毎年 


5月12日は3疾患世界啓発デー✨



💜線維筋痛症 


💙筋痛性脳脊髄炎 / 慢性疲労症候群


💚化学物質過敏症








5 月 12 日は線維筋痛症の世界啓発デーです。



筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群により 50 年床に伏したと言われるフローレンス・ナイチンゲールの誕生日 (5/12) にちなみ、この日を「筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群 世界啓発デー」としたのが始まりで、合併しやすい線維筋痛症化学物質過敏症も同日が啓発デーとなりました。


繊維筋痛症は診断・治療ができる医療機関は全国でまだ数えるほどで、医療・福祉の体制が整っていません。




2011 年に実施されたインターネット調査から、日本の線維筋痛症患者数は全人口の 2.1%、約 212 万人と推計されますが、適切な治療にたどり着けていないケースはかなり多いと推測されます。


見えない痛みや疲労は周りから理解されず、適切な治療や支援を受けられず、患者さんは大変に苦しんでいます。


世界啓発デーを通して線維筋痛症の周知をはかり、孤独に闘病する患者さんに少しでも希望の光を届けられるよう、今年から学会としても活動して参ります。


今年は学会 HP および Twitter にて啓発して参ります。



一般社団法人日本線維筋痛症・慢性痛学会





 


 



 

 



 

 




ME(筋痛性脳脊髄炎)/CFS(慢性疲労症候群)とは、これまで健康に生活していた人がある日突然原因不明の激しい全身倦怠感に襲われ、それ以降強度の疲労感と共に、微熱、頭痛、筋肉痛、脱力感や、思考力の障害などが長期にわたって続く全身性の衰弱疾患です。


感染症後に発症することが知られており、ME/CFS患者数は全国に10~30万人と推定されており、また、新型コロナ後遺症患者の10~60%が重症化してME/CFSの診断基準を満たすという報告が国内外でされているにも関らず、診断・治療できる専門外来が国内10カ所ほどしかなく、医療や福祉の体制が整っていない現状にあります。



病名からただの疲労と誤解されたり、適切な治療や支援に辿りつけず、患者は二重・三重に苦しんでいます



ME/CFSにより、50年間伏せたと言われるナイチンゲールの誕生日(5月12日)にちなみ、この日をME(筋痛性脳脊髄炎)/CFS(慢性疲労症候群)世界啓発デーとして、世界各地のランドマークをブルーライトアップしています。


日本では、下記施設のライトアップとともに、オンラインセミナーを開催し、病気の周知と、孤独に闘病する世界中の患者に希望の光を届けます。


なお、同日は、ME/CFSとの併発が多い、線維筋痛症(啓発カラー:紫)と化学物質過敏症(啓発カラー:緑)の啓発デーともなっています。



【ME/CFS啓発ライトアップ施設】

🔷ブルーライトアップ

青森県観光物産館アスパム(青森県青森市) 
5月12日 日没~21:00


大阪城天守閣(大阪府大阪市)       
5月12日 日没~22:00

KOBEモニュメント(メリケンパーク)、錨山他「KOBEライトアップDAY」(兵庫県神戸市)
5月12日(神戸市主催)



💚💙💜初3色ライトアップ 

グリーン(化学物質過敏症)、ブルー(ME/CFS)、紫(線維筋痛症)

 開運橋(岩手県盛岡市)5月12日~18日のナイチンゲール週間


主 催:CFS支援ネットワーク ME/CFS世界啓発デー2024大阪実行委員会

後 援:一般社団法人日本疲労学会、NPO法人大阪難病連(予定)


一般社団法人日本疲労学会






神戸市



コロナ後遺症で2年間寝たきり 
演歌歌手の夢挫折 治療法手探り続く





新型コロナウイルスの5類移行から8日で1年がたったが、感染後の後遺症に悩む人は多い。演歌歌手の相澤めぐみさん=30代=は、感染した約2年前から激しい疲労感などに襲われ、寝たきりの状態が続く。

一時はベッドから動けなくなり、親の介護を受けた。念願かなった歌手への夢は挫折し、日常も奪われた。確立した治療法や特効薬はなく、社会復帰への道は遠い。



「これからというときにコロナで仕事ができなくなり、いつ復帰できるかさえ分からない。これ以上の苦しみはもうない」。幼少期から演歌歌手を夢見て平成26年にデビューした相澤さんは、つらい胸の内を明かす。

令和4年2月、コロナに感染。最初は微熱などで症状も比較的軽かったが、3週間が過ぎても改善せず、次第に強い倦怠(けんたい)感などに襲われた。

3月、コロナ後遺症の専門外来に行き、症状の一つである「筋痛性脳脊髄炎・慢性疲労症候群(ME・CFS)」と診断された。

ME・CFSは発症後、心身に負荷をかけると極端に体力を消耗するのが特徴だ。



1人暮らしが困難になり、6月には東京から神戸市内の実家に戻った。その後、症状は急激に悪化し、水を飲んでも胃腸障害を起こし、寝たきりの状態になるまで衰弱した。



■一歩も動けず

10月には緊急搬送で入院し、月経の影響などもあり、症状はさらに悪化。体が動かなくなる恐怖とパニックで入院中に鬱病と診断された。

退院後の3カ月間はベッドから一歩も動けず、オムツや酸素チューブを付け、向精神薬で意識がもうろうとした状態で過ごした。「死にたいと思った。治る見込みなんてないと感じた」。それでも、両親が明るく介護してくれたことが相澤さんの心の支えとなった。


今もほぼ寝たきりで、嗅覚も感染前の半分程度しか感じない。自室横にある数メートル離れたトイレに行くにも動悸(どうき)が起き、それ以上に負荷をかければ、強い倦怠感に襲われ、数時間~3日間は動けなくなることもあるという。


相澤さんは個人事業主のため傷病手当金の対象外。現在、障害者年金の受給も検討しているが、毎月5~6万円にもなる医療費が重くのしかかる。



■周囲の無理解


医療関係者の無理解にも苦しんだ。

1年以上も往診した心療内科の医師が書いた他院への紹介状には「コロナ後遺症で動けなくなったと思い込んでいる」と書かれたこともある。



社会はコロナ前の日常に戻りつつある。だが、相澤さんは「明日はわが身」とたとえ、こうも訴えた。

「症状には個人差があり、それぞれに合うリハビリ法も異なることを知ってほしい」


産経新聞 5月8日



医師でも分からない、理解されないというは患者さんは辛すぎますよね


知ることは大切です


上記以外、みなさんの地域でも明日はライトアップがあるかも知れませんよ

ちょっと調べてみては🤗