石田塾の評価とアフィリエイト
アフィリエイト、SEOを学べる私塾として、石田塾なるものがある。
メルマガをたくさんとっていたり、アフィリエイト、SEOに興味がある人なら、みんな知っている大きな私塾だ。
今、石田塾では5期生を募集している。
最初の頃は、水面下でひっそりと活動する私塾だったが、あちこちで○○塾なるネットビジネスを加速させる私塾がこうまで広まってしまうと、もはや石田塾も【ひっそり】ではすんでいない。
で、僕自身、実は石田塾に2期から4期まで継続した、石田塾経験者。
入塾した頃は、ハッキリいって石田健なんて人知らなかった。2005年春のことである
ブログも情報商材も、メルマガなんて言葉さえも知らなかった。
インターネットが急速に普及したことを受けて、あちこちの掲示板でいろいろな私塾の悪口がかかれる時代になった。
石田塾も例外ではない。
いつの時代も、そして企業などの組織においても、ものごとに肯定する人もいれば否定する人もいる。
国会だってそのひとつだ。
で、この石田塾、僕自身は2期から4期まで継続したことからも分かるように評価している。
いや、評価というよりも感謝しているといった方が正しい。
どこの私塾もそうだが、石田塾では新しい塾生を募集する際、紹介者制度を設けていて、紹介者にはアフィリエイト報酬が入ってくる。
僕自身、メルマガは発行していない。じゃぁ、サイトやブログで新規塾生の募集活動を行ったかというと、それもしていない。
なのに、毎回石田塾に参加している。
何で毎回、高い金払って受講するのか?と不思議に思う方も多いだろうが、まじめに石田塾のノウハウを実践したら、理解できる。
継続しないほうが、リスクだ。
【アフィリエイト】は、ひとりでこそこそとやっていても、稼ぐ額に限界が生じると感じている。
僕は石田塾でであった仲間が、今ではすごい財産だ。親しい仲間たちはみんな初心者からのスタートだったが、今では会社を辞めているのがほとんど。
公務員もいるし、ちゃんと儲かっていた自営業を営む者もいた。
それが今では貴重な情報源であり、互いの収入アップを助けあう仲間だ。
こんな仲間たちとであったからこそ、今の収入があると思っている。
稼げずに失敗し、よその掲示板で愚痴だけをえんえんと書き込む人。それは、こうした出会った仲間を大切にし、渡されたノウハウもロクに実行できなかった人間。
じゃないと、僕や僕の周りにいる、会社を辞めた連中の【存在】に至った根拠が説明できない。
なので、成功する人と成功できない人は絶対に生じる。
絶対に石田塾に入ったほうがいいよ!とは言わない。やる気がある方のみ、申込みをしたほうがいい。
じゃないと、お金をドブに捨てるような事態を招くから。
申込みをされるかたは、僕の紹介者コードを記述してください。
一生の相談相手、僕の新しい仲間として歓迎しますし、一人で作業させません。
1時間でも2時間でも解決できないことに付き合います。初心者でも大歓迎です。
石田塾の申込みページは、http://www.maiei.net/ijk005/
僕の詳細は、http://www.rising-z.com/ をご覧ください。
アフィリエイト報酬は1日たったの100円から始まった
2005年5月 札幌
そのサラリーマンは、初めて【ブログ】に挑戦した。
ちまたで流行っている、『ブログで稼ぐ』なんて概念はなかった。
ただ単に、どんなものなのか知りたいという興味本心でブログを書いてみた。
そのサラリーマンとは、すなわち、自分である。
ボクは、ブログを使ってインターネットに慣れる作業を続ける傍ら、HTMLとCSSなるものを勉強した。
ホームページを自分で作るために身に着けなければならない【知識】である。
ホームページビルダーなんてソフトは使っていない。
完全な手打ちによるホームページ作成を目指し、毎日、仕事から帰宅して深夜2時まで入門書を片手にカタカタ。
2ヶ月ほどで、生まれて初めて自分で【ホームページ】を作成できた。
翌月、毎日平均100円強の小銭が入るようになった。
たった100円ではあるが、副収入を得るという感覚を味わうとともに、アフィリエイトが自分に何かをもたらすのではないかという期待と可能性を薄々感じ取った。
すべてはココからはじまった。
今ある自分は、過去の選択と行動から成り立っている。
アフィリエイトをはじめるとき、僕は大きな【リスク】を背負った。
今考えると、よくあそこで【リスク】を背負う決断をしたなと感じる。
保守的な態度を貫いていたら、今の【現実】はなかった。
自分自身に【変化】が欲しかった時期と、目の前に現れた【チャンス】が偶発的に一致した時期だったからかも知れない。
自分のとるべき【行動】に妻が賛成してくれたことも、大きな要因だ。
一緒に【リスク】を背負ってくれたのだから。
全てが噛み合い、今の自分が形成された。
全ての条件が混ざり合い、ボクの人生に化学反応を引き起こした。
化学反応を起こす前と後とでは、まったく異質の生活がそこにあった。
ボクに【チャンス】を与えてくれた人に、心から感謝をしたい。
・・・つづく
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平成18年夏、会社を辞めたサラリーマン
時は2006年8月
人口180万人の日本最北の政令指定都市、札幌の市中心に位置する大通り公園
その日は好天で、雲ひとつ無い真っ青な空。何かを祝福するような青空だった。
札幌といえども暑い日は暑い。
最近の札幌は湿度も高くなってきた。本州よりはカラッとしているのかもしれないが、この日も、暑い日だった。
その大通り公園で開催されているビアガーデンで、平日の昼間から中ジョッキを交わす者たちがいた。
そのそばには、ネクタイを緩め、上着を片手にかけ、もう一方の片手で額の汗をぬぐいながら歩くサラリーマンたち。
そんなサラリーマンを尻目に、ビールを楽しむ者たち
“退職おめでとう! 乾杯!!”
・・・退職!?
定年退職を祝うには若すぎる若者たち。退職したと思われる男性も30代半ばくらいだろうか?
サラリーマンを辞めたらしい。
しかも彼は、会社ではそれなりの地位と給料をもらっていたという。
リストラで生活に困っている人間もいるこの世の中で、職を失って、『乾杯』である。
ヘッドハンティングでもない。
次の会社が決まっているわけでもない
なのになぜ乾杯か? 何とも不思議な光景。
彼に訪れた退職は【人生の転機】であるが、この【人生の転機】を招くキッカケは、その前年、2005年5月にあった。
・・・つづく
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