昔々まだ学生だった頃、
東京のある楽器屋さんの音楽教室で、ピアノと声楽を
教えていた。

ある日、ピアノを習うのは初めてという男の子が入会して来た。
5歳くらいだったと思う。
お父さんが黒人さんのようで、その子は浅黒い肌のとても
かわいらしいやんちゃな子。
お母さんは、学芸大学をお出になっているという事だった。

しかしレッスンを始めて見ると、いつもお母さんとレッスンに
来るのだが、なぜか必ず5分~10分遅れて到着なさるのだ。

屈託の無い笑顔で現れるその子は、ピアノを習いに来ている
という自覚がないようで、必ず来ると途中であった出来事とか、
家であった事とか、部屋に入るなりしゃべりまくる。

その教室は一人レッスン時間が30分という設定だったため、
10分も遅れて来られて、なおかつおしゃべりしていたのでは
レッスンの時間がほとんど無くなるので、
彼がどんどん話したがるのをいつもなんとか遮って、
レッスンをしていた。

何回か通って来られて、何ヶ月か経った頃だろうか、
いつも無表情でレッスンに付いて来られていたお母さんが、
「先生はいつもこの子が一生懸命話しているのになぜ
 聞いてくれないのですか。やめさせてもらいます。」
と言い放ったのだ。

いやいや、びっくりしたのなんの。

いつも遅れて来といてそれはないでしょう。
それにとりあえず話は聞いてるし。切り上げてるだけじゃん。
お月謝を払ってピアノを習う目的で来てるのだから、こちらも、
それだけの事を教えて差し上げようとしているだけなのになあ。

その子がしゃべり倒すので、
いつも次の子の時間に食い込んで、またせてるのに。

学芸大出てるってことは、教育の専門家だろうから、
子供に寄り添い、成長に合わせて教育するっていうのが、
理想だったのかしら。

それならなんで市井の音楽教室などに来たのかなあ。

まだ私が若かったから、バカにされたのかも。

そのころは今で言うモンスターペアレントという言葉も無く、
先生にお任せします、と言うタイプの親御さんが多かったので、
シャックは受けたけれど、それより驚きの方が大きかった。

あの子ももう親になっていてもいい年頃。
どうしているのだろうか。