宮城県石巻市へ納車
この度の東日本大震災の被害を受けられたみなさまに心よりお見舞い申し上げます。
今回は1000年に一度の大地震という事で、その被害は深刻で毎日報道される痛ましいニュースに日本中の皆様が心を痛めていると思います。私も自分に出来る範囲で支援をしていきたいと強く思っております。
今回は昨年、宮城県のイオン利府店で出店していた時のスタッフの方のご家族が石巻市で被災してしまい、車を津波に流されてしまったということで、中古車を石巻市までお届けに行って参りました。
イオン利府店でも地震による大きな被害があり、死亡事故も起こってしまったと伺っております。
関係者の方々には心よりお見舞い申し上げます。
東北道を仙台に向けて朝の6時に出発しました。
どれだけ東北道に被害が出ているかも分からなかったので、かなり早めの出発です。
浦和インターを抜け、順調に車は進みます。
ところが白河インターを過ぎた辺りから道がでこぼこしてきました。
中には大きなギャップもありハンドルがとられないように運転も慎重になってきます。
露骨に急いで補修したような修理跡の隣のフェンスはまだ倒れたままの場所もありました。
現地ではガソリンが入れられないとか、道には瓦礫が沢山ありタイヤがすぐにパンクしてしまうなどの情報もあり、事前にかなりの準備をしました。
パンク修理剤に、緊急時に車から脱出できるように窓割りハンマー、シートベルトカッター、ソーラー携帯充電器、2日分の非常用食料など。
まだまだ余震も強いので、しっかり準備をしていきました。
特に大きな問題もなく、最終の最寄の菅生SAでガソリンを満タンにできました。
もう少しで石巻市です。
石巻ICのすぐ近くにあるイオン石巻店の駐車場で、ヘコミ救急隊の宮城店の佐竹さんと待ち合わせをしました。
久しぶりの再開で、地震直後は何日間も連絡が取れずに本当に心配していましたが、今回無事に再開できて元気な顔を見れて本当にほっとしました。
一緒にお昼を食べながら、どれだけ大変だったかいろいろとお話を伺いました。
佐竹さんの地区は山沿いなので津波のような沿岸部ほどの被害はなかた様ですが、ライフラインが全滅して本当に大変だったそうです。
しかしこれから向かうのは石巻の沿岸部。どれだけの被害が出ているのか想像もつきません。
住宅街に入っていきます。道の両側の壁には家の中にあった浸水してしまい廃棄する荷物がびっしり積み上げられています。この地区は床上浸水だったそうです。
納車先のお宅に到着しました。
「本当に大変でしたね。」と喉まで言葉が上がってきましたが、ご両親のお顔を拝見したらその言葉も言えませんでした。どれだけ大変な思いをしたのか僕にはまったく想像がつきません。
ご自宅に上げていただき、いろいろお話を伺いましたが本当に、本当に大変だったようです。
どれだけお力になれるか分かりませんが、自分に出来る限りのご協力はさせて頂きたいなと心から思いました。
納車が終わり、今度はイオンの元スタッフに仙台市内で待ち合わせをしていたので、石巻市から沿岸部を南下していきました。
そこに見えたのは想像を絶する景色でした。
どこを見ても瓦礫の山で、ここに住宅街があったとは想像もつきません。
ここで生まれ育った友人の話によると、この景色をみると何の感情も湧かなくなり、ただ涙が流れてくると言っていました。この瓦礫の下にはまだ未発見の方も眠っていると言われています。
その悲しみは本当に想像を絶するものでした。
ここには船着場があったようで、道の上には沢山の船がうちあげられていました。
大きな船がごろごろ転がっていて、異様な景色です。
松島にはいると比較的津波は低かったようで、全壊している家屋はありませんでした。
しかし被害は甚大で、全てのお店が閉店していました。
家族で旅行に来たときの以前の活気と人通りはありませんでした。
地震の前日、佐竹さんが作業していた車屋さんが大きな被害を受けてしまったようで、一緒に様子を見に行くことにしました。
ここの地区の被害は甚大で、ほぼ全滅でした。
車がそこら中でごろごろしており、この世の景色とは思えません。
佐竹さんのお客さんの店舗も人気が全くなく安否も結局確認できませんでした。
仙台市に入り、元スタッフの友人とサイゼリヤで待ち合わせをしました。
が、着いてみたら地震で崩れていて、営業していませんでしたのでちがうレストランで待ち合わせました。
K君とも久しぶりに再会できて、元気な顔がみれてほっとしました。
K君もよっぽど辛い経験だったようで、せきを切ったように当時のことを話してくれました。
本当に今回の地震はどこでだれの話を聞いても本当に悲惨です。
聞いているだけでも心が痛くなりました。
すると。レストラン中のお客さんの携帯の地震アラームが一斉に鳴り出します。
辺りが騒然とした雰囲気になります。
あまり大きな余震ではありませんでしたが、宮城の方は日常づっとこの余震に怯えているのが分かりました。
最後にK君に別れを告げ、新幹線がまだ開通していないので、バス停まで佐竹さんに送っていただき、無事帰路につきました。
帰りのバスの中で、本当にいろいろ考えました。
テレビで見るのと、実際に被災した人のお話を聞いて、その現場を見るのとでは本当に大きなギャップがあるのを感じました。
日が経つにつれて、テレビも通常に戻り、だんだん緊張も薄れてきますがこの地震による被害は現地ではまだ現在進行中です。
石巻市は瓦礫を廃棄するだけで何年も掛かるそうです。復興はまだまだその先です。
私たち日本人全員が手をとりあって全力で支援をしいきたいと、心から思いました。
また現地での生活と支援する側でのギャップもあるという話も聞きました。
現地ではそろそろ復興が始まってる地域もあるそうですが、そこに善意なのですが全国から大量に無料の食料や生活必需品が届けられてしまっては、現地で物が一切売れなくなってしまいます。
それは復興の大きな妨げになってしまいます。一方、未だに食料や物資が足りない地域もあるようです。
現地では急ピッチで復興が進んでおり、刻一刻と必要なものが変化しています。
支援する側もしっかり情報を収集して、適材適所適時に物資を供給しなくてはならないと強く思いました。
今回の地震からの復興は長期戦になります。
僕も出来る限りの支援は続けていきたいなと心から思いました。