法学論考 ミネルヴァの飛翔  各論4  補遺1-1 | アルマンのブログ

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ミネルヴァの飛翔 
                          ~テーミスの剣の研磨に寄せて~           村 山 武 俊

各論 4

訴訟法について   補遺1-1
 

 これまでに民事訴訟法の基本原則の法学的考察を示しました。実際の裁判実務においてこれがどのように扱われているのかを知るのは理論と実践の相互関係を探る上で極めて意義深いことでしょう。

 以下に引用します訴訟資料はある運送会社の解雇事件です。内容はその会社の運転手が職務中に事故を起こしたとされたものの、実態は会社が運転手を解雇したいための捏造であることが判明しました。その運転手が労働組合を結成し、会社と激しい団体交渉を行い、労働法規違反で告発していたためです。この事故捏造は後に同じ会社を解雇された元営業所長の内部告発によって判明しました。

 そして運転手を原告とし、その雇用会社を被告とする解雇無効確認訴訟において、会社もその捏造を認め、「裁判上の自白」が成立しました。ところがこの事件を審理した第一審裁判所はこの「裁判上の自白」を黙殺し、運転手を敗訴させました。会社側はこの事故の存在を主要な解雇事由にしていたため、運転手を敗訴させたのはどの解雇事由によるのか判決で全く示していませんでした。因みに法廷では主要な解雇事由である事故については詳細な審理を行ったものの、他の事由については何も行っていません。

 第一審裁判所が原告を敗訴させたのは、彼が労働組合員であり、盛んに組合活動をやっていたのを嫌忌したこと以外に考えられません。以下の書面はこの不当な判決に対する控訴審の準備書面です。「控訴理由書」と、その補充書の2つで構成されています。ここにおいて「裁判上の自白」の意義を中心に、弁論主義や自由心証主義が論じられています。

 この事件を通して分る日本の裁判所の思考とは、一旦政治的理由で己の予断を通すことを決めたら、民事訴訟法の原則など弊履の如きゴミであり、自分達の好き勝手に法をねじ曲げるというものであることです。結局のところ、日本の大学や司法研修で膨大な時間を費やしてこれらの原則についての教育がなされていますが、それらは全て口先だけのお題目でしかないのです。

 

控  訴  理  由  書                          

 

東京高等裁判所 第5民事部 御中

 

第1 緒論

 

 控訴人 「準備書面10」 第1 1 で詳述したことだが、本件では法律的に控訴人の勝訴が確定している。この結論は動かしようがない。したがって控訴人敗訴の結論が出た場合には第一審の裁判官に枉法行為が必ず存在することになる。どのような枉法行為がなされるのかは裁判官の法的素養、教養、生活思想等の内容によって決定される。概略的に言えば、最もハイレベルであれば、一見枉法行為がなされていないかのように複雑な論理を構成し、その中に断片的に詭弁と歪曲を混入させる洗練された方法が取られるであろう。最低レベルの方法は法と証拠の公然黙殺である。本件第一審裁判官はどのような方法を取ったのであろうか? 以下においてその態様を示すことにする。

 

第2 裁判上の自白について

 

1、本件第一審裁判官が採用した枉法行為は最低・最悪レベルのものであった。それは控訴人の勝訴を確定する決定的要因である事故捏造について成立した「裁判上の自白」について徹底的に黙殺するという挙に出たのである。

 裏返せば、少しでもこの「裁判上の自白」について触れると論理的にこれを崩すことができず、控訴人を勝訴させざるを得ないので、どうしても控訴人を敗訴させたい願望を抱いていた原審裁判官としてはこれを存在しなかったものとして扱うしかなかった。このことは裁判官の悪辣な予断を通して控訴人の勝訴が必然的であることを裏書きするのである。自白は最重要の証拠であり、民事訴訟において自白の成否は弁論主義に直結する。これを完全黙殺した裁判官は法と証拠に基づく裁判を放棄したと宣告したに等しい。係る者はもはや裁判官とは呼べず、法服を纏った暴力団員でしかない。

 

2、事故捏造に関する自白成立の経緯について要約すると、これを告発した被控訴人の前営業所長Aの陳述書と証言から被控訴人の専務取締役Bにおいて証憑隠滅罪が成立する疑惑が生じた。そこで被控訴人側はこの刑事責任の成立を阻止すべく、別件関連事件であるAの解雇無効確認手続において、この捏造の意味を特に掘り下げて、事故がなかったのではなく被害者であるCに人身事故にしてもらうように頼み込んだことを被控訴人自身が訴訟行為の中で解明したのである。控訴人はこれを受けて、事故の成否とは別にCが人身事故にする意思がなかった点から捏造が成立するものとしてこの部分に同意したことで自白が成立したのである。

 通常の事案では別件関連事件で同じテーマが争われることはないので、これは本件の特異な事情であるが、そうであるからこそ、この自白の成立は関係者の勘違いや思い違いが混入していないので、紛れもなく真実なのである。

 

3、上記 控訴人「準備書面10」 第1 2 でも述べたが、裁判上の自白に反するその他の証拠には何の法的効力もない。これは民事訴訟のイロハのイであって、このような初歩的常識も弁えないような者が裁判官の中に紛れ込んでいることは驚くばかりである。

 自白自体の証拠能力に制限がある刑事裁判においても、自白の補強証拠で自白に反する事実は多くの場合黙殺され、あくまでも自白内容が優先されているのが実務の実態である。それより自白の意味がはるかに重い民事裁判において、原審裁判官は自白に反するその他の証拠を積極的に漁っているのだから、日本の裁判実務から外れている点において、異様な底意があるとしか言い様がない。

 当然のことであるが、当事者主義が採用されている民事訴訟において、裁判官が自分の思い込みに合うものだけを請求事件の証拠群の中から恣意的に取捨選択するような権限は付与されていない。これは自由心証主義でも何でもなく、ただの職権濫用でしかない。そもそも自白の成立は法定証拠の一種であって、自由心証主義の範囲外なのである。

 そして本件において事故捏造に反するかのようなCの証言に証拠能力は全くない。しかし1つのドキュメンタリーとして見ると、彼の証言を丹念に読んで行けば、事故事象に遭遇した当初と、被控訴人と接触した段階と、更に被控訴人が控訴人について労働組合活動を理由として解雇しようとしていることが判明した時点と、その心理に大きな変化が見られる。この時系列にしたがって被控訴人に対する不信感が増幅しているのである。そしてこの最終段階において彼が人身事故として申告することに疑問を抱くようになったことはあり得る。

 つまり本件で自白の成否論とは別に、Cの証言をどのように評価するのかという観点だけから観察しても、原審裁判官は、その証言の最初の場面のみに限定して被控訴人にとって都合の良い事実だけを針小棒大的に摘み食いしているだけである。このような姿勢は証拠の評価について客観的姿勢を保つように訓練された裁判官としては異常なことで、被控訴人から金銭等の便宜でも受けているのかと疑われても仕方がないと言える。

 

4、とにかく原審は本件の結論を決定する事故捏造についての裁判上の自白を全く黙殺しているのであるから、このことに関して原判決には反論する材料が存在しない。そこで控訴人が原審で主張したことを以下に再度引用することを以って事実上の反論としたい。

 

(1)被控訴人は準備書面(3) 第1 3 (3頁5ないし7行目)において、本件事故の刑事確定記録(甲第19号証)の中で被害者と称するCの被害届が存在しないことを得意になって取り上げている。恐らく控訴人の主張を全部逐一潰していけば少しでも自分が有利になると思い込んでいるのであろう。ここで言う被害届とは物理的書面のことではなく、被害者の意思表示であって観念の存在様式であるから、確定記録に文書が存在しないことが意味するところとは違う。

 しかしながら被控訴人はCから本件事故について警察に被害を申告しようとしなかったと主張したいようである。控訴人の主張では被控訴人がCの被害が存在しなかったのにそれが存在すると仮装したところに事故の捏造があり、これが被控訴人の不法行為の核心をなしていると言っているのであった。

 より詳言すれば、本件では控訴人がCの被害届の意思は存在しなかったと主張しているのであるから、被控訴人はこれが存在することをはっきりと主張しなければならないところ、これを明確に否認することで、全く逆のことを陳述してしまったのである。 ということは上記のように被控訴人がCの被害届が存在しないことを主張してきたことにより、この捏造の核心部分(Cの事故申告意思の不在)に関して当事者の主張の一致、つまり裁判上の自白が成立したことになる。

 なお同じ箇所で被控訴人は「被害者が警察に被害届を提出したか否かも承知していない。」と述べているが、これは被控訴人の認識の問題であって、民事訴訟法159条2項で言うところの争う意思の推定にはなり得ない。常識的に考えて、被害者が刑事訴追を求めるのかはっきりしない事象を人身事故と言い切る被控訴人の姿勢が捏造の存在を自ずと物語っている。

 したがって本件において、追加請求である不法行為による損害賠償請求について、不法行為たる事故の捏造の成立に関する最重要部分に関しては、民事訴訟法179条の規定により、これ以上立証を要しない。また本件においては、事故捏造の具体的行為態様はともかく、核心部分で自白が成立した以上、捏造の存在自体は最早立証する必要がなくなった。そして民事訴訟法の基本原則である弁論主義の帰結により、裁判所もこれらに反する事実認定はできなくなった。

 

(2)被控訴人は本件事故捏造について、先に提出した自身の準備書面(3) 第1 2 で示した 訴外Aの解雇関連事件の弁論準備期日で、控訴人であるAが提出した「第4準備書面」としての乙第34号証を本件にも提出し、これを本件における被控訴人の陳述として援用した。

  これによれば、本件事故の被害者を自称するCが「大した怪我ではないから、医者に行って診断書を取るまでもない、と固辞」したところ「お願いして受診してもらった」(同準備書面 2頁 12ないし14行目)と表現されている。このことは平成28年10月21日付の「証拠説明書(4)」の乙第34号証の「立証趣旨 等」でも繰り返し敷衍されている。

 Cが本件事故を被害として届ける意思がなかったにもかかわらず、被控訴人がこれを強引に事故にしたところに捏造があると、控訴人は主位的に主張しているのであるから、上記の被控訴人の陳述はこれに対する裁判上の自白となる。そして民事訴訟法の基本原則である弁論主義の帰結により、裁判所もこれらに反する事実認定はできなくなった。

 

(3)控訴人は先に提出した「準備書面 8」の第2 において、被控訴人が被害届の存在を認識していないことから捏造の核心部分について裁判上の自白が成立したと主張したが、上記の陳述はCの具体的行為に基づく主張であることから、自白成立部分を更に拡充させるものである。  本件事故捏造は多くの構成事実が時間的に連続して生起している。単一の事実で直ちに全体が成立するものではない。しかしある時点のA事実と別の時点のB事実は捏造の一部を示すことになり、これが多く集まることで全体としての捏造の存在が浮かび上がる。

 そのため控訴人「準備書面 8」で示した被害届不認識と、被控訴人の準備書面(3)と、乙第34号証で示されたCが診断書を取ることの「固辞」の2つによって、Cが本件事故を追及する意思がないことが裁判上の自白として確定したのである。

 確かに控訴人の「準備書面 8」で示した被害届不認識と事故捏造の間には推定という繋辞が存在するかもしれない。しかしこれは水の存在を証明する場合、その構成元素である水素の存在がまず示されたという事例に等しい。次に酸素の存在証明がなされなければならないが、そこに至る第一歩としての意味が否定されることはない。換言すれば、水素の存在しか示されなかったからといって、水の存在証明がないという結論にはならない。そして上記のCに診断書の作成を依頼したという事実は酸素の存在証明に等しいのである。

 残された問題はその動機である。Cによる診断書作成の「固辞」なるものが事故の不在の発覚を恐れたのか、あるいは怪我と称する事象が自動車との接触ではなく別の原因であることが分っていたためなのかは、これから解明されるべきことである。

 

(4)Aの上記「第4準備書面」の趣旨は、別件において被控訴人がAの「陳述書」(本件 甲第17号証と同じ)にあるCが「負傷していないにもかかわらず、負傷したことにして」という部分をAの背信行為と捉え、解雇事由に追加しようとする威嚇に対して、これを防ぐために出された抗弁である。しかし本件で問題にしているのはまずCに事故申告の意思がなかったことであり、負傷していたかどうかは予備的主張であり、違法性の加重事由である。つまり本件と別件では争点の構造が異なる。

 そのため被控訴人は別件でこの予備的事由の不存在をAに認めさせることに注力していたのであるが、この目的を達成するために本件の主位的主張をAに認めさせることが重要なのであった。なぜならCが負傷していたという外観が確立することで「負傷していない」という陳述を覆せるからである。

 しかしこれは別件での目的を達成することにはなっても、構造の違う本件では逆に自白となるのである。換言すれば、別件訴訟での目的を達成することを近視眼的に捉え、それを無造作に本件に持ち出すことによって、被控訴人は自ら墓穴を掘ってしまったのである。

 民事訴訟の仕組みから別事件は別の世界の出来事でしかない。しかしこれを積極的に援用するのであれば、そこで行なわれたことは本件の一部に連結する。そして被控訴人が別件で本件控訴人の主位的主張を認めさせることを目指していたのであるから、これについて本件では自動的にこの主張についての裁判上の自白が成立するのである。

 

(5)本件は被控訴人による控訴人の解雇が解雇事由となった平成〇年〇月〇日の事故なるものが被控訴人の捏造であることに基づく不法行為を理由とする損害賠償請求と解雇無効による給与支払請求の2個の訴訟物によって構成されている。

 この内、控訴人は先に提出した「準備書面9」第1 1 において、不法行為の核心たる事故捏造について被控訴人の陳述に基づいて次のような結論を提示した。

 

 本件事故の被害者を自称するCが「大した怪我ではないから、医者に行って診断書を取るまでもない、と固辞」したところ「お願いして受診してもらった」ことから、Cが本件事故を被害として届ける意思がなかったにもかかわらず、被控訴人がこれを強引に事故にしたところに捏造がある点について本件不法行為の請求について裁判上の自白が成立した。そして民事訴訟法の基本原則である弁論主義の帰結により、裁判所もこれらに反する事実認定はできなくなった。

 

 この自白の成立は不法行為請求の成否についてアルファでありオメガである。この自白と両立する事実で捏造性を否定する事実による特段の証明が別途なされない限り、控訴人の勝訴は確定した。

 周知のことであるが、民事訴訟の目的は形式的真実の追求であり、紛争の解決を第1の目的とすることから、当事者が事実を争った場合にのみ、裁判官が証拠資料に基づいてその客観的存在の有無を認定することになる。したがって仮に上記自白に反する証拠資料が法廷に顕出されても、それは訴訟法的に無意味な雑音でしかない。証拠の評価は基本的に自由心証主義による裁判官の合理的裁量によってなされるが、自白が成立した部分については法定証拠的な意味合いを持つことになるので、ここに裁判官の自由心証は及ばない。

 また言うまでもないことだが、現実に事故があったかどうかということは被控訴人の責任の加重事由であって捏造の成否とは関係ない。したがって現実に事故があったから被控訴人の不法行為が否定されることはなく、違法性や責任が軽減されるだけである。

 要するに、弁論主義、形式的真実主義は民事訴訟の基本原則であるから、何らかの政治的思惑または感情の発露があって、これに従わないような職権が裁判官によって行使される場合には、法の執行とは言えず、公権力行使に名を借りた暴力の発動でしかない。係る行為は絶対的に違法無効である。

 

(6)上記捏造に関しては、被控訴人の元所長A、被害者とされるC、そして被控訴人の専務取締役Bの証人尋問がなされたが、これらの証言の内、上記裁判上の自白を補強するものを抜粋して以下に掲げる。これによって捏造の事実は一層揺るぎないものとなる。なお当該自白に反する証言は法的意味がないので、本来なら記録から消除されるべきである。

 

① 「被害届というのは正しいのか分かんないですけど、いわゆるそういう届を出すという手続に入っていくと、私としては事故そのものは普通に起こっていたものなので、そこは争いのうちはないのかなというところではあるんですけども、一方で個人的に私の利益に反するものではないんですけれども、違和感があったのが、営業所長さんがいらしたときこの運転手は、実はこの人には困っていて、前にも似たような事故があったので、辞めてほしいと思っているというようなお話があったと。なので、Cさんの意思で出されるということであればそれは結構だけれども、会社としてもぜひいわゆる届出を出してほしいというようなお話をされたので、普通だったら会社というのは従業員を守るのかなというのが一般的な考えだと思うんですけど、会社のほうも被害届を出すことを積極的に後押しして、辞めさせようという意思を持っているんだなというのを感じました。」(C証言 証言録 2頁から3頁1行目)

 

② 「事故というのは通常起こり得るもののだと。よって、それをもって解雇するのはおかしいんだということになったので、そのまま残っているけれども、いわゆる労働組合みたいな運動もしていて非常に面倒くさいというようなお話をされていたというところです。」(C証言 証言録 3頁20から24行目)

 

③ 「実際例えば学校に通学するときに支障がなければわざわざ病院に行かない。その場合は表面に出ないけれども、実際けがはしていますよねということと同じで、本件も事故にはなりました。例えばこれが友達が自転車でぶつかってきたらまあまあいいよ見たいな話になるようなではあったかもしれないけれども、けが自体は痛みが伴って、かつ医師から診断書も出ているわけですんで、運送会社の働きかけ等があって表に出るのを後押しされたという部分はございますが、事実そのものがなかったというのはそれに当たらないと思います。ただ、冒頭にも申し上げましたけれども、運送会社として控訴人を辞めさせたいという意思は相当程度感じました。」(C証言 証言録 5頁16から25行目)

 

④ 「前回事故を起こしてもう1回事故を起こしたから辞めさせたいのか、もしくは労働組合に入っているから辞めさせたいのかどっちなんだろうというところでありますけれども、でも二つの事故ということであれば多分そこを強調されると思うので、あえて労働組合というところを引用するということであれば多分組合に入っている人が面倒くさいことするのが嫌だったということなんだと思います。被控訴人さんも大きな会社ではないと思います。別に悪口を言っているつもりではないんですけども、いわゆる大企業ではないので、1人の人が面倒くさいことを起こすと大企業よりも影響はあるんだろうという意味でそうなのかなというふうに感じました。」(C証言 証言録10頁 3から13行目)

 

⑤ 「現場に行ったときに、Cさんのほうもそのような状態(刑事事件にすること)だったんですが、その後処理している中で、Cさんのほうに、とてもいい対応をしてもらったと、いろいろ分かったと、これだけ良くしてもらえれば私のほうではもういいですよと、大したけがはしてないんだからいいですよ、帰りますよというお言葉を頂いたのは覚えています。」(A証言 証言録2頁 9から14行目)

 

⑥ 「(B専務から控訴人を辞めさせる方向にもって行けと言われたのかという趣旨の質問に対して)はい、そのままですね。そのままこんなチャンスはないんだから、相手の方はそう言っている(人身事故扱いにしない)かもしれないけど、あなたのほうで説得して、病院に行って診断書を取りなさいという話をされたので、Cさんにそのまま話したと記憶しています。」(A証言 証言録4頁26行目から5頁3行目)

 

⑦ 「やはりこれは普通の軽い接触事故だとは思っていましたけど、そのことを当て逃げ、ひき逃げということにして解雇にもって行こうというような話はしました。」(A証言 証言録6頁7から9行目)

 

⑧ 「(控訴人解雇後の展望についての質問に対し)先ほど申したように、これではちょっときついんじゃないですかみたいな話のときに、(B専務は)大丈夫、チャンスだからやるしかないでしょう、みたいな話はされました。」(続けて もしまずい展開なった場合の質問に対し「そうですね。いやあ駄目ですよという話はしたんですけど、最悪これは負けても、あの人は定年が近いから、定年までの賃金を払えばいいんでしょうみたいな話を何かしたのは覚えてます、うっすらとですけど。」

 

 以上の補強証言から読み取れることは、被控訴人が本件事故を奇貨としてCを誘導して刑事事件にして、労働組合活動を盛んに行っている控訴人を解雇に追い込もうとする経営サイドの意思決定に至る具体的事情が活写されていることである。

 先に提出した「準備書面10」において本件事故捏造に関し「裁判上の自白」が成立していることについての訴訟法的意味を詳述した。この論点は本件の最重要事項なので、これについて「裁判上の自白」が形成された経緯に関する通時的分析を付言したい。

 「準備書面9」でも触れたが、本件事故の捏造については被控訴人の元営業所長Aの告発によって発覚した。そして同人に対しては本件とは別に解雇無効に関する訴訟が提起されていた。被控訴人はこの別事件の場において、当該訴訟のテーマとは全く関係のない本件捏造問題をわざわざ持ち出し、Aの解雇事由に強引に追加すると共に、併せて人格的信用性を失墜させようと目論んだ。これらのことは、ただ相手の不利になりそうな事実であれば何の脈絡もないことでも盲目的に持ち出そうという、訴訟構造を全然弁えない破れかぶれの喧嘩戦法であり、法に基づいた訴訟追行を行おうという理性と遵法意識が皆無であることを示している。尤もこのような戦法は自己保身のためなら実の叔父や兄も容赦なく殺害する北朝鮮の政治思想に符合しているのかもしれない。

 この異様な訴訟戦術はAの訴訟代理人は勿論のこと担当裁判官も強い違和感を覚え疑義を表明したが、被控訴人はお構いなしにこれを遂行した。その結果として得られた結論は、本件事故が完全な虚偽事実に基づくものではなく、Cの意思に反して人身事故に仕立て上げられたというものであった。

 そして被控訴人はこの事実をAの解雇事件とは全く異なる本件にわざわざ転用して、事故捏造の意味を明示するものとして提示した。しかし控訴人の言っている捏造の意味は事故が全く存在しなかった場合だけでなく、Cの意思に反する事故申告の場合も包含していたのであるから、控訴人は即座にこの陳述を援用した。言うまでもないことだが、被害者が届ける意思のない事故は人身事故にならないのは自明の理だからである。この結果として本件において被害者の意思に反する捏造という不法行為の訴訟物の主要事実を構成する「裁判上の自白」が成立した。

 訴訟法的にはこの自白はすでに自由心証主義の枠外に去り、この意味を覆すような事実認定は裁判所においても不可能となった。そして信義則の観点から考えても、この自白を覆すことは許されない。それは被控訴人がこれを

 

① 持ち出す必要のない別事件で強引に争点化したこと。

② その結果を法的には別個の本件でわざわざ訴訟資料に持ち込んだこと。

 

の2つのやらずもがなの行為を重ねているからである。やる必要も実益もない余計なことを盲目的戦術に基づいて自発的に敢行しているのであるから、ここから自分の首を絞める落し穴に嵌ったとしてもそれは自業自得である。

 つまり本件で捏造について「裁判上の自白」の成立を認めることは法的に正しいばかりでなく、倫理的にも正しいのである。したがって控訴人に何らかの反感を抱くか被控訴人に特別に同調しているのでない限り、この自白を否定することはあり得ないし、また許されないのである。

 なおこのことはたまたま同じ会社の従業員の解雇事件が時期を同じくして同じ裁判所で審理されるという偶発的特殊要因によって生じた事象であるから、一般論的想定は成り立たないのであるが、実際に生起してしまった以上この要因は必ず判決に取り入れられなければならない。

 

5、ところで原判決が行った「裁判上の自白」の完全黙殺は判決の核心部分の黙殺にもなる。これは民事訴訟法338条1項9号にいうところの「判決に影響を及ぼすべき重要事項についての判断遺脱」に相当し、再審事由を構成する。したがってこの黙殺が今後も維持されるようなことがあれば、それは判決確定によっても治癒されない重大な瑕疵が残存することになり、この黙殺は永遠に弾劾され続けることになる。

 

第3 解雇事由について  

 

 原判決は被控訴人の主張を鵜呑みにして、控訴人が16件の有責事故を起こし、内3件が人身事故であったとして、この中から本件事故とその平成〇〇年〇月〇日の事故2件を理由として解雇事由として相当であるなどと判断している。(やや判然としないが、別の人身事故を含むその他の14件の事故については解雇事由としていないようである。)〈原判決 12頁 4~15行目〉  

 原判決が掲げた人身事故なるものの内、上記捏造の対象となった1件を除くものについては控訴人が 「準備書面5」 第2 第2項ないし6項において詳細な理由付の否認を行っている。これによれば現場の状況や被害者の意思などからいずれも人身事故扱いとなっておらず、また刑事・民事の責任追及も成されていない。しかしながら原判決はこの否認に付された理由を上記裁判上の自白と同様に完全に黙殺している。

 これらはいずれも解雇を相当とする事由であり、本件結論を導くものなのであるから、控訴人の否認理由については裁判所がその採否と評価についてしかるべき判断を示さなければならない。そして必要に応じて当事者双方に釈明や追加立証の要否が告げられるべきであるが、原審はこれについて何も行っていない。

 言うまでもなく、解雇事由の存否については被控訴人側に主張・立証責任があるのだから、この人身事故なるものに関する当事者の弁論について必要な判断がなされていないのであれば、解雇事由の証明が存在しないとして請求棄却理由として採用できないものと解されなければならない。

 また原判決は、「準備書面10」 第2 で主張された解雇事由の相当性を判定するための類似事例との比較の必要性について完全に黙殺している。これも同様に解雇事由の証明が存在しない事態を導くのは言うまでもないことである。

 要するに、原判決においては解雇の相当性を判断する客観性が欠如しているのであって、原審裁判官は被控訴人の訴訟代理人弁護士事務所の事務員の如き存在になり下がり、彼が作成した文書をそのまま判決文に移記しただけである。

 裁判では訴訟物の主要事実ごとの要件に対応して攻防当事者に厳格に主張・立証責任が分配されていて、事件の外観や印象どうであれ、この責任を果たせない者は敗訴の危険に晒されるのである。しかし原審裁判官は何らかの思惑で初めから被控訴人の助手になってしまったのであるから、主張・立証責任の分配に関する法規も全く意味をなさない。これでは素人の討論会で参加者の好みにしたがって裁かれるのと同じで、わざわざ裁判を起こした意味がない。原審判事がどのような理由で被控訴人の助手に転落したのかを明瞭に証明することは困難であるが、いずれにしても本件第一審は民事訴訟法338条1項1号に言うところの「法律に従って判決裁判所を構成しなかったこと」に該当し、自動的に再審事由になる。そしてこれは判決確定によっても治癒されない根源的瑕疵となる。

 

第4 結語

 

 以上に示したように、原判決は裁判官が被控訴人の主張のみを、その訴訟代理人の補助事務員として引き写しただけの代物であり、判決文書としての成立要件を欠いた、実質的な私文書に過ぎないのであって、当審において直ちに判決不存在が確認され、法と論理の必然性にしたがって控訴人勝訴の判決が速やかに言い渡されなければならない。

 なお原審裁判官が恥も外聞もなく被控訴人の書記に転落した動機として、様々な推測が成り立つ。これを解明するには政治思想、文化制度、社会心理など多岐にわたる視点からの考察が欠かせない。しかしこれらは非法学的言説を多く含むことになるので、訴訟資料としては相応しくない側面を持つ。そこでこの推論については、上述した純法学的視点から書かれた控訴理由とは切り離し、別の準備書面に分けて詳述する予定である。この書面は追って提出する。