こんばんは、Heleneです
年明けすぐのイベントに関する告知
2024年1月中に以下のイベントを開催しますが、それぞれ参加者、ご予約等お待ちしています。
■1月7日10~17時 東京・水道橋開催のヒーリングマーケットへ出店します■
ヒーリングマーケットのご予約状況ですが、午後のご予約が多く入っており
このあと午後の枠の予約可能な枠が非常に限られています。
ご予約希望される方は、お早めにお問い合わせください
ヒーリングマーケットでのメニュー等はリンク先をご確認ください
■1月8日 東京都・中央区産業会館にてブルース・モーエン・メソッドの体験会・練習会■
詳しくはリンク先をご確認ください
今日から渡嘉敷島へ移動してきている。
正月は、沖縄は結構お休みになってしまうお店も多いので
離島のリゾートホテル?の方が、食事がきちんと食べられそうだし
今回の旅行の目的は、何もしないでぼんやりする時間を持ちつつ
自分が普段なかなかやることのできないことをやる時間を持ちたいっっていうのがある
なんのことはない、今度の決算あたりから、電子帳簿保存法の対応を視野に入れていかなくてはいけないので
その勉強をしなきゃいけないっていう、差し迫った理由があったりするし
溜め込んだ本を読みたいとか、小説をネットで投稿する準備をしたいとか、刺繍をやるとか、アルファベットオラクルを使うための準備や使い方をちゃんと学ぶ(文献を読む)っていうのがあったりするのだ。
会計関係のことが一番うっとおしいが避けては通れない。
朝にフェリーで移動をしてきた
で、今回の渡嘉敷ゆきの前哨戦的な話があって
過去に、ひめゆりの塔に行ったことはあるんだが
今回一緒に旅行してる姉は行ったことがないっていうんで、二人で立ち寄った。
中で結構な時間を過ごして、生き残った人たちの話をビデオで聞いたり、たくさん置かれている証言の冊子を何冊も読んだのだよ。
なくなり方が本当に悲惨で、非常に暗い気分になったし
今のガザの状態を思うと、状況は違うのかもしれないが、戦争の悲惨さ、残虐さが現代にもあるというのが切なかった。
しかし、沖縄本土にアメリカ軍が到達する前に慶良間諸島が最初の戦地になっていて
ひめゆりの塔に行ったあとに、渡嘉敷島にゆくっていうのも何か複雑な気持ちがした
朝起きて、フェリーで車と一緒に移動して…
ざっと島の様子を把握しようと思って車を走らせたんだが
島は数時間もあれば全体をざっと見れるほどの大きさなんだが
きせずして、白玉之塔と集団自決跡地に行ってしまったのだよ
(ゆかないという選択肢はもちろんあるんだろうが、なんとなく行かなくてはいけないような気がした)
白玉之塔は小さいが、集団自決の犠牲者たちの出身地、年齢、性別などが事細かにデータとして表示されていて
軍属の人が多いのはともかく、0~10歳までの子供がとんでもなく多いのに衝撃を受けた。
子供だから、徴兵や徴用がなくて家にいたのだろうが、何も知らない子供がそういう形でなくなるというのは心が痛む。
(ましてや、ガザで亡くなる子どもたちは…)
その後に集団自決跡地に行ったんだが
入り口には碑があって、どんな風に集団自決でなくなったのかの経過が記してある。
奥に入ると、森の中に入ってゆくのだが
その谷間で手榴弾でなくなったという話で
今は、きれいな水が流れる静かな森だが…
そして、生き残ってアメリカ軍の捕虜になった人が、アメリカ軍に殺されるならば、その前にと子供を殺した、その後悔をしたっていう記述があったりして。
子供も苦しかったろうが、それをして生き残った人も地獄だ。
森の中に入っていきながら、姉は怖がっていたんだが
多分、スピ系の人の多くは怖がって近づかないだろうと思うが
なんだか私はそういうところから目をそらしてはいけないような感じがした
それで、森の奥まで入って、手を合わせてきた。
多分、今夜、寝る前にリトリーバルにゆくだろうと思うし、もしかすると、ここに来たのはガイドが連れてきたのかもしれないと思った。
以前も、沖縄で一回そういうことがあって、寝ようとしたら、ガイドが待ち構えていたことがあった。
(本当は伊江島あたりにゆこうと思ったのだけれど、さまざまあって、こっちになったのだよ)
このあたりの下の方で、多分、自決をしている。こんなところで死ななくてはいけなかった気持ちってどんなものか
考えるととても悲しい気持ちになるし、平和の大切さというのを強く感じる
リトリーバルというのを、あまりしたがらない人は多いし
リトリーバルが必要そうなところでも、関わる労力を嫌がる人はいるだろうと思う
BMメソッドをやっている人の中にも興味の対象がリトリーバルにあまりない人はいるから
ゴーストバスターズをしたほうが良さそうな場合でも、自分に関わりがない場合は、スルーする人はいる
だけど、私はなんとなく、自分の気力や体力や時間に余裕があったら
やるのが普通だって思っているんだよね…
偽善者っぽく見られるかもしれないけどさ
私だって、そんな風に誰かに助けられたかもしれないし
それは回り回って私に戻ってくるのだろうし
それ以上に迷っている人を憐れと思ってしまうのだよ
今年はスピリチュアル的には、私は、「集合意識」というものにフォーカスする年だった。
戦争とか、国の動きとか、何らかの集団で維持されている信念と関わっている「集合意識」が個人や地域や集団に影響を与えること
それをどう扱ってゆくのか
大きな「集合意識」というものに対して、個人のレベルで何を働きかけることができるのか、というのを考えることの多い一年だったのだ。
それが、今年の年末の今、もう一度提示されたように私は感じている。
まるで、ドン・キホーテが風車にかかってゆくような気分だけどね。
展望台から遠くを眺めれば、こんなにきれいなんだけどね