こんにちは、Heleneです虹

北キプロスの日帰りツアーの話が続いています。

サラミスの遺跡の後は、少し時代が後になって、聖バルナバ修道院に。

バルナバ。

あまり知られていない聖人かもしれませんが
キプロス出身で、聖パオロ(すみません、イタリア読みです。日本ではパウロかな)が迫害者から改心したときに、かくまったり
キプロスへの第一次布教の旅に、同行したりといった、初期のキリスト教の重要人物であり

北キプロスのファマグスタ近くに墓があって、そこが巡礼地の一つとなっています。

そうしてみると、キプロスには意外と著名な聖人の足跡がありますね

聖パオロ、聖ラザロ、聖バルナバ、聖ヒラリオン……
(ヒラリオンはアセンデッドマスターとしての方が有名ですけど)


そして、そこに修道院もあったのですが
トルコ支配下で、博物館になっていて……

フレスコ画とかありません
(売っぱらったのか、元からないのか不明)

修道院の方はこんな感じ















教会の中はイコンの博物館
修道院の方には、考古学博物館



少し離れたところに、聖バルナバの墓があります
そとから見るとこんな感じ



中にはいってすぐはすごく簡素



地下に降りてゆくとお墓があります







キリスト教世界だから当たり前といっては当たり前だけれど
キプロスでは、聖人の何かとの遭遇率高く

キリスト教自体に関しては
この間も別の人と話していたのだけれど
【宗教】とか【組織】としては、大っきらいなのですよね

だけれども、オリジナルなキリストの教えというのは
奇跡のコースとか、ダスカロスの教えとか
私にはしっくり来る

それに、なぜだか、仏教やイスラム教やヒンドゥー教や、さまざまな宗教よりは
更には、日本人なんだけど、神道よりも
キリスト教の方がなぜだか近しく感じたり

それが不思議なのだけれど

【令和】に変わるまさにそのときに、キプロスにいて
私は正直いって、【令和】フィーバー的なものを外から見ていて
ちょっと異質に感じていたのだけれど

なにもかもそれと絡めて考えること
なにかの動きにすぐに国民総出で同じ方向を向いて、一斉に動いて、みんな同じようなことをいう

私はそれを気持ち悪いと思ってしまうし
最近の風潮に、ファシズム的な香りを感じているから

おめでたいというのはわかるけど
もしかすると、みんなやってることを見て
やらなきゃいけない気分になってしまったとか
乗っかっておくかって、ノリでやった人もほとんどかなって思うけど

非常にローカルで、宇宙的な視点から見たときに
日本の年号が変わることにどれくらい意味があって、どれだけ影響力があるかって
私はガラパゴスとしか考えられないし
(日本のスピもガラパゴスだけどね)

年号が変わろうが
年が変わろうが
自分が年を取ろうが

私は私であるし
ただ、淡々と生きて行き
ただ、自分の求めることを追求するだけで

昨日と今日で劇的に変わるとかっていうのは
幻想だともおもったり
もしくは、外になにか変化を求める
外からの何かが自分を変えてくれるというようなものの気がしたりもする

ちょっと、シニカルな目で見る自分であったり


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