ネガティブな感情をどうしている? | オリーヴの森の中で ブルース・モーエントレーナー、QHHTプラクティショナーの日常

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ブルース・モーエン・トレーナー協会公認トレーナー
QHHTレベル2プラクティショナー

『γνῶθι σεαυτόν』私自身の魂とは何かを知りたい願望が強くて。そして、真理の探究は続いてゆく…

こんにちは、Heleneです虹

 

 

ヒーリングタッチの講座の中で、こんな言葉を教えてもらった。

 

誰かを許す、ということ

あまりにもひどいことをされたとか、傷つけられたというとき

その相手を許すことなんてできない

そういう人はいると思う

 

誰かを許す必要はない

でもこう考えるといい

 

私はあなたを魂のレベルで赦します

 

今現在の人生を生きている自分は、相手を許すことはできないだろう

でも、魂のレベルになれば、高い意識の状態の霊的な存在である自分ならば

相手を許すだろう

 

そう思うだけでいい

相手への赦しはそれで構わないし

そう宣言することでそれが少しだけ軽くなったり、気持ちが楽になるかもしれない

 

怒りや憎しみをずっと持ち続けるということは、とてもしんどいことだ。

 

本当はその感情に囚われてしまうこと、その想いにとらわれて、自分のリソースを消耗してしまうことの方がじわじわと自分を蝕んでしまう。

 

実際、そうした感情を抱いて、そのことを思い出したり、それに対して怒りや憎しみや悲しみを再燃させたりするたびに、脳のリソース、エネルギーは消耗されている。

 

その分のリソースやエネルギーを本当はもっと自分にとって癒やしや喜びになるかもしれないことに振り分けることができるかもしれないのに。

 

でも、わかってはいても、その当事者のときって、そうはできないものでもある。

 

 

さて。

 

スピリチュアル界隈では、ポジティブな感情は良くて、ネガティブな感情は悪いので、ネガティブなことは避ける、蓋をして隠す、気が付かないふりをする、抑圧する、などの対応をして、処理をしようとする傾向があるように思う。

 

自分の中にネガティブな感情、悲しみ・怒り・不安・恐れ・嫉妬・憎しみ、その他諸々の感情があるということは

なにかスピリチュアル的には正しくないような、良くないような感じがしてしまう人っていうのはかなりの数いるんじゃないだろうか?

 

そして、ポジティブな感情、喜び・愛・安心・感謝・希望・信頼・楽しさ・満足感・幸福のようなものは特に問題なく扱われているように思う

 

また、スピリチュアルに限らず、一般的にもその傾向はあるかもしれない。

 

ところが、感情というものは自然に心の中で湧き上がってくるものではないだろうか?

 

どういうシチュエーションでどのように、どの感情が起こるかは人それぞれだけれど

やめようと思ってそれをやめることはできないことの方が多い

 

実は言うと、その感情を抑圧するということは、社会的な振る舞いとしては妥当と思われているように見えて、自分自身の心の問題としては、非常に不健康なことだったりする。

 

すべての感情には生物的には意味と働きがあって

それは決して無駄に沸き起こっているわけではない

 

例えば、おそれであるならば、おそれを感じることは、自分自身が生き残るためには必要であろう。

怒りは自分自身が前に進むための原動力にもなる。状況を変えるための力につながっている。

 

でも、その感情が起こったときに、それを押し殺してしまう、無視してしまうことは

自分の中から起こっている変化のための、何らかの働きかけを無視して、自分にとって、不快な状況や不利な状況にとどまらせてしまう

生物の生存的にはストレスのある状況にとどまり続ける原因となって

下手をするとそれで体を壊すとか、メンタルを壊すようなことにつながってしまう

 

ここで間違ってはいけないのは

 

感情を感じることその感情をそのまま表現する、行動する

 

ということだ

 

怒りを感じたからといって、野蛮人ではないのだから、誰かの家に火を付けるとか、刺殺していいわけではない。

嫉妬したからといって、悪役令嬢よろしく赤ワインを相手に浴びせかけるとか、相手のドレスを破るとか、暴漢に襲わせていいわけじゃない。

 

ただ、自分がネガティブな感情を感じている、ということを認識するということだ。

そうして、そう感じてしまった自分を受け入れるということ。

 

その時、例えば

 

〇〇さんに対して怒っている自分を認識する

ああ、そうか、私は、◯◯さんにいかっているんだな。

◯◯さんは同僚で、お局様だが、チクチク嫌味を言ったり、仲間外れをしたり、仕事の連絡をわざと私には伝えてこなくて、私に責任を押し付けて、仕事が大変なことになってしまった。

とても職場にいるのが辛い。

私を尊重していない。そういう扱いをしていいと思われているのが悲しい

だから、怒りを感じるのだ

 

のような自分の内面に気がつけるかもしれないし

そうでないかもしれないが

 

もしかすると、そんなことが何度かあれば

会社をやめようと吹っ切りがつくかもしれないし

上司に相談するかもしれないし

何らかのアクションを起こす方向へと変わってゆくかもしれない

 

でも、怒りを感じても

 

「仕事なんだから我慢しなきゃ」

「こんなことみんな経験している」

「怒るなんて大人げない」

「波風立てたくないからだまってる」

 

のような感じに、ネガティブな感情は良くないと思っていると

自分の感情に蓋をしてしまうケースって、結構あるんじゃないかと思う。

 

でも、私たちはネガティブな感情であっても、その存在をゆるして

それが何を伝えようとしているのかというのに耳を傾けることが必要だということ

 

なぜなら、そのネガティブな感情も、私たちの一部であって

それは私たちの人生で何らかの働きをしてもいるからだ

そして、ともすれば、そのネガティブに見えるものというのは

視点を変えると、ポジティブな側面を持っていたりもするのだ

 

ネガティブさを見つめるのは、勇気がいることなのかもしれないけれど

ネガティブさをジャッジしているのは自分自身でしかない

 

怒ることは良くない

嫉妬は醜い

悲しみは女々しくて、湿っぽい

不安は勇気のなさ

憎しみは、不寛容で愚か

 

のような自分の内面の価値観(信念)がそれをネガティブな味付けにしている

 

それらの感情は、ただ、見つめてみれば

ただ、そこにあるだけなのだ

その味付けを自分が生み出しているだけに過ぎない

 

 

 

先日、自己肯定感を上げるためのミニワークを開催していたんだが

そのワークをやりながら、自分の感情を良い悪いで振り分ける傾向って、自分ではなかなか気が付かないながらも

自分自身を縛る、つまり、自分をジャッジする原因となってしまっているのだろうと感じた

 

それで、この記事を書いたという次第……