ブログのドメインにしている<heliotrope>とブログタイトルとHNにしている<香水草>について語りたい。

heliotrope(以下カタカナで)はこんな花。

そして和名が香水草。

そしてわたしはヘリオトロープは大正の花、と思い込んでいる。(独断)
実物の花は見たこともないが、そんな思い込みを心に植え付けたのは、吉屋信子の「花物語」の<ヘリオトロープ>と北原白秋の「室内庭園」という詩だった。
それぞれ、印象的な部分を引用する。

<ヘリオトロープ>
旅人の袖にふれなば移り香の、
消えもやらざるあわれさに、
人は名づけぬヘリオトロープ
あわれ、その花の持てる言葉は
―献身を意味ししかして、執着を表すも悲しからずや

 

室内庭園」
晩春の室の内
暮れなやみ、暮れなやみ、噴水(ふきあげ)の水はしたたる…
そのもとにあまりりす赤くほのめき、
やはらかにちらぼへるヘリオトロオプ。
わかき日のなまめきのそのほめき静こころなし。

ヘリオトロープの移り香……香りの強さから、執着が強いという意味合いの花言葉がいたく気に入ったのである。
花を見たことがなければ、もちろんその香りも知らないが、ネット検索によれば、バニラのような甘い香りらしい。

ヘリオトロープが移り香を残すように、わたしの心に強くとどめ、執着(恋着)を示したことをこの香水草手帖に書いてゆきたい。

そうして今、わたしの心に強くとどめているのがフォレスタの財木麗子さまの歌だった。

ブログだけれど、別に交流や共感は求めず、こんな風に思っている者もいる、という意見の表明の場、というのが大げさならば、何かに心動かされた時の感情の発露の場。(独りよがりな独り言である…)

 

はてなブログのほうで麗子さまについて綿々と綴っていたが、こちらでも書いてゆくことにした。はてな版<香水草手帖>より記事を一部貼り付ける。

 

後日、麗子さまにDMしたら、このブログを見てくださった模様…!!

(ご本人と繋がれたことに衝撃しかなかった)