私も山中先生を偲んで、先生との思い出を・・・
4年生の頃、先生が、自分の名刺に「明日待たるるその宝船」と書いたものを私に渡されました。
説明は、何もされなかったのですが、就職活動で、何かあったら使いなさいみたいなことかと思っておりました。
実際に使う機会はありませんでしたけれどね、4年時、同期は他に二人いましたけれど、このことについて聞いたことはありませんし、寮に4年まで残られたOBの方がどうだったのかも知りません。
宝船って書いてあることから、良い意味だろうなくらいの気持ちでした。
最近、ネットで調べてみて、忠臣蔵の中のエピソードで、
「赤穂義士伝より討ち入りの前日、四十七士のひとり大高源吾と俳諧師の宝井其角による連句である。
其角と源吾は俳句の友、雪の両国橋で身をやつした源吾を見つけ其角が発句を呼びかけ源吾がそれに付け返すというくだりだ。
物語は二人が別れて後、其角が発句「年の瀬や水の流れと人の身は」に対しての源吾の付句「あした待たるるその宝船」の意を読み取って翌日の吉良邸討ち入りを知るという趣向で、作中屈指の見せ場となっている。」
とわかったものの、じゃーどういう意味なのだろうかと思った次第です。
私の読解力のなさですかね、忠臣蔵は知っていますが、まともにしっかりと見たことありませんしね。
ただ、言えるのは、まだ、私には、「明日」はまだ来ておりません