アイヌ民族の主食の一つであったサケの漁獲は明治時代に禁止されたままで、その伝統的な権利はまったく回復されていない。儀式用として願い出て、わずかな数が認められるだけである。

 

 4日の北海道新聞朝刊「各自核論」に、米ワシントン大のベン・フィッチュー教授(人類学的考古学)が、北米先住民族によるサケ儀式の復活「サケを迎える儀式」を復活させたことで生態系の安定を保つ役割をももたらされることが寄稿されていた。

 

 北海道のサケ漁業は、人工増殖とともに商業的漁業が盛んで、サケ資源は厳重に管理されている。しかしながら、近年は放流が多すぎるせいか小型のサケが多くなり、また温暖化が原因なのか回帰量も減っている。このまま温暖化が進めば、サケが帰ってくる川がなくなる、などと生態系の面で危機的な状況だ。

 

 教授が寄稿したように、この北海道でも先住民族アイヌのサケ漁業権を復活させた

場合、同じように「生態系の安定」という効果を期待できるだろうか。

 期待できる効果の一つとして、アイヌ民族によるサケ漁を見ることによって、サケに対する彼らの感謝の心を学び、サケが生きるために大切な糧であることを実感できるだろう。

 

 商業的なサケ漁業者がサケに感謝せず、カネもうけの手段としか見ていないということはないだろうし、さらに現代のサケ漁にも少なからぬアイヌ民族が従事していると思われる。とはいえ、現代のサケ漁業は沖合の定置網で行われ消費者の目に触れることはない。また親のサケが生んだ卵が自然の河川で孵化し、鳥や他の魚の食害を免れたくましい稚魚となって大海原へ旅立つのだが、近年は人工増殖のひ弱な稚魚が中心となって、DNAの多様性も失われてしまう。

 

 商業的な漁業者は、この問題をどうとらえているのだろうか? さらに密漁防止(アイヌ民族によるものも含む)や増殖・放流数の増大でピンチをしのごうと思うのだろうか。それとも、アイヌ民族の伝統漁の復活が、自分たちの商業的漁業にとってもプラスになる、という考え方はあるだろうか。