日本における司法独立の破壊の実態 | アルマンのブログ

アルマンのブログ

ブログの説明を入力します。

 

日本における司法権独立破壊の実態

 

村山武俊

 

 

 今日、日本の刑事及び民事裁判の大部分において行政権との癒着あるいは一体化と評価される事例が頻発している。係る事態が招来されたのは、個々の日本の裁判官の意識または現在の裁判所の体質や慣習から来る瞬時的条件反射反応姿勢によるのではなく、日本の司法構造が置かれた近現代の歴史的状況及び現今の国際情勢に深く規定されているためである。これらについての認識がなければ司法権独立の危機の本質を正確に捉えることはできない。

 司法権の独立は三権分立の中核に位置し、絶対的な法の支配に基づく自由結合体制の要であるところから、これが侵害されることは当該体制にとって深刻な脅威をもたらす。それ故にこの本質についての正確な認識を持つことは完全な自由の確保にとって喫緊の要請なのである。

 まず国際情勢から敷衍しよう。1989年のヨーロッパにおける冷戦構造の終結を経て、旧西側陣営を構成していた資本主義諸国では、冷戦の「勝利」をもたらしたものが資本主義原理の優越性にあるとの思想的合意が拡散し、これに則って所謂「新自由主義」が主流的思潮となった。この考え方を要約すると、アダム・スミス的自由放任政策を経済の全領域に拡大すれば、そこに内在する予定調和的淘汰力が社会に全面的に浸透し、経済における生産、流通、分配の各局面において物的利益の合理的配分が自動的に達成されるという、非実証的信念に身を委ねることが新しい時代を切り開くというものであった。

 勿論これは集団主観的信念に立脚したドグマなので、現実にどのような事態が進行するのかは歴史の審判に委ねられていたのだが、果たしてそれは、この思想が確立されてから1つの世代が入れ替わる約30年の時を経て、至る所で破綻を示し、現時点で世界全体は耐え難い経済格差の下に呻吟していることから、思想史上においては破産と評価される事象を招いたことになる。その原因をここで詳述することは本稿の目的から大きく逸脱するので、要点だけを簡潔に示すに留めたい。

 要するに、アダム・スミス的自由放任政策で富の合理的配分が確立できるのは、完全競争市場における個別の私財分配に現れる価格メカニズムのみであり、この対極にある財の集約たる資本蓄積の局面においては「神の見えざる手」は独占の力によって隠然と遮断され、「人の見える手」による邪悪さが拡大横行し、予定調和は達成されず、悪魔の貧困が導き出されるということなのである。

 この悪魔の貧困を解消するには個別財分配の価格メカニズムに宿る「神の見えざる手」に消極的に期待するだけでは足りず、独占に立ち向かう何らかの善意または信念に導かれた「人の見える手」の積極的介入が補充的な形でも不可欠であるとの暫定的仮説を試行するのが妥当であろうという茫漠とした予感を人々に植え付けつつある。この経済現象から洞察される構造は人間存在が神との対話及び悪魔の誘惑に常に晒され、そして善悪の二面から常に牽引されつつあるという哲学的神学的蓄積知に照応する

 独占に立ち向かうという抽象的理念からどのような経済政策を導くのかといった包括的な思想形成はまだなされていない。反トラスト法に規定された部分的政策が列挙されているだけである。マルクス主義は経済格差に対する根源的疑問を剔抉したものの、それを資本主義全体の帰結と考え、その内部の構造的区分に対応した分析を提示した訳ではない。そのため資本主義の全面的打倒という政治的指針を示したが、その政治的改良の道には背を向けたのであった。

 (簡潔に整理すれば、純粋私財を市場における価格流通に委ねるか、公共財を国家配給に委ねるかの問題になる。純粋私財の市場分配の合理性と、公共財の国家配給の必要性が揺らぐことはない。問題になるのは、中間財たる私財と公共財の性質が併存した財を市場と国家のどちらに委ねるのかの政策選択である。これを純粋私財だけに染めるのが「新自由主義」であり、公共財一色にするのがマルクス主義であった。

 しかしこの一元化は財の一般的性質から甚だしく乖離しているのであって、そこから導かれる経済政策も必然的に偏倚性を持つことから破綻せざるを得ない。財の配分に関する合理性と必要性という政策目標に応じ、当該財の需給状態を考慮に入れながら、最適の「ポリシーミックス」を選択するというのが叡智の指し示す方向であろう。このような折衷的な技術論が入ってくることは「新自由主義」やマルクス主義のイデオロギーにとっては不純な背教に映るだろうが、人類は経済政策にイデオロギーを持ち込む疑似宗教的実験の不毛さにそろそろ気づかなければならない。

 なお上記のことは財の分散配分に関する問題であって、財の集約たる資本蓄積については別の考察が必要である。ここでは企業分割に行きつく競争政策の貫徹か、国有化などの国家介入かの方法の是非が問われるが、これを詳述することは本稿の目的を大きく逸脱するので割愛する。ただ商品と資本蓄積の区別及び私財と公共財の区別という思考の基本的枠組はどのようなイデオロギーまたは経済政策を採用しようと、絶対に看過されてはならない。

 また財の集約たる資本蓄積はそれによって産み出される財の性質によっても規定される。例えば公共財を生産する資本を構成する私財は公共財としての性質を併有する。財に対する経済政策の選択に当たってはこの重層的連関性も十分に考察されなければならない。

 ここで言うマルクス主義とはロシア・ボリシェビキによって教科書体系化されたドグマ群のことである。ロシア・ボリシェビキの罪障がどれほど大きいとしても、マルクス個人の天才性が洞察した資本主義の本質たる所有権の権力作用とそこから生じる疎外の描出の功績は不滅である。)

 しかし漠然と言えることは、人間の欲望の暴走が作り出した独占の魔力を人間が管理できなければ経済格差に対する有効な処方箋は永久に示されないであろうことは多くの思想家の共通了解事項になりつつある。(自由放任の祖であるスミスもそれが人的経済活動の全面に及ぶとは考えていなかった。そのため『道徳感情論』という倫理学的大著に多大なエネルギーを投入したのである。それ故に「新自由主義」の説く素朴な全面的自由放任への回帰は資本蓄積における人間の権力的恣意性の介入を糊塗する意図を隠した粉飾イデオロギーであると考えざるを得ない。)

 経済政策の定式化は多くの要因の相関関係を定量化して適正に因果連鎖に組み込むという社会科学的作業を要する。そしてこれが人間社会の事象であっても、この連鎖を部分的にでも方程式で表現すれば、自然科学的厳密性を装うことができる。これは優れて専門家の独壇場と言える作業に委ねられる一方で、広く大衆の行動を導く時代的思潮となるには自明で包括的媒介者の存在が不可欠である。残念ながら今の世界はまだこの媒介者の登場を見ていない。そのため救世主出現の前史を形成する如き預言的諸予兆群に満足しなければならない。

 その予兆とは、邪悪な独占をシンボリックに表象するもので、何人の感覚にも最も端的に現れるのが独裁者による専制政治と巨大グローバル企業の悪行への警鐘である。具体的に言えば、自由な選挙制度が確立されたはずのロシアでヒトラーを模倣した合法的恒久政権奪取に成功したプーチンと、鄧小平理論への転換によって組織原理としてスターリン主義を温存しつつ市場経済の機能だけを吸収して開発独裁を効率的に達成した中国共産党と、GAFAMに代表される巨大IT企業群が行う下請けや競争企業に対する暴虐がもたらす諸現象である。

 この諸現象を近代社会以来多くの人々の共通常識にまで固着された言辞で表現するならば、自由と民主主義に挑戦する新たな専制政治、人権を中核とする法の支配、三権分立と司法権の独立を統治的制度保障とする実質的法治主義の全人類的規模での普遍的拡散に反対し、民族宗教や世界宗教の特定教義の神聖化または世俗的文化相対主義を仮装しつつ、自己の国内において強権支配を絶対化する国家群の出現による人類社会の分断と政治的二項対立である。

 特に「リーマン・ショック」による先進資本主義国の混乱の隙を衝いて開発独裁を完遂し、世界一の経済大国の地位を伺うまでになった中国共産党の鼻息は荒く、自由民主主義と実質的法治主義に対する頑強な抵抗を実証するため、香港の一国二制度を破壊し、ウイグルにおけるジェノサイドを敢行し、台湾の武力侵略を視野に入れている。

 中国共産党のこの新たな挑戦は既に皇帝になり掛かっているプーチンの心理的支えになり、その手先であるベラルーシを鼓舞し、自己の膝下においてはミャンマーの軍事政権の後見人として悪のエネルギーを縦横無尽に放散している。そしてこの波動に最も影響されているのが我が日本である。

 日本はアメリカに対する追随の延長で「自由で開かれたインド太平洋構想」の名の下に「法の支配を共通の価値観」とする外交を標榜しつつ、国内政治においては自由民主主義と実質的法治主義に対する抑圧と事実上の無効化に日々拍車を掛けている。つまり表と裏で全く逆の理念を実行するという究極のペテン的二枚舌政治を展開している。これは日本政府の明示的政策ではなく、与党、政府官僚機構及びその主要支持勢力内部の組織原理から日々派生する行動パターンと慣習的意識の蓄積で形成された短期文化的行動群によって黙示的に告示されるものである。したがって日本政府自身もこの黙示的構造を理論的に把握するには真剣な自己批判的再自覚が要求される。言い換えれば、日本の二枚舌政治は完全な無自覚と偽りの善意に上に惰性で実行されているのである。

 日本が行動面で中国共産党と併走する結果になる理由は日本の国内政治を動かす主たる動機が高度経済成長期に蓄積した諸々の既得権益の死守を至上命題としているためで、この点において、開発独裁の果実を死守しようとしている中国共産党と共通の物質的基盤に立っていると言えるためである。(戦後日本の体制が死守しようとしている既得特権は政・官・業の所謂「鉄のトライアングル」と呼ばれる談合組織と、これに寄生する学者及びマスコミの五者で形成される「特権ペンタゴン」によって保持されている。このペンタゴンは「日本総談合体制」と名付けるのが妥当であろう。この体制の母体は日本人にとって最終的な「ユートピア」である徳川鎖国体制にあることは今日では多くの者が既に気付きつつある。現代の日本ではこの体制を変革すべきことを唱える言辞が情報商材として巷間溢れているが、それが実行に移されることはなく、日本人はこの体制と心中するのである。)

 それ故に日本と中国共産党は表現の形態は一見正反対に見えるものの、根底においては自由民主主義と実質的法治主義を無力化し、延いては人権を無価値化するという目的を共有しているのである。この二国は言わば現代における反人権の巨大二連星をアジアにおいて樹立したのである。そして全世界の人権無力化渇望勢力の希望の星になっている。

 この日中人権無力化共同作業は政治的同盟とは異なる。外交上のあらゆる同盟は公式の目的を有するが今日の国際法体系の下では人権無力化を公然と掲げる同盟を締結することは困難である。そのため本来ならば日中にロシアも加えて反人権三国同盟を形成することが望ましいが、それは容易に実行できない。そこで反人権各国は明示的条約ではなく、慣習的連携で人権無力化の実績を積み重ねているのである。(表面上は政治同盟の性格が希薄な「上海協力機構」のような外交クラブならば、その裏に反人権連携の実行司令部を埋め込むことができるであろう。)

 上述したように、中国共産党の公然たる専制政治の聖典はスターリン主義の継承物たる「民主集中制」であった。では日本の隠然たる専制の聖典は何か? それは上述した専制原理の1つである民族宗教の神聖化を背景として、明治憲法体制の末期に登場した日中戦争以降の戦時の名目による国家総動員体制において顕在化することになった行政権力の肥大化に対応した、満州国で計画経済の実験を行った「革新官僚」と呼ばれるエリート官僚エートスの継続に他ならない。

 これは明治憲法から現憲法に移行する際、そこで行われた主権の帰属先の変更という純粋に法学的な意味での革命の意味が明瞭に意識されることなく、統治エリート層の年次序列の自然的引継ぎという慣習に無批判的に寄り掛ったこと、換言すれば、統治エリート層のパージの不徹底による無責任体制で助長されたのである。(明治維新において徳川幕藩体制から薩長太政官制に移行した時には統治権の帰属変更は行われず、大政の関東一任か親政かの統治権の行使方法の相違があっただけで、革命は行われず、名目上の体制の連続性が保たれた。しかしそうだからと言って、徳川幕府の寺社奉行と明治政府の内務大臣の権限が外形的に近いということで、後者が前者の先例に依拠することは考えられなかった。それを裏付けたのは薩長による徳川旗本の徹底的なパージだったのである。)このパージの不徹底は大戦後直ぐに冷戦期に移行したため占領軍たるアメリカによって主導されたことから、新たな権威を獲得したのであった。その後高度経済成長時代に突入すると、この肥大化した行政権は既得権益保全の梃子に応用されることで、存続の大義名分を保持することになる。

 端的に言って、行政権の肥大化は必然的に三権分立の否定形としての行政権の一権屹立という運用理念を生み出す。これは統治権の常態的行使形態であり且つ三権の境界たる司法と行政の狭間において最も顕著に現れる。別の表現を行えば、司法権の独立の徹底した形骸化である。この運用理念の遂行のためには導きの糸として多くの者が拠り所にできる感覚的表象が必要であった。それを担ったのが明治憲法体制における旧司法省の組織モデルである。

 戦後の法務省は旧司法省が有した法曹全体に及ぶ支配監督権を解体したように見える。法制局は内閣に移され、判事局は最高裁判所の事務総局に衣替えした。弁護士会は独立し、他に例を見ない強度の自治権を保障された。しかし旧司法省の権力の核心である検事局と検察庁の組織はほとんど手を着けられることなく温存された。

 元々旧司法省においては事実上の総帥であった検事総長の平沼騏一郎の指揮の下本省内の検事局が主導権を握り、「検尊判卑」と言われる検察支配と裁判所の隷属現象が形成されていた。つまり司法権独立の芽が早々に摘まれていたのである。この役所をモデルとして再び使うというのであれば、この現象もそのまま引き継ぐのは当然のことである。それは総帥の平沼が戦犯となって権勢を喪失しても変わることはなかった。(元々司法省は明治維新において江藤新平による日本の早急なフランス化のための推進装置として輝かしく起動した。しかしその後平沼の荘園に転落することで自らを「三流官庁」に貶めることになった。)

 これは司法省のライバルである内務省の解体とは全く異なる。内務省においてはその権力の核心である警保局が有する地方県令と地方警察に対する一律の支配権が根底から否定された。内務省の解体は占領軍の初期段階の政策形成をリードしていた左派のニューディール派が盤踞していた民政局が主導したのだが、解体はされたものの一定の力を保持していた警視庁が内務省攻撃への恨みから占領軍の軍人の汚職事件を容赦なく摘発し始めたため、占領軍はこれに対処する必要が生じた。

 そこで白羽の矢が立ったのが東京地方検察庁であった。ここに特捜部を作ることで強力な捜査権を付与し、汚職事件の捜査が占領軍に及ぶことを阻止し、併せてこれを裏から補強するため旧司法省の実質的再統一が策動された。要約すると、東京地検特捜部というのは政官界を掣肘する独立した強力な捜査機関として創設されたものではなく、占領軍の汚職を隠蔽するため、その直属の走狗機関として敷設されたのである。

 見方を変えれば、日本における司法権独立の破壊という違憲活動は占領軍内部の反共姿勢への転換という所謂「逆コース」によって開始されたのではなく、左右両派の統一的意思によって口火が切られたのである。(それ故にこのような組織が「日本最強の捜査機関」などと言われるのは笑止千万でしかなく、常に国策捜査に邁進し、検察人事を巡って確執のあった吉田茂派とその後継者の贈収賄事件しか立件せず、岸派の系統には手を着けないという偏頗な政治的職権行使しかできなかったとしても、その発足時に占領軍から植え付けられた遺伝子祖型を考えれば当然の帰結なのである。

 《安倍内閣の末期に検察は政権から検事総長人事への容喙を受けた。これは吉田茂の指揮権発動以来の強力な干渉であった。これに対して検察は清和会に報復できるのか? その動向を決するのはアメリカの意向に他ならない。清和会は伝統的に親米派閥であるので、直属のお抱え捜査機関である日本検察を制止する可能性が高いと考えられる。》

 占領以前の旧司法省時代においても総帥の平沼は陸軍長州閥と呼応して海軍薩摩閥の弱体化に協力する形でシーメンス事件に徹底的に便乗した。つまり旧司法省レベルの狭い法治の確立よりも邪な政治闘争を優先するという行動原則は占領以前にその素地が完成していたと言える。卑小な精神に猥雑な邪念が結合したのである。

 平沼は、低次元とは言え、仮にも法の優位を示すために政府内における司法省の権威上昇を策したのであろう。しかしその第一歩となるはずであった長州閥田中義一の機密費横領問題の捜査の過程で配下の検事を殺害され早々に断念に追い込まれた。

 その後、自らが首相になる野望と相俟って、「帝人事件」をでっち上げることで大蔵省攻撃を行ってこれと並立することを画策するものの、杜撰な証拠管理が災いして無残な失敗に終わる。結局のところ、平沼が自己の荘園の付属物でしかない使用人検事をどれほど頤使しても、達成できることに限界があったのである。)

 つまり法務省と最高裁判所と弁護士会に分属させられていた司法権の一体的運用が占領軍の後押しで復活したのである。これは本来目的が全く異なる「法曹一元」の名の下に、その名目とは逆の方向で作動させられることで法曹界全体に浸透して行ったのである。

 この司法権の一体的運用は旧司法省の組織上の復活という形を取らず、三権分立の外形は維持したままで、法曹関係者の意識の中における連携行動で慣習的に蓄積されていったのである。これは先述したように、経済成長に伴う権益死守という物的基盤に加えて、日本人の先天的権威主義と強度の同調指向によって心理的にも支えられていた。(戦後の司法権の一体的運用は旧司法省検事局の組織的残滓である最高検察庁に蝟集した法務省検事がその中枢となった。そのため内閣所属の一行政機関としての法務省の位置付けから、これは必然的に行政一権屹立を導くことになった。

 また司法権の具体的行使形態である個別裁判においても、まず検察が主催する刑事裁判において長年形作られてきた、起訴された時点で有罪が決定されているという拷問とセットになった異端審問の施行形態であるスペイン風の宗教裁判様式が一層強化され、これが民事裁判の領域にも拡大されていったのである。《拷問の常態化は明治以前の徳川町奉行における犯罪取調で確立され、長い伝統を有していたため、明治司法省はこれに則れば良かった。徳川町奉行には宗教裁判的発想はなかったが、単に権力の威嚇を被支配者たる町人に見せつけるため拷問を多用したのであった。戦後の検察による拷問は明治的異端審問の性格が希薄になった分、徳川的見せしめ権力威嚇の要素が復活しつつあると言える。》

 民事裁判では拷問は取り得ないが当事者の身分的属性によって判決の結論が先験的に決められ、法廷での弁論が儀式化されるという形で、行政一権屹立制度の下、刑事裁判で確立された宗教裁判様式が法務省の代わりに裁判所自身の手によって浸透していったのである。

 法務省に残された最後の仕上げの仕事は、「特権ペンタゴン」の番犬の元締めの役割を負う、旧司法省時代の思想検事に相当する役職を設置することである。しかし思想検事の精神的支柱は国体概念であったが、これを現在の経済利権の権益死守に置き換えるのは容易ではない。そのため精々国策捜査を確実に貫徹し、その中で「人質司法」を可能な限り濫用して、心理的拷問による恐怖支配を固めることで当面は満足しなければならないであろう。)

 そしてアメリカはさらに警視庁をコントロールするため公安部を設置し、スパイ摘発を掲げることで東京地検特捜部と並ぶ両輪として国務省の配下に置いて今日に至っている。当然のことながら、この警察と検察の事実上の統括指揮には国務省に対抗する諜報組織を持たない日本の内閣の力は一切及んでいない。これは在日米軍の管理運用を担当する日米合同委員会と並んで、日本がアメリカの植民地政府であることを担保する強力な権力装置なのである。(国務省の日本検察と警察に対する統括的指揮権はスパイ摘発分野以外にも拡大された。予期せぬ事態で捜査資料が米議会に流出して顕在化したロッキード事件において、これに関与した自民党の主だった派閥領袖たちの中から主犯を田中角栄に限定して事件の収拾を図るよう東京地検特捜部に指示したのは国務省であり、その後の捜査と裁判はそのシナリオに沿って進められた。)

 以上に述べたように、最近の日本で頻発している法曹三者による談合犯罪を誘発する基盤は、日本の近代史、特にアメリカの強い影響下にあった占領政策によって形成され、ここ十年来は同じ権益独占を強く指向する中国共産党を最高の同志とすることで維持強化されている。

これによって人権無力化という高次の目的を共有する中国共産党と日本は表裏一体となってこれからも着実にこの目的を遂行していくであろう。今後日本の国力は中国に比して相対的に低下していくことが見込まれるので、この人権無力化共同作業は中国共産党が明示的に目標を設定し、日本がこれに「夫唱婦随」的に呼応する形態を取るであろう。換言すれば、人権破壊の主星たる中国共産党の周りを日本がその護衛の如き衛星として公転するのである。(今日の日本の行動形態において、外国人の人権を全く認めない入国管理行政の実態を見れば、中国共産党の衛星ぶりは明白である。また日本政府が「世界人権宣言」以来多く積み重ねられてきた国連などにおける国際人権法の深化に全く関心がなく、その法規範性すら認めていないこと、国連で提唱されている「国内人権機関」の設置に徹底的に背を向けていること、あるいは裁判所が奇妙な相場観を持ち出して準人権的な領域に属する人格的利益の不法な侵害に対して異常に低額な賠償しか認めていないところにも現れている。このような諸行動は中国共産党のウイグル・ジェノサイドと双璧をなす人権無力化の記念碑的事業なのである。

  一方中国共産党を核心的指導部とする人権無力化世界連合に対抗するはずの西欧人権連盟深刻な危機にある。2001年のニューヨーク同時多発テロによってアメリカは古典的十字軍を再編成し、イスラエルの先導によって中東全体を戦場にした。この結果、大量の移民が発生し、西欧諸国の白人既得権層の没落の引き金を引くことになった。その結果として、この階層を中心に右翼ポピュリズムが勃興したが、そこで標榜されたのが「白人自由主義・民主主義」であった。

  この動きは自由と民主主義の総本山たるアメリカ合衆国の大統領が自ら自国の議会に対し自分の支持者に武力攻撃を示唆することによって頂点に達し、この運動の余韻は今後10年以上続く可能性がある。要するに、「白人自由主義・民主主義」はその適用範囲を白人に限定することから、有色人種をその射程外に置くことになる。その結果、中国共産党の人権無力化作戦もそれが有色人種に限定される限り「白人自由主義・民主主義」の間に原理的な対立は起こらない。この点において「白人自由主義・民主主義」は中国共産党にとって影の偉大の後援者となるのである。

  今後中国共産党と「白人自由主義・民主主義」が世界を二分する闘争を繰り広げたとしても、それは権力争奪戦に過ぎず、真に普遍的な自由主義と民主主義は窒息することになる。2020年現在のこの地球上において、法制度面は別として、主要な政治的潮流としての真に普遍的な自由主義と民主主義は死滅したと言える。)

 この場合、日本がアメリカの植民地のままであるという被支配様式は何の障碍にもならない。アメリカの日米同盟関与は経済的軍事的権益維持を主たる動機としているのであって、人権の拡充は表層的な言辞上の弱い補足的理念に過ぎないからである。これは米中の軍事外交政策の角逐の中で劣後的取引材料にされるだけであろう。そして日本は、この国際闘争の渦中において、口先では「米中対話を促す独自の調停外交の確立」をお題目として、体のいい外交上の鎖国を維持しながら、戦後経済権益死守を至上目的とし、人権無力化だけは確実に実行して行くのである。(ここにおいて日本国内では「リアルなパワーポリティクス」を標榜する外交評論家風のコメンテーターがしたり顔で国家戦略を説教し、ワイドショーなどで人権理念を「ナイーブな理想主義」として冷笑することで、一般人にも日中連携を植え付けていくであろう。《日本では「調停外交」を担う人物を「パイプ」と称して過度に期待する傾向がある。しかししばしばそのような者は相手国との間の利権媒介による手数料の上前を撥ねて利害関係者の間で持て囃されているだけである。制度理念が激突する場における準有事外交で「パイプ」などの果たす役割はゼロに近く、人権無力化の補助者になるのが関の山である。》

 そもそもアメリカも中国も日本による両国の「調停」や「橋渡し」など全く問題にしていない。その役目は米中両国内に存在する相手国人がより優れた役割を果たすであろう。日本は米中両国にとって外交交渉の受動的素材に過ぎない。1943年に作成された「カイロ宣言」は日本の主権のあり方全般を連合国の決定に委ね、この条項は「ポツダム宣言」に取り入れられ国連憲章の一部にもなっている。そのため日本が中国共産党と共同で人権無力化の伴星の役割を必死に果たしたとしても、その活動の成果の評価や継続の可否は米中両国及び旧連合国が日本の関与しない所で決定するのである。したがって日本は人権無力化の作業への協力の褒賞を中国共産党から期待することはできない。

 またアメリカ側から見れば、日本が二枚舌政治ぶりを着実に発揮して外交上法の支配を擁護する態度さえ示せば、手駒としては十分である。その裏で日本が国民の人権をいくら圧殺したとしてもアメリカの国益にとっては何の痛痒もない。そのため日中の人権無力化共同作業が現状のままであるならば、これについてアメリカが特別な牽制や外圧を加えることもないであろう。

 更に言えば、日本は「易姓革命」の原理を認めない革命拒絶国家である。近代以降はこれに伴う社会的停滞を「維新」や「改革」という革命の代用の多用によって防いできた。しかし昭和末期のバブル崩壊以降「失われた30年」の惰眠の中で「改革」病も徐々に口舌化してきたのである。そうなると「改革」すら満足に実行できない単なる停滞国の「調停」に期待するより、「易姓革命」の本家である中国内部の力による共産党打倒のほうがはるかに現実性があるだろう。)

 この日本の戦後経済権益死守という至上目的は外交の明示的課題としてその下に諸々の補助的政策が動員されていく体系を持たず、対米従属構造の中における惰性的反応の中に埋もれているに過ぎない。したがって最終的にこの意図せざる目的は達成されることはなく、経済権益は逐次的に逓減し、最後は太平洋に沈没するであろう。

 (バブル崩壊以後の経済立て直しの局面で、日本は「グローバル化」と「IT化」に全く対応できなかったので緩やかな貧困化の道を歩んでいる。ここで特権層が自己の利益を確保するために国民に対して古典的搾取を強行するしか手がないのは必至である。そして人権圧殺という政策はこの搾取を補助する最も強力な手段になることは疑いない。そのため日本は今後も中国共産党と二人三脚で人権無力化作業に進むことが宿命づけられているのである。この場合、人権無力化作業に奉仕するのは上記の「調停外交」を推奨する「媚中派」の政治家や経済人に他ならない。)明治体制の死守権益であった満鉄は日本全体の破壊によって誰の目にも明らかな無残な敗北となって失われたが、戦後権益は多くの者の気付かぬ内に安楽死の中で緩慢に消滅していくであろう。

 そして日本歴史の最終章には、令和以後の日本人は平成期以来の惰眠を無為に続け、長い歴史によって形成された過去の遺産を食い潰しただけで民族の終焉を迎えたと記されることになるであろう。