こんばんは、Heleneです虹


ただいま、ブルース・モーエン・メソッドのレベル1ワークショップを開催中。


少人数でじっくりやってるが、明日はちょうど九州からトレーナーのとむさんが上京してるそうで

ワークショップに顔を出してくれるよう。

(Zoomで話したい方は、練習参加で、朝10時までにお知らせいただければ、間に合いますが

対面は、東日本橋のセッションルームをご存じの方は朝9時くらいまでにお知らせいただければ、何とか間に合うかな?)



さて。


今、ワークショップ開催中なので

いきなり年末にエルサレムに行くことになったことに関して

(実は一昨日、いきなり決まったことだった)

深く掘り下げて考えてはいないんだが


なにか起こったことに意味を見つけたがる人間の性


イタリアの旦那の出身の町から車で30分くらいの渓谷は交通の要所で

山の上に小さな町と、教会がある


そこにあるフレスコ画が面白かったのは以前の記事にかいた。


特殊なのは、聖ヨハネ修道会(ロードス騎士団)の修道士&修道女たちのパレードの絵があるということ。


現在はマルタ騎士団と言われているが、本拠地が変わったために、名前も変わっている。


マルタ騎士団は私は好きになれないが

ロードス騎士団以前には、何か惹き付けられるものがある


もともとは聖地巡礼の人々を守ったり、世話をしたりする目的で作られた騎士団で

十字軍のネガティブな側面を脇において、考えてみると


そこに参加する人たちは、同胞のために奉仕しようと考え、実際に行動に移した善意の人たちだったりする。


一般人であろう彼らの視点から見るならば

遥か遠くの危険な聖地への旅をする信者仲間を助けたい、手伝いたい、良いことをしたい

という気持ちだったのだろうと思う




ただし、それには、当然、異教徒たちの視点は欠けているわけで


自分の信じる正義、善を盾に

異なる民族、宗教の正義や善との対立が起こったわけではあるんだが


このフレスコ画に限って言うならば


ここに描かれた人たちは、初期の十字軍に参加するために

良いことをするつもりで集まり

そして、エルサレムへと旅立とうとしている人たちだったりする


少し前のイタリアのレベル3のワークショップで

私のスペシャルプレイス(ロードス島の騎士団の宮殿みたいなとこ)に

上のフレスコ画にいるような白い服を着た修道僧が現れ

それが白く光っているものだからあまりよく視覚的には知覚できなかったんだが

何か上の立場の人で、人々を束ねるような、王様的な空気を漂わせた人だった

(ロードス島騎士団には話す言語ごとに騎士団があり、それらをまとめる総長がいる

総長なのか、それとも、もともと王族とかなのか、わからない)


元々、私の過去生にもロードス騎士団の人がいるが


加えて、そのハイヤーセルフガイドが出てきたことが、私的には謎ではあったんだが


そのあとに、聖ミカエル・レイラインあたりの教会をめぐっていて

そういう古い時代の教会を回るためのお手伝いガイドなのかな、とも、思った。


ただ、日本で最近、宗教とか、カルトとかが色々言われているなかでもあり


イタリアのカソリックの教会の話や信仰の話をワークショップで聞いたりもしたし


宗教というものの功罪や

古い宗教から私たちが何を得ることができるのだろうか?

とか

様々考える機会があったりした。


時として

人は

自分の信じるもの、その信仰の在り方、方法を正しいものだと思って

そうでないものを、下に見たり、バカにしたり

自らを正当なものとしたがるが


正しさとかを言っている限り

争いがやむことはない


そんなことを私たちは歴史を通じて学んできたはずなんだが

まだ、学びは十分ではないのかもしれない


とか、思う出来事が、ここ最近目につくこともある



カソリックが悪だとか、古いとか

プロテスタントが正しいとか

ギリシャ正教が正統とか


それぞれの立場で主張は違うんだろうが


どの宗派にも、いいところもあれば悪いところもあり

いい聖職者もいれば、悪い聖職者もいる


いい部分を互いに尊重しあって

学べるところは学び、改革するところは改革し


何かを批判して、対立を産み出すより

その方が遥かに本来の在り方に近いはずであり


右の頬を打たれれば、左の頬を差し出せ


なんて、なかなか難しいが

(一般的な解釈では悪いことをされたとしても、怒りや憎しみにとらわれず、復讐を手放し、赦すことを意味する)


キリストのいった愛に基づいた生き方


行動をいかに実践して行くのか、ということが真のキリスト者だと思うのだが


現実では、それができないのが人の性だったりする



まあ、色々、思うところはあったんだが


イタリアで回った地域は、聖ミカエルの巡礼の道にある教会でもあり


信仰とか宗教に関して考えさせられたのはある

(私は、多分、あえて言うなら自分の内側から神につながろうとする神智学者なんだと思う

キリストは、本来はそういう秘教的な教えを伝えていたのだとも思ってる)



その一連のあとに急転直下でエルサレム行きが決まったのは


あの教会のなかで見たフレスコ画のテーマが

聖地に出発する修道士たちの出発のためのパレードであり、記念だったんだが


つまり、私が修道士よろしく

エルサレムへとゆくことを暗示していた


もしくは、ゆくためのエネルギー的な調整とか、儀式的なものだったのではないか、と

思ったのがある。



少し心配していることとしては。


私は、キリストの磔の絵だとか、エルサレムで起こったこと関連のものを見ると

涙が止まらなくなってしまうなぞに変な体質なんで


その場所そのものにいって、それ関係をもろに見てしまったならば

キリスト教徒でもないのに、変質者的見られるのではないかということ💧


(私のなかにはなぜだか、ゴルゴダの丘や、坂道を苦しみながら登る人のヴィジョンがくっきりとある

自分のことをヨハネの生まれ変わりとは思ってないが、クラスターやスーパークラスターレベルの情報の欠片をもらっているのではないかと思っている)


もしかすると、そのなにかを受け止める準備というのがようやくできたから、イスラエルにゆくことになったのかもしれないし


単なる気のせいかもしれない😁



しかし、それ以上に実は楽しみにしているのが

イスラエルとヨルダンの遺跡だったりする


ペトラはもちろんのこと

古代ローマの遺跡もいくつもあって


FBのイタリア語の古代ローマ関連のグループで度々流れてきた遺跡にいって、実際にこの目で見るのが楽しみなのだ。


もちろん、遺跡があるならば

アンちゃん像もあるかもしれん


という下心がある。


いや、もちろん、ローマのものは普通に好きだし

それでなくても、遺跡は私のエネルギーチャージの場所でもあったりする


それに。


ハドリアヌス帝はバル・コクバの乱(第二次ユダヤ戦争)を鎮圧し、ユダヤを破壊し、追放した皇帝なんだよね…

(アンティノウスの死んだあとにしばらく戦争が続いてる)


それでローマ化が進み、放浪するユダヤが生まれた元凶でもあるが

それもあって、何があるのかも、興味深かったりする。



とはいえ。


明日はBMレベル1最終日。


最後まで丁寧にやっていきたいな。