キリスト教(プロテスタント)では、人の死は忌むものではなく、人の霊が地上の肉体を離れ、天にいる「神」と「イエス・キリスト」の所に召されることであり、イエス・キリストの再臨において復活するための準備に過ぎない。
このことから、プロテスタント諸派では、信徒の死を「召天」と呼ぶ。
「死」とは天国において故人と再会するまでの一時の別れであり、地上に残されたものにとって、その別れは寂しく、慰められるべきことではあるが、死そのものは悲しむべきものではない。
お悔やみの言葉である「ご冥福をお祈りいたします」は、「死後の幸せをお祈りします」という意味を持っています。
「死者が冥土や冥界でさまようことなく、無事に転生できるように」との願いを込めて使われます。
というわけで、山中先生の「ご冥福をお祈りします。」は、不適切発言でした。
亡くなったことを悔やむのではなく。天国での平安を願うのが適切な発言のようです。
私勉強不足で失礼しました。改めて、山中先生の天国での平安をお祈りします。(記事の方も編集させていただきました)