?この歴史的な音素は、ざまざまな形態でいろんな印欧諸語を生き残るのです。サンスクリットは短母音aでそれを表すにもかかわらず、ギリシャ語のασιのαは長母音となっている。それはなぜでしょうか?
まだまだ書きたいけどもうこういう長さですからいったん終わりです。