小さき歌うたうものの穴蔵

小さき歌うたうものの穴蔵

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春の通過を、昔は体をひくくしてやりすごした。

小さきものは、だいたい春が嫌いな人間としてこれまでやってきている。それまで毎朝襟をかきよせるようにして寒さの侵入を防いできたのに、ある日ドアを開けた瞬間に、自分の着ているコートがおおげさでやぼったくて分厚いことに気づく。日差しが暖かい。先週のことは都合よく忘れた人の笑顔のように。散歩に出ると洪水のような花や芽のほころびがびしびしと顔や背中に当たるので、落ち着かない。すぐにうっすらと汗ばむ。足元はぬかるみ、空気はもうもうとして何かの粒子がいっぱい混ざっている感じがする。

不快である。


春は混乱の季節、不審の季節、嵐のような粗暴さに満ちている。もっと幼いころの小さきものにとっては、まったく誰もかれもが少しどうかしてしまうように見える恐ろしい時期だった。多くの人が春を迎え、暖かくなってきたことを喜び、花を見てうきうきとした気分になったり、突然旅行に行きたくなったりする。そして、そうした自分をおおむね肯定的にとらえる。

気温や日照や風向きによって、

このときとばかりに全方位から放出される生気で、

たったそれだけのことで

そこまで人が変わってしまうなんて、おかしくないのだろうか?


いまの小さきものは年齢経ることの恩恵に浴し、鈍感になった自分を喜んでいる。

コート掛けには一年中いつでも「寒い日に着る」長い厚手のコートと、「その他の日」に着る薄い上着が二つ並んで掛かっていて、出かける前にキッチンの窓から外をうかがえばどちらにすべきか、或いは上着はいらないかが決められる。


そして春は、川に散歩に行くのが好きだと、最近気がついた。


子どものころ、小さきものは川の氷が溶けて、水が温み、一気に春めいていく風景に焦るような気持ちになったことがあった。それを振り切りたくて川原を全速力で走り、伸びてきた植物に滑って転んで痛い目に遭いながらもなお走り、いつもより遠くまで来たところ、

砂州の端にカラスやトビが群れているのを見た。

荒くなった息のまま、近寄ると、鳥たちは迷惑そうに飛び立った。

そこには北の国の川に春上ってくる魚がたくさん溜まっていた。尾を力なくばたりばたり動かしているのや、はんぶん干からびたのや、いま食い散らかされているのやらが。腹から卵のこぼれている魚もいた。


小さきものはそれを見て、深く安心した。


いま住む土地の川には、あの大きな魚たちは遡上してこないけれども、川への散歩はあのときのことを思い出させるから、それで行くのかもしれない。


春だろうと、

誰も見ていなかろうと、

構わず生まれた生き物は死んでいるのだ。いまもどこかで、心地よい春の日の真ん中で、誰かが、何かが、死んでいる。それを忘れるのも、或いは無視するのも、知らないのも、いい。

事実は変わらないから。


そのことをかみしめると、小さきものはとても安らぐ。





















小さきものは街を歩いている。寒さに肩をすくめ、心なしか早足になりながら、用を済ませて家に帰るために。


小さきものが思い出す教師は一人しかいない。

初めてならった先生は誰だったか、次の年に誰に変わったか、そうして記憶をたどればすべての先生の名前や、顔や、声や、言っていたことをぼんやりとよみがえらせることは、できる。

しかし、夢から覚めた朝や、街で見かけたもの、人から聞いた話に連なる想念のなかに、ぽっかりと浮かび上がってくる人々として、小さきもののなかに今もいるのは、彼女だけである。


よく考えてみれば、芝居がかった女性だった。


ふるまいといい、しぐさといい、田舎の町にはそぐわないほど、己を演出していた人。

それまで誰も着ていなかった服を着ていた。誰も読んでいなかった本を子どもたちに薦めた。誰も聞いていなかった音楽を持ち込み、誰も見せなかったものを見せた。

髪を束ねもせず背中に落として時折ゆすり、美しい角度で椅子に体を預け、放り出すように足を組んだ。それまで聞いたことのない何かのセリフじみた言葉づかい、口調と声音をびっくりするほど大胆に変えて、次々に見せる感情を切り替え相手を引っぱり回した。


「良いもの、素敵なものをあなたがたに手渡したい」


子どもの頃のなんと無防備なことか。今だったら、そんな言葉を額面通り受け取れるわけがない。

子どもの頃のなんと寛大な心。小さきものは彼女を信じたし、ほかの子どもたちも信じた。

刷り込まれた意識のせいなのだろうか、と小さきものは考える。

初めて評価してもらったことへの恩を、自分が無意識のうちに後生大事に抱えているからだろうか?

いま、当時の彼女の年齢を追い越して、彼女の欲望、彼女の願望、彼女の理想の幼さと俗っぽさが白日のもとにさらされ、考えるほどに許容できないことをたくさん押しつけられたと思うのだが、


小さきものは彼女を思い出すし、それは愚か者としてではない。


家がまばらになってきた。

吐く息の白さを確かめたくて、何度も深呼吸してみる子どもを見ると、胸を冷やすのに、と思う。喉を冷やし、胸を冷やして風邪をひいたら、苦しい思いをするのに。

小さきものは自分の家に早く帰りたい、と思う。家に入って暖かくしたい。


寒さが布団の間に滑り込んでくる朝、電話のベルのけたたましい響き。

報せを聞いた時に何故か思い浮かんだのは、彼女の大きな笑顔だったこと。

新しい年が始まってしばらく経ち、人々の活気やにぎわいが少し落ち着いて来る頃。あのときの生徒のどれだけが、覚えているのだろうか。


失恋した彼女が町外れで凍死しているのを、

郵便配達人が見つけたのは、こんな日の午後だった。

何もかものいっとう最初に、神様がひとりでおられました。


この神様は幼くていらっしゃいましたが、たいへんに賢く力もおありでした。何もないところから世界を造るという難しい難しいことに手をつけられたのも、決して、無謀な挑戦ではなかったのです。


頭の中に引いた広大な世界の設計図をもとに

途方もない熱と力をあつめて芯をこしらえました。

大地を均して、そこに海を切りました。場所によってふかくあさくし、水をはったときに澱まないように工夫をこらしました。土を寄せて盛り上げ、天辺をつまんでひゅうと伸ばし、空の星から下げた線にとめて高い高い山が落ちてこないようにしました。生きるものの種をうんと増やしたかったので、冷たいところも温かいところもできるようになさいました。


世界は、いずれ造り主の手を離れ、造られたものどうしの調和によって成り立っていくことが望まれていました。それゆえに、ものごとはすべて美しく、きびしく、同時に醜く、退屈であるようにされました。相反するものや少しずつ異なるもの、鋭いものと鈍いもの、速いものと遅いものが巧みに組み合わされ、常に変化し、生まれては消えながらも先へ先へと進んでいくように、おそろしく細やかだけれども大胆な筆づかいで地のおもてと海のなかへ書き込まれたのです。


そうして出来上がった世界の素地へ、神様はいつくしみをこめて一つ一つ生き物を造り、そっとおろしてやりました。その健やかなこと、無駄のないことといったら、どうでしょう。恩寵を受けたものたちはやがて少しずつ数を増やし、複雑に入り組んで影響しあいながら、大地と海のすみずみまでひろがりました。


神様は頃合いを見計らって、みずからお造りになった世界から、慎重に、息をつめるようにしてお手を離されました。緊張の一瞬ののち、世界は独りで浮かび、神様の思い描かれていたとおりに動き出しました。幾千億もの大小の歯車がかりかりと正しく咬み合って力を伝えています。目を近付ければそれはそれは小さな機構が見え、遠ざかれば全体がうなりをあげてたくましく回転しています。御自分の成し遂げた仕事を眺めた神様は、満足げにため息をつかれました。なんとも素晴らしい出来栄えでした。


ある日は誇らしい気持ちで、またある日は弾む気持ちで。

造り主としての喜びに満ち満ちて、飽くことなく世界を見守る日々が過ぎてゆきました。

世界は期待を裏切らず成長します。その細部は意外性にあふれ、ときに神様にさえ驚きを与えるのでした。


そのときは、突然やってきました。

神様は南の大陸の片隅で胎動する生き物にふと目をとめられました。同じようなかたちのものが幾度かあらわれて消えたのち、いきなり爆発的な変化を始めたのです。それらは瞬く間に増え、長い距離をよく移動しました。地の上には木の根がはるように次々と町と道とが描かれ、海の上には小さな葉のような船が浮かび、沈んだり流されたりするのにも関わらず、どんどん増えていくのです。

どきどきしながら一心に彼らを見つめておられた神様の耳に、届く微かな声がありました。

夜の闇のなかで、火を焚きながら。

朝日を浴びて。

食物を得て。

新たな子が生まれたとき。

生きていたものが死んだとき。

彼らはまだ非常に素朴な存在でしかありませんでしたが、彼らに出来る精一杯のかたちで、神様に感謝をささげていたのでした。


そうと知れた瞬間、神様の胸に、それまで感じたことのない熱が湧きあがりました。

思わず叫び声を上げておしまいになるほど、神様は感動なさったのです。荒々しく激しい歓喜がお体を満たし、涙がこぼれました。全く予期せぬ応酬によって、仕事がむくわれた瞬間でした。


なんという嬉しさだろう、と神様は思われました。

世界を抱きしめたい、愛おしくてたまらない。このような気持ちを「幸せ」と呼ぶことにして、あの生き物にも分けてあげよう。そして、そのとおりになさいました。


この世界をお造りになった神様、初めからいらっしゃったその方は、正真正銘の神様であらせられましたから、それはそれは賢く気高く、比類なき能力の持ち主でございました。しかし、かの御方はたったひとりの神様で、とてもお若い、幼いといってもよいほどだったのです。

御自分の「幸せ」を神様はすべてあの生き物、ヒトに分けてお与えになりました。

しかし、ヒトがさらに増えていて、とても全員にはいきわたらないことには気づかず、

いきわたらない「幸せ」がヒトをどのようにするかということについてはほんとうに全く想像できない、そのくらい、幼くていらっしゃったのです。


はたしてヒトのうち僅かな者だけが「幸せ」を知りました。

「幸せ」を知らないヒトは、とても素晴らしいらしいものが自分の手からはすべりおちたことを惜しみ、やがて憤りを覚え始めました。得た者たちは羨まれ、いつしか密かに妬まれ、さらには公然と憎まれるようになりました。

「幸せ」を得た者と得られなかった者との差について険のある議論が交わされ、「幸せ」でないことはただの普通の状態よりも悪い「不幸せ」であるという考えが俄かに広まり、猜疑や焦りなどの感情が急激に発達しました。同胞から身を守る必要が生まれ、ヒトの知恵は研ぎ澄まされ、素朴さはかき消えました。ヒトの存在ははるかに重大なものとなりましたが、みすぼらしく惨めな一面を切り離すことは出来なくなりました。

神様への祈りから純粋さは失われ、幸せを際限なく求める取引に類するような、厳格で熱心で声高なものになりました。


このような変化は滝を水が落ちるのにも似た圧倒的な勢いで起こり、進み、済んでしまいました。

幼い神様にはどうすることもできず、結果は実に耐えがたいものでした。「祈り」が次第に大きくなり、狼狽した神様は目をかたく瞑りました。次いで、手で耳を塞ぎました。頭が痛くなっても、ぎゅうぎゅうと手を押しつけ続け、何も聞こえないようにして、いっそのこと自分など見えなくなってしまえばいい、いや、いないことになってしまえばいい、とつよく思いました。そして、そのとおりになりました。


そうして、ヒトは今も、神様に祈っていますが、

それを聞くべき神様がどこにいるのかは、もはや神様自身もご存じないのです。