大企業の内部留保が446兆円を超えた。一部からは「ため込みすぎでけしからん」「消費税をアップするより、内部留保に課税して社会保障の財源にすべきだ」などと非難する声がある。私も先日、知人が同様なことを言って憤激するのを聞いた。しかし、そうした考えは間違いである。もしも為政者がそうしたことを実行したら、たちまち政権は崩壊するだろう。

 まず内部留保がどういうものであることを理解する必要がある。要するに企業が、利益を得て、それから従業員に給与を支払い、株主に配当した残りが企業の「内部留保」「利益剰余金」である。家計に貯蓄が必要なのと同様に、企業にも必要なお金(必ずしも手持ち現金とは限らないが)である。

 

 

 従業員への給料をケチり、株主への配当をしないでがめつく貯め込んだ黒いカネというならばよろしくないが、トヨタなど日本の大企業が従業員に適正な給与を支払わず、株主への配当もしない―などということはあり得ないだろう。

 

 問題視されるのは、内部留保が設備投資に向けられて企業の業績向上、企業価値のアップに向けられるべきなのに、あまり投資に向かうことなく、各企業で積み上がっていくことであろうと考えられる。しかしながら、有望な成長市場を見通すことができない経済環境で闇雲に投資をすることは無謀であり、投資先がない限り自重することもまた企業の行動原理であろう。

 

 こうした内部留保に対して課税することは二重課税であるというだけでなく、モラルの破壊にも通じるような愚行だと考えられる。日本の中世には、打ち壊しなどが横行し、時の権力者が人気取りの「徳政令」を繰り返した。しかし、そうした行為は、かえって民衆の暮らしを苦しめることになったのは周知の事実である。

 

 江戸時代には、大商人や豪農に対して「御用金」が申し付けられ、あるいは大名貸しが踏み倒され多くの商人が没落した。そうしたモラルを欠いた権力者は、さらに借金依存体質を増し、しかし借入先がなくなって自らの首を絞めることになったのは歴史の事実である。

 

 企業に内部留保を吐き出させ、そのカネで社会保障を賄うことは可能だろうか? 高齢化に伴い、社会保障のコストは急激に増大している。

 

 

 

 

 

 

 2010年度に100兆円に達し、2015年度には119兆円になった。2025年度には155兆円にもなっていく。460兆円の内部留保を充てたところで、わずか3、4年ももたないということである。

 

 さらに社会保障の予算は増大していくのだが、少子化、労働力不足にもかかわらず、そうしたコスト増大に耐えていくには経済成長、生産性の効率化が必要だ。そのために企業の内部留保は絶対に必要だ。企業が成長の原資を奪われ、成長できなくなれば、あとは国債という借金に頼るしかなくなる。まさに

金の卵を産む鶏の首を絞めるのと同じで、その場限りの人気取り課税を行うことは、膨大なつけを子孫に残すことになり重大なモラル違反だと言わざるを得ない。

 

 

 

 内部留保に関する定義をウィキペディアから引用する。他から引用してもほぼ同様であろう。 

 

 内部留保(ないぶりゅうほ、英: retained earnings)とは、企業の所有する資産のうち、借入金や株主の出資ではなく、自己の利益によって調達した部分をさす。たんに企業の資産の調達方法を意味する言葉であるから、内部留保が豊かであるからと言って、『使い道のない資金を溜め込んでいる』というわけではないことに留意すべきである。むしろ通常はオフィスや生産設備として現に有効活用されているものである。狭義には利益剰余金をさすが、利益剰余金の用途は株式会社なら利益を更に産み出すための投資・配当の増加など用途は株主という債権者の同意の下にあるもの[1]と限られるため利益の増加に結果的に繋がらないと株主に判断される用途には背任にされるため経営者も用いない。社内留保、社内分配とも呼ばれることもある。過去から累積した利益の留保額全体を指す場合と、単年度ごとに生じる利益の留保額を指す場合とがあるが、本項では特に断りがない限り、前者として扱う。貸借対照表の勘定科目において『内部留保』という項目自体が存在するわけではない。企業価値の成長プロセスの根幹であり、内部留保なくして企業価値は増加しない。企業は稼いだ利益を「利益剰余金」として、「株主資本」に組み込むことで貸借対照表の貸方の増加に合わせて、借方を大きくすることで設備投資やM&Aに回して株主の望む企業成長のための営業資産としている[2][3][4][5]