こんばんは、Heleneです虹

 

 

すでに昨日になっているけれど、昨日IFSの中級講座があって

そのあとで、録画視聴でサトルアロマセラピーのアドヴァンスの講座を見て、そのあとでこの記事を書いている。

 

で、IFSのことに関して、自分の経験を書いておきたいんだが。

 

中級はエグザイルと言われている、自分の内的なシステムの中でなかったことにされているパーツを扱う講座で

前回、初めて実際にエグザイルにコンタクトするワークをした

 

あまり重くないエグザイルを扱った方がよいだろうというので

私の母が倒れた時から、亡くなった後までの悲しみで傷ついている自分を扱おうと思った

 

亡くなってから2年が経過しているし、思い出せばもちろん悲しいんだが、ある程度整理はついてきている

それに、今の自分ならば大丈夫な心の傷だと思ったのだ

 

細かい流れは省くが

 

IFSのプロセスでは、肉体的な感覚も問いかけてゆくのだが

やっていて思ったのは、多次元セラピーも気になること、体の感覚から入ってゆくというんだが

ここ近年の心理療法での手法では、肉体感覚を入り口、糸口にするものが結構あるのではないかなということだった。

 

それで、その肉体的な感覚をどこで感じるかとか、どんな風に感じるかっていうのは

心理学的な部分での分析以外で、QHHTやヒーリングでも分析して、それがどういうエネルギー的な滞りを起こしているのかとか、何の問題が関係していそうかとかを推測する材料になっているので

IFSの中では、それを顕在化する必要はないけれど

少し意識してみるのは面白いかもしれないと思ったのだった

 

で。

 

自分のグリーフなんだが、母が倒れた瞬間、病室で意識が戻らずに寝ているところや、山形に移送した時の情景などの場面が浮かんでくるのだが

 

私を理解する人が一人この世から失われた悲しさ、喪失感

 

という感情以外に

 

何もできない自分(無力感)

何かができなかっただろうか?

何かをしたら、状況は変わったかもしれないのに

という後悔とかとも重なっていて

 

典型的なグリーフの症状なんだが

(グリーフケアの必要なパターンだよね)

 

だけれども、私の中には

 

何もできないのは仕方なかったという自分を守ろうとするパーツ

悲しみを感じないために、忙しくさせたり、目を背けさせるパーツもあったりして

 

それらをアンブレンド(無力感・後悔を感じ、悲しんでいるエグザイルと、それを保護したり、意識をそらさせようとするプロテクターとを分離させる)させてゆく作業が必要だったりする

 

エグザイルは、最終的には、リトリーバルされ、どこかにうつされたり、自己と統合するという流れで処理されるのだが

そのプロセスは、はっきりと言えば、ブルース・モーエン・メソッドの自己の側面のリトリーバルとほぼほぼ同じだったりする

 

ただし、BMメソッド内では、プロテクターの存在を考慮していない。

BMメソッド内でリトリーバルがうまくゆかない原因というのは、ほぼほぼこのプロテクターが原因と思われる

体験している本人は、プロテクターの存在に気がつかないし

プロテクターとアンブレンドしてゆく作業というのは、明示的にされていないので

全てが体験している本人が自己の信念(プロテクターの持っている信念)に気がつき、それを自分で非活性化させることができるかどうか

ということに依存しているように思う

 

つまり、自分の信念に注意するようになる、それに気がつき、扱えるようになってゆくためには

BMメソッドをある程度継続してやってきて、ハイヤーセルフとしての自己が確立してきて、自分の中の二元性、信念への気付きが生まれてきた人に限られてくるのかもしれない。

 

自分自身がセルフとなって、自分のパーツに癒しをもたらすのがIFSであるが

 

セルフであるというのは、信念を捨てて、愛を持って、どのようなパーツに対しても、それを認め、共感し、受容してゆく

ということが必要となってくる

 

その自分がセルフになるという概念がなければ

信念バリバリで側面に対峙し、リトリーバルに支障をもたらすこともあるかもしれない

 

セルフになり切れる人というのは、そうそういないようにも思う。

特に、スピリチュアルの落とし穴として、善と悪とか、高次低次とかの信念が強い人だと

そのフィルターをかけて、自分自身の体験を見てしまうし

二元性に囚われていると、悪や敵を作り出してしまうから

 

IFSで言うところのセルフとしての対応

それを助けているのがヘルパーやガイドなんだろうけれど。

 

 

で、私自身のプロセスの話だが

結局は、悲しみを抱えていた自分は

 

忙しさから自分の哀しみに向き合うことができなかったり(感じたくなかったのもある)

自分の中で理屈付けをすることで、悲しいことを十分に感じていなかったのだ、ということが分かったんだが

 

同時に、

 

(当たり前のことだが)母には死んでほしくなかった、生きていてほしかった

もう会えない悲しさ

母が好きだった、一緒にいたかった

 

ただ、それだけのことを、きちんと向き合わない

その感情を自分にただ認めてあげる、十分と感じ切る

 

ということをしていなかったんだ

 

というのが分かったような気がする

 

多分。

 

ブルース・モーエン・メソッドのトレーナーであるからして

非物質的には話をしたりはいくらでもできる

 

だから、物質的な世界のレベルの哀しみを感じる必要はないのだ

と思っていた

思いたかったからなのかもしれない

 

ある面ではそうなのかもしれないけれど

 

悲しいものは悲しいし

泣きたいときは泣きたいし

辛いものはつらいのだ

 

そう感じる自分の感情を無視したり、ふたをしたり、逃げたりしてはいけないのだ、本当は。

 

でも亡くなった直後は、その感情にどっぷりとつかることはできなかった。

そうなったら、辛かったから。

 

今だからできたのだろう。

 

傷ついた自分に、

 

『ああ、そうだよね

悲しかったよね

辛かったよね

大好きだったんだよね

一緒にいたかったんだよね

わかるよ』

 

そういう風に声をかける必要があったんだろう

 

ペアワークでやっていたんだが

そういう自分のエグザイルを前に、元々涙もろいせいもあってか

涙が止まらなくて

声もかけられなかったけれど

ハグをして、背中をポンポンと叩いて

愛を投射していた

 

そして、終わった後に、自分の気持ちが軽くなったかどうか、それはよくわからんが

(もともと、グリーフ自体を普段意識しないんだよね

あえて掘った感じでもあったから)

 

でも、自分の中にある、苦しみとか悲しみとかの感情、疲れなども含め、きちんと感じ取ること、気づくことを妨げるパーツがいくつかいるのだというのには気がついた。

というか、以前から、いることはわかっていたんだよね(-_-;)

 

そのパーツとも順番に話をしてゆこうと思っている。

 

人の心は、本当にたくさんの自分(側面・パーツ)が集まることによって出来上がっていて

精妙なシステムで動いているのだ、というのをIFSの講座の中では実感する。

 

 

IFSでは、こうしたプロセスを行ったら

40日間くらいは毎日、そのプロセスを繰り返しながら、様子を見るようにということなんだが

その部分が落ち着くまでにそれくらいは時間がかかるという

 

でも、グリーフに関しては、もしかすると、もっと時間がかかるのかもしれないねって、思いもした。

 

 

ブルース・モーエン・メソッドの中ではやらないかもしれないが

そして、IFSの考え方を使ったブルース・モーエン・メソッドのレベル3的なものを作っても面白いかもしれないと、思ったりしている。

 

心理学だと今の人生だけを扱っているだけだったりするけれど

過去生とかにも使えそうだし

多次元セラピー的に考えると、生霊とか憑依とかも扱えると思うんだけど

私は、生霊も憑依も自分をプロテクトするためのパーツの可能性が高いと思っているんだよね…

少なくとも、それらの存在と同じ波動の自己内のパーツがそれを呼び寄せているし。

 

それが霊的な存在かどうかを信じるか信じないかは関係なく、ブルース・モーエン・メソッドのやり方で、心理学的なとらえ方で処理出来たら、クリーンな感じがするんだけど、どうだろうな。

 

とか、ちょっと思ったりしている。