こんばんは、Heleneです虹

更新が一日二回になっていて、この記事は、前の記事からの続きになっています。

ここから読むと、古代密犠(キュベレーとアッティス信仰)に関する話がわかりにくいかもしれませんので、前の記事もチェックされると良いかもしれません。

さてさて。

メッセージを見て、ウケていた理由ですが。

まず、写真をご覧ください(笑)

アンティノウス=アッティス神像
フリギュアの帽子は、アッティスや信者の印であり、解放奴隷の印でもあります
アンティノウスは、私のヴィジョンでは、かなり低い身分の自由民ですが、解放奴隷とする人もいますね

これも、アンティノウス=アッティス
頭飾りは神の姿かな?
別バージョンに都市の守護者(キュベレーもしくはアッティス)という意味合いから、城壁の頭飾りをしているのも見た気がします
ギリシア・ローマに限らず、オリエント~西洋はシンボルだらけ…

これも、アンティノウス=アッティス
松ぼっくりと、葡萄と左下の碑でアッティスとわかります
わたし的には、犬を連れてるのはアンティノウスっぽい

3つの中で、私のヴィジョンに近いガイドの顔は一番下のこれ
(ちなみに、これがある部屋は、アンティノウスの力?強くて
普段、ガラスカバーがあるこれが、無い時にうまーく当たったり
素通りしようとすると、石の携帯ストラップ引きちぎり、離れた階段から、この部屋まで飛ばさせたり
私に対する引力が半端ない部屋である
実際、見ると、『ああ、イケメン♡』(ほへ~)となってしまうから、『美しい俺を見て、惚れ直しやがれ』的な、必殺の洗脳悩殺部屋なんだろう)


これでもかと、3連発、アンティノウス=アッティス神像でございまーす。

アンティノウスは、古代ローマ帝国内の、死と再生に関わる神の多くを集合した神として、祭られていました。

(オシリス、アドニス、アッティス、ディオニソス、ヘルメスあたりと集合された像はよく見ます。
どんだけ集合相手のターゲットがいるんだろうね~)


自分では全くの無意識で、最近の記事の中で、キュベレー神に関して、名前を挙げたり、アナトリアの神の神官云々と書きましたが。

アナトリア(フリギュア)もキュベレー信仰の発祥地と呼ばれる地。

アナトリアは、現在のトルコの中部、中西部あたり…

そこと接する北西地(地図によっては一部被る)のビテュニアは、アンティノウスの出身…

その頃は、キュベレー信仰がローマにも確立されていますし、幼少期にその信仰のある場所にいたわけで…

彼が、何らかのかかわりがあったとしても、私はおかしいとは思わないのです。
(後で書きますが、彼自身もアッティスの密犠に関して、白状しました…)

無意識に自分が書いていたのは何なのかな~
タイミング的に何かあるなぁなんて思ったりもしたのですが。

Shinnoさんに、キュベレー…。


で。
アッティス自体が植物に関係した枯死と再生(死と復活)の神だったりするみたいです

先の曲がった三角の帽子がアッティスの特徴ですが、シンボルは松ぼっくりでもあります。

(アンティノウスが来ると、針葉樹系の香りがあったりするのですが、パインの香りなのかな? シダーウッドとか、サイプレスとか、混ざってる感じもするけど…
でも、あの香りに似た香りを嗅ぐと、何ともエロい気分になっちゃうんだ
アンちゃん、霊体で来るとき、100%、愛し合うためにくるから、パブロフの犬状態…うまく飼い慣らされてるな、私も

農耕、葡萄とかを育てるのの守護神的な役割もあったのですが、ディオニソスとも、そこはかぶるかな。


ディオニソスは前述の通り、アグディスティスを去勢した神でして

(そうして考えると、

アグディスティス=キュベレー=去勢された両性具有

去勢された男性器から生まれた美少年=アッティス

自分で去勢しちゃったアッティス

自分で去勢しちゃう信者たち

という、もう、男的にはかなり痛い連鎖でありますな)

そのディオニソスも、葡萄とワインの神様であり。
ディオニソスがヘラに狂気にされた時に、様々な地をさまよい、キュベレーに癒やされ、キュベレーの密犠を受けたとあるので
ディオニソスの祭祀も、キュベレーの祭祀と近いものがあったり…
深いつながりがある様子


それから、キュベレー、アッティス神話が伝わって、アフロディーテ、アドニスの神話ができた経緯もありますが

アドニスも、アッティスととても似ていて。
植物の枯死と再生の神であり。

アテネあたりではアドニスの園と言って、壺か何かに麦などの作物を鉢植えにし、八日めにアドニスの像とともに水中に廃棄する儀式をしていたそうで。
アドニスが若くして不毛に死ぬ象徴らしく。

アドニア祭では、女性たちがミルラ(アドニスの母が化身したのがミルラ)を身体に塗り、乱交するようなことがおこなわれたり。


死と復活の神と呼ばれる神、アドニス、(オルフェウス)、アッティス、ディオニソス、オシリスには、みんな共通点があって。

どれも、一度死んで、再生した神なんですけど。

古代世界において、非常にメジャーな概念であり、キリスト教だけの専売特許だったわけでもなく。

一時期、(多分、ローカル的な話だとは思うが)アンティノウス神が、キリストと並び力を持った神であったこともあったのですが(笑)

アンティノウス、イエス・キリストと張る!
あの人を考えると、笑えますが(*゚∀゚)

アンティノウスはそれらすべてを吸収した神だったわけです…

本人には、その意識はま~ったくありません。



それから、ライオンについてですが。

ディスクのシンボルというのは少し前にも書きましたが。

ライオン自体も生と死の二面性を表すというシンボルのようです。

さらにライオンを掘り下げてゆくと、太陽神信仰とも関わってきます。

アポロン、でもあり、そして、私が少し前に書いたミトラス信仰(過去生で私が熱心な信者だったし、今世でも若いころにオタク的に探究した古代密儀)も、太陽とライオンが関わってきます。

太陽自体も、死と再生を毎日繰り返すものですしね。

キュベレーの戦車を引くのは、2頭のライオンですが、2頭のライオンのシンボルはエジプトにもよくあるそうで、それは、東西、今日と明日、昼と夜、死と再生を表すものだったり。



もう一つ面白いのは、ミトラス信仰でも、アッティス(キュベレー)信仰でも、死と再生に関わる密儀では、牛が関わってくるということ。

聖なる牛を屠り、その血を浴びることで、不死や再生の力を得るわけです。


さらにもう一つ。

アッティス(キュベレー)の儀式では、男性が自分の性器を切り落とすという恐ろしい儀式を行いますが…

それ以外に、女性司祭の導きの中、乱交が行われ、それが、犠牲の牛の血を浴びたりしもするので、想像するとそれは、おどろおどろしい儀式でありまして。

アドニア祭でも似た感じかもしれないし。

それが、黒魔術のサバト的なイメージの原型らしいのですが


それとよく似たような光景を、私は自分のローマ時代の過去生の中で見ておりまして…(-_-;)

私がヒエロス・ガモス(聖婚)の儀式だと思っているものですが。

もしかして、あれは、キュベレーの秘儀だったのかも…と、思った次第。

それについて、問い詰めたら、アンちゃんが白状しましたが。
それはまた今度。


ただ、儀式の一部は、もとフェニキアの土地で行われたものだったので、それに関しては、バール神のものだと私は思っている。

これも改めて探って面白かったのは。

バール神、というのは、なにか単一の神ではなく、カナンのそれぞれの地域、町で主神とされたその街を支配する神のことであり、多くは土着の太陽神であった、という説。
(バールの言葉の語源が、主、支配するものという意味だそうで)

それだけイスラエルの民が、多くの神への信仰(神殿を持つ、密犠的な性質も持つ古代宗教)にはまっていたのかということらしいですが。

旧約聖書のソロモンも、実は、アスタルテ信仰の妻の影響を受けて、その祭儀に加わっていたというし

これは、QHHTのセッションで私が体験した自分の過去生だけれど。
私もたくさんいるソロモンの妻の一人で、私の信仰と出身の国から、イシュタルと呼ばれていた、らしい…

どうりで、ディスク代表に妻呼ばわれされたわけだよ、っていう話なんですが
(アンちゃんは、ディスクメンバーにあまり頭が上がらない)

イシュタルとアスタルテは同一視もされるので、件の、ソロモンをバール信仰(バールはアスタルテの夫)に引きずり込んだのは…

そして、バール自体も植物の生育と枯死や農耕と関係ある神であるので。

そんなこともちょっと面白いと思うけれど。

ただ、あのへんの神の相関を考えると、頭がおかしくなりそうであります。


そして、デルフィで行われたものも、私は、アポロンが支配する前にデルフィにいた、ガイアの関係の儀式かもしれないと思っている



で、もしも、アッティスが、死と復活とかかわるものであるならば。

アッティスと、アンティノウスが集合されたという表面上に見えることではない、本当の関連性は?

そこで、アンちゃんが望んでいたものは…?



っていう話になるんですが。


ちょっと、そんな謎が深まる話でありました
まだ、続くのかしら?


で、余談。

キュベレーの男の信者が、エクスタシーの中、男性自身を切り落とし、神に捧げるのは、キュベレーという神性を離れ、人間的世俗に身を落とした(アッティスが王女と結婚しようとしたこと)ことを男性自身に象徴させ、それを切除することで、物質的人間の世界を離れ、神の世界に入ることだったらしいですよ。

アッティスはそれによって、人間的な世界から、衰えも老化もしない神的な世界に入った、ということなので。