きのう、ホワイトライ (White Lie) という記事を投稿した。

 

嘘は嘘でも、

結果的に誰かが傷つくような

人を騙す目的の利己的なものではなく、

誰も傷つくことのないもの。

 

心に忠実でいる、自分にとっての真実や

良心の促しに対し誠実でいるために

大事なことを守りぬくために

 

それを言っても誰も傷つけることのない、

ささいな方便を使うこと。

 

一期一会のその瞬間、目の前の人への

精一杯の愛の表現がそういう形を

とることもあるかもしれない。

 

自分の心に忠実なまま、

愛をもって自分にとっての真実を

伝えられれば、それがベストだとしても

 

状況によっては

不要に心身をすり減らさないために

 

ホワイトライという形でお互いを

守るのも、ありだと今は思う。

 

嘘をつかれることが嫌いで

嘘をつくことも好まない。ホワイトライですら。

けれど、今はそういうふうに思っている。

 

 

.....これがきのうの投稿。

 

(真意を汲み取って賛同コメントをくださった方

ありがとうございます! )

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意に染まないことを半強制的にさせられそうに

なったときの、あるいはそうするのが前提

みたいな空気になっているときになぜ

それをしないか問われたときの、

受け答えのいくつかを聞いて思ったことを

書いたのがあの記事。

 

 

けれど撤回。

 

 

なぜなら、書いた後なんとなく違和感を感じて

あらためて振り返ったとき

 

ホワイトライが本当に必要な状況を

思いつくことができなかったから。

 

そして嘘に対して、私は以前のように

反応することはもうなくなったけれど、

いまだに嘘をつかれることは嫌いだし

嘘をつくことはホワイトライですら好まないから。

 

 

(本音と建前というものがあると知ったのは

大学生の頃。ショックを受けたのを覚えている。)

 

人を傷つける意図がないものであっても嘘は嘘。

 

極秘プロジェクトに関わっていて

本当のことが言えないような状況下でも

根の正直さゆえに嘘をつくのが下手な人が好きだ。

 

だから「人がホワイトライを口にすることを

否定はしない。でも肯定もしない。」というのが

私にとって本当のところ。

 

関わりの浅い人だったらともかく、

耳に心地よくない内容のことであったとしても

本当のことを言ってもらえる方がありがたいし、

本当のことをサラッと言える人でありたい、と私は思う。

 


 

 

P.S.

ある時期からシャイで無口になっていた私には

「サラッと」という部分がとても難しかった。

段々それができるようになってきたのは、

クリーニングやクリアリングの継続と

ACIM (奇跡講座) のおかげ。

 

〜kyoko🇳🇱MAULIOLA

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