先日は、次なるステップ、
バランスセラピー
認定ストレスケアトレーナーの入学試験でした。
たまの試験は、客観的に見れるし、試されることで感覚が呼び覚まされいいですね~。
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試験の前に、
私の先生、吉田恭子さんにひと月ぶりに、ホメオストレッチというケアをしてもらいました。
(詳細の説明は別の機会に…)
どこか夢中で、コンディションがどうかも立ち返らない時が、意外にあぶないですよね。
良導(ケア)中、身体がぴくっと勝手に動いたり、
私は弱点として喉や鼻、呼吸器系に出やすいのですが、突然咳き込んだりして、
汗をかいたり、
思っていたよりもずっと派手な解放が起こりました。
身体は正直…とわかってるつもりも、自分のからだの状態を自分でつかむ感覚は結構当てにならない。
せめて局部的な不調を感じるのがやっとで、全体でみると、ピントはボケボケです(。 ノ∀<)σ
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私はあんまりしてる感覚がなくて、育児という言葉にすらピンとこないのですが、
一歳くらいまでの今のところ(いい時期ですねぇ)
お世話する中で、いろいろありながらもよろこびの方が勝り、日々ほんとに味わい深く、めちゃくちゃ楽しいんですね(´◡`๑)
その中で、子をはじめ家族の状態は感度高くキャッチしようとしても、それを感じ取る自分を感じ続けることは、びっくりするほど難しい。
相当ストイックに脱力!?
がんばらないことをかんばらない
とまずできない。
もちろん、ちっちゃいかいじゅうにより、ものごとの中断を余儀なくされたり、キーっとなることもあるけど、
それよりも、
なにやってても、
どんなでも
まるごとかわいいコンニャロー♡でまとまる。
あり余る魅力に、歯をグッと噛み締めていたり、
ギュッと抱きしめるがゆえ、肩が上がり、前に巻き込まれていたり、
米俵相当の重さをへっちゃらで抱えてたり、
負荷だけでみたら、心身実にちぐはぐです。
かわいすぎて疲れる…。
そうなんです。
ならば、放っておけばいいものを、自ら進んで前のめりに関わっていたい。
巻き込まれる。
見る角度は異なりますが、
この妙な状態がテンション高いまま、長きに渡って成立するのが育児なんですね。
よく語られるガツンとわかりやすい大きな悩みによることよりも、
このあたりの方が、じわじわきて、からだの偏りを放っておくとこころはじめ様々な現象として現れる、疲れの正体かなぁと私は思います。
つまり、日常のからだの使い方、喜怒哀楽すべて「刺激」には違いなく、それなりに疲れは溜まる。
自分自身では、やれてしまうことには際限なく進んでしまうし、
逆に何かをしない、やめる、
心身をゆるめる、
脱力することに関しても、
微妙に従来の自分の価値観やら、何かとコントロールが入ってしまう。
ある程度ニュートラルに戻るための、積極的な受動って大事。
そして、ゆるんだ身体にしか宿らないことのいかに多いことよ。
でも、自分ではなかなか…。
第三者に、ただからだの動きをゆだねることで、自分自身の自動反応をオフにして、思考の雑音から離れ、静寂の中に身を置いて、やっと少しずつゆるめることができる。
からだがゆるむと、こころをはじめ、いろんなのことが、本来のゆらぎを経て、しっくりくるところに収まる。
起こることが起こって、ストンと受けて、淡々と行動をできるエネルギーが内から湧き出て戻ってくる。
この素敵な波に、いつのまに乗れてるのは、リラクセーションの効果のひとつ。
肩の力を抜いて…と周囲に言われ続けた私が、リラクセーション学を実践し、ケアをする側になっていくわけですが、
まぁ、わかりにくいし、伝えづらいし、自分ですらふと気を抜くと後回しにしがちな分野です。
だからこその活動ですね~(´◡`๑)
その過程ならではの、体感や変化も含めて、このBlogに記録していこうと思います。
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息子、大天使ワラエルはフォーマルな装いでとうちゃんと法要へ。
12時間の別行動もなんのその?
「どこ行ってたんだよぉ~」って感じで、安心するもちょっぴりさみしくもあるけど、後追いもひと区切り、人見知りもなくごきげんさんჰ❛‿❛ჴ