何もかものいっとう最初に、神様がひとりでおられました。
この神様は幼くていらっしゃいましたが、たいへんに賢く力もおありでした。何もないところから世界を造るという難しい難しいことに手をつけられたのも、決して、無謀な挑戦ではなかったのです。
頭の中に引いた広大な世界の設計図をもとに
途方もない熱と力をあつめて芯をこしらえました。
大地を均して、そこに海を切りました。場所によってふかくあさくし、水をはったときに澱まないように工夫をこらしました。土を寄せて盛り上げ、天辺をつまんでひゅうと伸ばし、空の星から下げた線にとめて高い高い山が落ちてこないようにしました。生きるものの種をうんと増やしたかったので、冷たいところも温かいところもできるようになさいました。
世界は、いずれ造り主の手を離れ、造られたものどうしの調和によって成り立っていくことが望まれていました。それゆえに、ものごとはすべて美しく、きびしく、同時に醜く、退屈であるようにされました。相反するものや少しずつ異なるもの、鋭いものと鈍いもの、速いものと遅いものが巧みに組み合わされ、常に変化し、生まれては消えながらも先へ先へと進んでいくように、おそろしく細やかだけれども大胆な筆づかいで地のおもてと海のなかへ書き込まれたのです。
そうして出来上がった世界の素地へ、神様はいつくしみをこめて一つ一つ生き物を造り、そっとおろしてやりました。その健やかなこと、無駄のないことといったら、どうでしょう。恩寵を受けたものたちはやがて少しずつ数を増やし、複雑に入り組んで影響しあいながら、大地と海のすみずみまでひろがりました。
神様は頃合いを見計らって、みずからお造りになった世界から、慎重に、息をつめるようにしてお手を離されました。緊張の一瞬ののち、世界は独りで浮かび、神様の思い描かれていたとおりに動き出しました。幾千億もの大小の歯車がかりかりと正しく咬み合って力を伝えています。目を近付ければそれはそれは小さな機構が見え、遠ざかれば全体がうなりをあげてたくましく回転しています。御自分の成し遂げた仕事を眺めた神様は、満足げにため息をつかれました。なんとも素晴らしい出来栄えでした。
ある日は誇らしい気持ちで、またある日は弾む気持ちで。
造り主としての喜びに満ち満ちて、飽くことなく世界を見守る日々が過ぎてゆきました。
世界は期待を裏切らず成長します。その細部は意外性にあふれ、ときに神様にさえ驚きを与えるのでした。
そのときは、突然やってきました。
神様は南の大陸の片隅で胎動する生き物にふと目をとめられました。同じようなかたちのものが幾度かあらわれて消えたのち、いきなり爆発的な変化を始めたのです。それらは瞬く間に増え、長い距離をよく移動しました。地の上には木の根がはるように次々と町と道とが描かれ、海の上には小さな葉のような船が浮かび、沈んだり流されたりするのにも関わらず、どんどん増えていくのです。
どきどきしながら一心に彼らを見つめておられた神様の耳に、届く微かな声がありました。
夜の闇のなかで、火を焚きながら。
朝日を浴びて。
食物を得て。
新たな子が生まれたとき。
生きていたものが死んだとき。
彼らはまだ非常に素朴な存在でしかありませんでしたが、彼らに出来る精一杯のかたちで、神様に感謝をささげていたのでした。
そうと知れた瞬間、神様の胸に、それまで感じたことのない熱が湧きあがりました。
思わず叫び声を上げておしまいになるほど、神様は感動なさったのです。荒々しく激しい歓喜がお体を満たし、涙がこぼれました。全く予期せぬ応酬によって、仕事がむくわれた瞬間でした。
なんという嬉しさだろう、と神様は思われました。
世界を抱きしめたい、愛おしくてたまらない。このような気持ちを「幸せ」と呼ぶことにして、あの生き物にも分けてあげよう。そして、そのとおりになさいました。
この世界をお造りになった神様、初めからいらっしゃったその方は、正真正銘の神様であらせられましたから、それはそれは賢く気高く、比類なき能力の持ち主でございました。しかし、かの御方はたったひとりの神様で、とてもお若い、幼いといってもよいほどだったのです。
御自分の「幸せ」を神様はすべてあの生き物、ヒトに分けてお与えになりました。
しかし、ヒトがさらに増えていて、とても全員にはいきわたらないことには気づかず、
いきわたらない「幸せ」がヒトをどのようにするかということについてはほんとうに全く想像できない、そのくらい、幼くていらっしゃったのです。
はたしてヒトのうち僅かな者だけが「幸せ」を知りました。
「幸せ」を知らないヒトは、とても素晴らしいらしいものが自分の手からはすべりおちたことを惜しみ、やがて憤りを覚え始めました。得た者たちは羨まれ、いつしか密かに妬まれ、さらには公然と憎まれるようになりました。
「幸せ」を得た者と得られなかった者との差について険のある議論が交わされ、「幸せ」でないことはただの普通の状態よりも悪い「不幸せ」であるという考えが俄かに広まり、猜疑や焦りなどの感情が急激に発達しました。同胞から身を守る必要が生まれ、ヒトの知恵は研ぎ澄まされ、素朴さはかき消えました。ヒトの存在ははるかに重大なものとなりましたが、みすぼらしく惨めな一面を切り離すことは出来なくなりました。
神様への祈りから純粋さは失われ、幸せを際限なく求める取引に類するような、厳格で熱心で声高なものになりました。
このような変化は滝を水が落ちるのにも似た圧倒的な勢いで起こり、進み、済んでしまいました。
幼い神様にはどうすることもできず、結果は実に耐えがたいものでした。「祈り」が次第に大きくなり、狼狽した神様は目をかたく瞑りました。次いで、手で耳を塞ぎました。頭が痛くなっても、ぎゅうぎゅうと手を押しつけ続け、何も聞こえないようにして、いっそのこと自分など見えなくなってしまえばいい、いや、いないことになってしまえばいい、とつよく思いました。そして、そのとおりになりました。
そうして、ヒトは今も、神様に祈っていますが、
それを聞くべき神様がどこにいるのかは、もはや神様自身もご存じないのです。