■江戸城無血開城のとき携えた短剣を復刻【美術模造刀剣】 復刻 勝海舟 記念刀
 


1.浅利又七郎との対決

わたしは少壮のころから武芸を学んできているが、いつも心を禅の考え方のなかにおいてみようとこころがけてきた。なにかヒントを得ると、それを必ず実際に剣を持つ構えにして試してみる工夫を怠らずに今日までやってきたのである。

九歳のころ、久須美閑適斎についてはじめて剣法を学び、それから井上清虎、千葉周作や斉藤弥九郎、桃井春蔵といった人々の教えを受け、そのほか諸流の剣士と試合をしたのは何千何万回とも知れぬほど多いが、そのあいだにはいつも右のような刻苦精思の工夫をしてきたのである。

そのようにしてすでに二十年が過ぎたが、どうしてもこれでもう完全だという安心のところにはたどりつけないでいた。だからわたしは、剣の道に悟りを開いた人々を必死に探しまわったのだが、そういう人にはなかなかめぐりあえなかった。

一刀流の達人である浅利又七郎義明という人がいた。この人は奥平家の剣法師範をしていた中西子正の次男であり、伊藤一刀斎景久の剣法を正しく伝える名人であるというはなしであった。

これを聞いて喜んだわたしが試合をお願いしてみると、なるほど世間にもてはやされている剣術とはひじょうに性格の違うものであることがわかった。外にあらわれるところは柔軟だが、内に剛直なものを持っており、精神を呼吸に集中し、攻撃にかかる前に勝機をつかんでしまうのである。このような人を真の明眼の達人というべきであろうと思った。

その後、何度試合をしても、自分の力量でははるかに及ばないことを知らされたのである。修業を怠らずにつとめてはいたのだが、浅利に勝てる方法は見つからなかった。

それからというものは、昼はいろいろの人と試合をし、夜は独り坐って浅利に対決するときの呼吸を考えることがつづいたのである。眼を閉じてただ一心に呼吸を集中し、浅利に対決している場面が浮かんでくると、たちまち浅利の姿が自分の剣の前に現れる。それはまるで一つの山を相手にしているようであり、とうてい打ちかかっていくことはできないもののように感じられた。

わたしがこのように修業しているにもかかわらず、どうしても秘訣を知ることができないでいるのは、自分が生来愚鈍であるのと熱意が不足していること以外に原因はないと考えた。


■山岡鉄舟『真蹟拓本』拓本


2.滴水禅師の公案

かつてわたしは、滴水師のもとで禅理の教えを受けたことがある。

そのときわたしが、剣法と禅理とは一つのものではなかという考えをくわしく述べた。すると滴水のいうには、「おまえのいうことは正しい。しかし、自分らの考え方にしたがって遠慮のないところを批評するとすれば、現在のおまえは眼鏡を通して裳のを見ているようなものだ。たしかにレンズは透き通っているから、さほど視力を弱めることはないとはいえる。しかし、もともと肉眼になんの欠点もない人は、どんなによいレンズであろうとも、ふつう物を見るときには使う必要がないばかりか、使うことが変則であり、使わないのが自然というものなのだ。

現在のおまえは、このことを問題とするところにまで進んできている。もし眼鏡という障害物を取り去ることができるならば、たちまち望みどおりの極致に到達できるに違いない。ましておまえは、剣と禅との二つの道ともに進境いちぢるしい人物である。いったんはっきりと道のあるところを悟ったならば、殺活自在神通遊化ともいうべき境地にいたるのはわけのないことであろう」とわたしを励ましてくれ、さらに、「つまるところは無という一時に尽きる」というのであった。

以来十年、わたしはこの「無」の公案と昼も夜も取り組み続けてきたのであるが、どうしても釈然と理解することはできずにいた。

そこで再び、わたしは滴水師のもとに赴き、自分に理解できたかぎりの考えを述べたのである。

滴水はまた公案を授けてくれた。それは「両刃、矛を交えて避くるを用いず、好手還りて火裏の蓮に同じ。宛然おのずから衝天の気あり」というのであり、この公案についてよく考えてみるようにいわれた。

わたしはこの公案の文句にひどく心を惹かれるものを感じ、太帯に自分で書きつけて忘れないこころがけとし、あれこれと考えを凝らして三年の月日が過ぎた。


■【仏事用の掛け軸】「六字名号」 今泉滴水作


3.商人のはなしから悟る

ある日、わたしの書がほしいといって訪ねてきた豪商の某氏が、自分の経歴を語って聞かせてくれたなかで、ひじょうに興味深い話があった。

「世の中というものはおかしなものですなあ。自分でも不思議に思うのですが、ほんとうに貧しい家に生まれたわたしが、いまでは思いがけず巨万の財産をつくっているのでありまして、これはまったく案外のことと思えるのです。

ただし、わたしが若いころの経験のうちで、ただ一つ貴重に思っているのは、四、五百円の金ができて商品を仕入れたのはよかったのですが、なんと物価は下がり気味だという評判なのです。そこで、早く売り払ってしまいたいものだと考えていると、知人たちはわたしの弱みにつけこんで安く買い叩こうとかかるものですから、わたしの胸はドキドキしてしまい、そのために気持ちが浮足立ってしまって、ほんとうの物価の事情を知ることができないようになってしまいました。あれやこれやと迷い、すっかりうろたえてしまったのです。

そこでわたしは、すっぱりと決心を固め、どうにでもなれと放っておきました。

そのうちに、商人たちがやってきては、減価の一割高で買うというのです。今度はわたしのほうが一割高ではいやだとつっぱねたのですが、それではもう五分だけ増やそうと買値を上げてくるではありませんか。

そこで売ってしまえばよかったのですが、欲を出して、もっと高く、もっと高くと思っているうちに、最後は原価より二割以上も低い値で売るという結果になってしまいました。

わたしが商いの気合というものを知ったのは、これがはじめてのことだったわけです。思い切って大きな商売をやってやろうというときに、勝ち負けや損得にびくびくしていては、商売にならぬものだとわかったのです。つまり、これは必ず儲かるぞと思ってしまうと、ドキドキするし、損をするのじゃないかなと思うと、自分の体が縮むような気分になるのです。

そこでわたしは、こんなことで心配しているようではとても大事業なんかできっこないのだと思いなおし、それからというものは、たとえどんなことを計画するにしても、まず自分の心がしっかりとしているときにとくと思いを定めておき、いざ仕事にとりかかったときには、あれこれはいっさい考えないようにして、どしどし実行することにしてきたのであります。その後は、損得は別にして、まずは一人前の商人になれたものと思って今日までやってきたわけです。」


このはなしを、前に述べた滴水師がわたしに示した「両刃鋒を交えて避くるを須いず」という公案の語句と照らし合わせ、また自分の剣道と関連させて考えてみると、簡単にいいあらわせないような真理を感じるのであった。それは明治十三年三月二十五日のことである。

■大江戸豪商伝



4.剣禅一致

その商人のはなしによって感得したところを翌日から剣法の実際に試し、夜になると沈思精考という繰り返しで五日目の三月二十九日の夜になった。

いつものとおりに呼吸を集中していると、天地の間には何物もないという心境になっている自分の存在が感じられてきた。すでに夜は開けて三十日の朝になっていたのだが、坐ったままわたしは、浅利に向かって剣を振り、試合をしている姿勢をとってみた。ところがなんとしたことか、それまでとはちがい、いつもわたしの剣の前に立ちはだかる浅利の幻影が見えないではないか。

やったぞ、俺はついに無敵の極致に立ったのだ!

ひそかに喜んだわたしであったが、そのまま直ちに門人の籠手田安定を呼び寄せ、自分も木刀を手にして試合をやってみた。

二人の木刀がちょっと動いただけで、まだわたしの新工夫を発揮するひまもないのに、籠手田は、「先生、そこで勘弁してください!」と叫ぶのである。

わたしは木刀を引いて、なぜかと問うと、籠手田は、「わたしは長いあいだ先生の教えを受けてまいった者でありますが、今日の先生の刀ほど不思議な勢いは一度も見たことがありません。自分のような者には、先生の前に立つことなど全く不可能なことです。このような技が人間の力でできるものでありましょうか。」といい、驚嘆の表情を示すのであった。

わたしは次に浅利義明を招いて試合をお願いしたところ、浅利は喜んで引き受けてくれた。

浅利は木刀を構えてわたしに対した。一声気合をかけて飛びかかってこようというすさまじさである。だが、浅利は突然、木刀を捨て、面具をはずし、改まって言った。

「ついにやりましたね。これまでのところとは段違いの腕前です。わたしといえどもかなうものではありません。秘伝を授けるのが当然というべきです。」

伊藤一刀斎のいわゆる「無想剣」の極意は、こうしてわたしに伝えられたのである。明治十三年三月三十日のことであった。

しかし、それでわたしが安心しきったわけではない。その後もいいろに考究を重ね、幾分なりとも感得した点がある。それゆえ、自分の未熟もかえりみず、このように無刀流の一派を立てて有志の人士に伝授しようとしているのである。

以上のところで、わかっていただけるであろうが、わたしの剣法はただ技術を重視するものではない。精神のはたらきの極限にまで自分自身がつき進んでいくことだけを目標にしている。言いかえれば、天道の発する本源というものをつかみ、同時にその正しい活用方法を追究していくことを願うのである。一言にして言えば、見性悟道、つまり妄想を捨てて悟りを開くということである。その他に言葉を知らぬ。

それは剣の修業に限ったことではない。古人は言っている。
「業はつとめれば明らかになり、さらにつとめれば必ず極意を得る」と。

道を学ぶ人よ、請う、怠るなかれ。

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江戸時代中期以降より、三大改革がなされた。

●享保の改革 
徳川吉宗

●寛政の改革 松平定信

●天保の改革 水野忠邦


いずれも失敗し、倒幕を迎えた。

現代では自民党が下野して以来、
連立政権 時代となり、三大改革がなされた。

●政治改革 細川内閣(社会・新生・公明・日本新・民社・さきがけ・社民連等)
●行政改革 橋本内閣(自民・社民・さきがけ)
●構造改革 小泉内閣(自民・公明・保守新)




これも失敗し、やがて倒党を迎えるだろう。これに代わるのは民主党ではない。民主党は自民党と同じ土台、同じ柱での改革しか考えていないからである。勿論、他の野党も言うに及ばず。日本共産党とて、「資本」というものを柱に考えており、何ら変わることはない。

「改革」という言葉は、現政権や現体制を維持しながら、なんとか修正をして立て直そうというものである。ところがこれをあちらこちら、つまり三度も手入れしなければならないというのは、主柱そのものに問題があり、どうにもならないということだ。

だから三度リフォームしてもダメなものは、いったん解体して改築するか、別の土地で全く新たな長持ちする方法で新築する必要が出てくる。

ところが、この時代に直面している人たちは、いったい何が柱なのかがわからないのである。

政治批評をしている人たちの意見を聞いてみよ。彼らの意見は、すでに言いつくされた、古い定義、既存のイデオロギーを取り出して、ああでもないこうでもないと議論している。そのようなものの中に改築の方向も新築の方向もありえないのである。


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平成時代の三大改革はすべてに共通性を持っている。

政治改革とは、政治とカネの問題に端を発したものであり、また政権交代がなされていない選挙制度であることを問題視し小選挙区制度を取り入れた。さらに、政治資金規正法の強化や政党の資金を国が面倒を見る政党助成法を取り入れた。だが、いまだに政治とカネの問題は切り離されず、利権政治が横行している。そして、小選挙区制にしたからといって政権交代など一度もなされていないという事実もある。

行政改革とは、肥大化する一方の中央省庁を1府10省にまとめたものである。とくに最大の権力を持つ大蔵省に関しては、財政と金融を分離させ、財務省及び内閣府外局の金融庁に分割させた。だが、これは看板のかけかえにすぎなかった。いまだに官権政治、とくに財務省の支配は続いている。

構造改革とは、行政の業務を民間に流すことによって経済の活性化を図ろうというものであり、市場経済の促進を目的とした。だが、これは貧富の格差拡大を招くものだった。


三つの改革とも、お金という問題が絡んでいるのである。このお金の本質を変えない限りは、いかようなる改革をしようとも、崩壊するばかりである。

今、時代は幕末時代と全く同じ状況に立たされている。鎖国状態で諸外国の事情を知らない江戸時代は、現代に置き換えれば、自然主義経済を知らないで、あれこれ改革の方法を論じている時代だと言える。


■もう一つの鎖国


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●剣法邪正之弁

剣法の正伝に関して、これこそ極意だというものを考えてみても、そこに特別の法があるわけでなく、つまりは敵の好むようにして行って勝を得るところに極意があるのだ。

敵の好むところとは何か。二つの剣が相対すれば、そこには必ず相手を打とうとする気持ちが起こる。そこで、自分の体をすべて敵に任せてしまうのだ。そして、敵の好む瞬間が来るのを待って相手に勝つ。これが本当の勝である。

たとえば、箱の中にある品物を取り出すとしよう。まず蓋を取り、それから箱の中をよく調べて、品物が何であるかを知るようなものだ。これがつまり自然の勝なのであり、そのほかに特別の法はあり得ないわけである。

とはいうものの、この方法は、やさしいといえばはなはだやさしいのであるが、むずかしいといえばまた実に難しく、道を学ぶものがただ一方的に容易なことだと思いこんじまうのはよくないのである。

諸流の剣法を学んでいる者を見ると、この点が違っている。彼らは、敵に対すると、いきなり勝とうとする気を先に出してしまい、ただただ血気にまかせて進んで勝つことを考えるのだが、このような剣法を邪法というのである。

剣法の修業を右のようなやり方で行っていると、若くて血気盛んなうちならいくらかは上達したように思われることがあっても、中年を過ぎたり、病気にかかったりすると、身体の自由はきかず、力は衰え、業に負けてしまい、剣法を学んだことのない人にもかなわないようになってくる。つまり、無益の力を費やすことになるわけである。

そのようになってしまうのは、邪法ということを反省してみないからだ。道を学ぶ者は、この点を深く考えて修行鍛練しなければならない。

付け加えていっておくが、以上のことは剣法の極意にかぎらないのであり、人間として世間に生きてゆくことのどれ一つをとっても、この考え方をもってやっていくのでなければならない。

軍(いくさ)の陣にのぞむ、大政に参与する、外交に当たる、教育宗教のことに従う、商工農作に従事するなどのような場合に、すべてこの考え方をもって対すれば、不可能ということなどあり得ないだろう。

わたしが、「剣法の真理とは万物の根源を極めるのと同じだ」と主張しているのは、右の理由からである。

明治十五年一月十五日 山岡鉄太郎 誌


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●無刀流と称する説

剣法をぎりぎりと追い上げていったところの到達点は、無敵の状態になることである。

優劣の考えが自分のなかにあるときは、無敵の状態とはいえないのだ。それはすべて心の問題なのである。

まず、優者に立ち向かう時には心の動きが止まり、太刀は抑制されてしまって動かない。というのは、心が敵を求めているから、心は自分によって押し止められてしまい、ために太刀は抑制されてうまく動かないのである。一方、相手が劣者であるとき、心はのびやかになり、太刀は思うままに動く。それは心のなかに、これなら思うままにやれるぞという気持ちが働くからである。

右のことは、剣法には心がすべてであり、その他には何もないということを示しているわけである。修行者が数十年の苦行を続けても、なお身体の働きと太刀の動きのことにばかり気を取られているのは良くないことなのである。

わたしが発明した剣法を無刀流というのは、心の外に刀をおかないということを無刀というところから由来している。無刀というのは無心といってもよく、つまり心をとどめないということだ。

心をとどめれば敵はあり、心をとどめなければ敵はない。孟子が「浩然の気、天地の間に蜜つ」といっているのは、つまりこの無敵という状態を極限において見たものである。

昼夜工夫を凝らして怠らずにいれば、いつかは必ず無敵の境地がぱっと開けてくるにちがいない。それを疑うことなく、諸君は刻苦修業につとめなければならぬ。

明治十五年四月十日

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■戦術と指揮


本書で語る戦術とは、他人との意見の食い違い、ライバルとの関係、ビジネスの競合相手など、日常生活で出会う多くの出来事に応用がきく。

第1章 戦いに勝つための9の原則

紀元前からつみかさなった戦いの知恵
 ■1 目標の原則
 ■2 統一の原則
 ■3 主導の原則
 ■4 集中の原則
 ■5 奇襲の原則
 ■6 機動の原則
 ■7 経済の原則
 ■8 簡明の原則
 ■9 警戒の原則
戦いの基本となる四つの部隊
戦闘力には種類がある
部隊の大きさのきめ方
将棋の駒に相当する部隊記号
基本となる師団の大きさ
背後連絡線の存在意義
地形の読み方
獲得する必要のある「緊要地形」
後方からの支援をえる「接近経路」
日本の地図は精密すぎるのが欠点だ
「視界・射界」と「隠蔽・蔽」
数が多いと有利なのか
人類の歴史とともに歩んできた戦闘陣
ナポレオンも愛用した縦陣
陣形は戦いによって変化する
戦いに勝つための戦術的行動
 ▼攻撃
 ▼包囲機動
 ▼迂回機動
 ▼突破機動
 ▼防御
 ▼行進
 ▼宿営/集結
 ▼伏撃
 ▼追撃
 ▼遅滞行動
 ▼退却
 ▼増援
 ▼部隊交代
 ▼戦線離脱・離隔
 ▼攻撃転移・防御転移

第2章 基本演習

Battle.1 川はどこから渡るのか?
Battle.2 障害と敵があまりにも近い
Battle.3 守る場所を見つけだせ
Battle.4 屈折点における戦い方
Battle.5 山と山にはさまれた隘路における戦闘
Battle.6 最初に進出させるのは戦車か?歩兵か?
Battle.7 複雑性の高い日本の地形
Battle.8 隘路を後方にする敵への攻撃
Battle.9 時間をひきのばそうとする敵
Battle.10 森林において危険な場所
Battle.11 「主力」と「支隊」
Battle.12 まじわる三本の作戦軸
Battle.13 突破における「助攻」
Battle.14 包囲してからの攻撃
Battle.15 攻撃か?防御か?遅滞行動か?
Battle.16 突破点はどこにする?
Battle.17 主火力は前に出すべきなのか?
Battle.18 決戦における火力部隊
Battle.19 予備の人員構成
Battle.20 どうやって本隊に戻すのか?
Battle.21 突然の的との遭遇



第3章 集団における命令の下し方


軍隊の指揮組織と一般企業の指揮組織
有効な命令の下し方
現場と中央指揮官のギャップをどううめるか?
命令の背景を説明せよ
どこまで命令を聞くのか?
100%の情報は存在しない
情報収集以外にすることはある
コンピュータ情報は有効か?
アマチュアをすぐに実戦に送り出すテクニック


第4章 Simulation1 中川盆地における戦闘 ~問題解決の思考順序を学べ


X軍第一歩兵師団の全般状況
Q1 X軍師団長は最初に何を決めたか?
Q2 戦術的に意義の高い地形を選定し丸をつけよ
Q3 敵は、なにが自軍にとって有利だと考えるか?その場合の弱点は?
Q4 各案の利点と欠点は?どの案を採用するか?
Q5 敵の戦力を読む
Q6 どこを攻撃すれば有利か?
Q7 流動する状況を考える
Q8 過去の決心は変えるべきか?
Q9 決心を変更して退却すべきか?
Q10 休息?防御?攻撃?


第5章 Simulation2 海に浮かぶ仮想島“Q島” ~少人数を率いる現場指揮官の決断

仮想地形Q島を設定する
Q島の全貌
Q1 まだ命令の出ていない結城軍曹はどう行動するのか?
Q2 夜間戦闘においてどこを進むのか?
Q3 捕虜輸送に適した装甲車の位置は?
Q4 脱走者への対応
 どの敵を最初に射撃するか?
Q5 地雷を設置する最良の場所は?
Q6 敵の偵察隊とどう接するのか?
Q7 結城軍曹の偵察要領と、その理由
Q8 今夜、どう生き残るのか?
Q9 命をともにした装甲車を捨てるのか?
Q10 部下の窮地に指揮官はどう動くか?
Q11 最後まで戦うつもりの仲間をどうするのか?
Q12 包囲からの脱出
Q13 不時着ヘリにどうやって接近するか?
Q14 敵の存在を味方に知らせる
Q15 

第6章 Simulation3 Q島における三鷹戦闘団の戦い ~大組織を動かす指揮官の決断

三鷹戦闘団の概要
Q1 上陸においてどの案を採用するか?理由はなにか?
Q2 敵の上陸にどう対処するのか?
Q3 平和創造軍の命令をどこまで聞くのか?
Q4 部下の意見を尊重すべきか?
Q5 部隊のはらがまえをきめよ
Q6 まこおこる、官僚との確執
Q7 ワナに落ちた危険はないのか?
Q8 最上の防御策を選び出せ
Q9 どうやって防御に移行するのか?
Q10 指揮官の孤独
Q11 試される新任少佐
Q12 休息のあとのあらたな攻撃
Q13 三鷹大佐の最後の決断
Q14 命令違反は罪なのか?
仮想島“Q島とは何だったのか。

日常生活やビジネスに必要なことはすべて「戦術」に詰まっている! 本書は、元自衛隊作戦参謀である著者が、自ら考案した本格戦術シミュレーション60題を通して、「戦いに勝つための9原則」(1「目標の原則」2「統一の原則」3「主導の原則」4「集中の原則」5「奇襲の原則」6「機動の原則」7「経済の原則」8「簡明の原則」9「警戒の原則」)を解説したものである。

「戦術」は決して特殊な知識ではない。人間社会やビジネスの世界において、かなり有効な要素を含んでいる。「他人と意見が食い違った場合、どうしたらいいのか」といった日常生活で出合う出来事から、「勝つための目標をどう立てるのか」「急激な戦況の変化にはどう対応するか」などビジネス上の問題まで「戦術」はあらゆる状況・場面に応用が利く。
現場は刻々変化している。普通に行動したことが戦機を生んだり、危機を招いたりする。冷静に分析しながら的確な判断力が身につく本。









物知り一夜漬け

武蔵ならこうする 五輪書の極意
●400戦無敗
 ヒクソン・グレイシー 日本の柔術を世界に広める
●昭和の武蔵
 國井善弥 日本武道の危機を救った人物
 笹森順造 武道家の国会議員



●極意
 宇城憲治 間を制す 自然体・平常心 どんなときでも心をゆったりと


●ゴルフ・音楽
 河井良二 宇城塾生徒
 小針克之助 六三四 MUSASHI

●続・極意
 イチロー
 清水宏保
 小笠原司

●高校野球

 小林敬一良



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> また、釈尊は、こんな事を言っていたはずです。「生まれながらに、クシャトリア
> の魂ではないのだ。武士として生きた者がクシャトリアであるのだ。生まれながらに
> バラモンの魂ではないのだ。僧侶として生きた者がバラモンであるのだ。生まれながらに
> バイシャの魂ではないのだ、商人として生きている者がバイシャであるのだ」
> であるならば、釈尊はこう言ったはずであります。
> 「生まれながらに仏陀の魂などないのである。仏陀として行じている者が仏陀
> であるのだ」であるならば、大川さんの人間としての行いにおいて、凡そ覚者とは
> 思えな事実や発言がたくさん出て来ております。そしてこれは、取り消せない事実
> なのです。私が知っている事で看過できないものですが、昔のテープで
> 「十大弟子が脱落したら、新しい十大弟子ができるだけですよ。アハハハハ。」
> 仕事を捨てて出家しているのに、お弟子さんに対する愛のかけらもありません。
> 「景山さんの霊が出て来ましたので、シッシッシと追い払ってやりました」
> 遺族の方が聞いたら何て思うでしょうか?あれだけフライデー事件で御尽力
> されたのに。。。


http://www.c-player.com/ac59183/thread/1100062177486?page=1#1100062181367


おっしゃるとおりです。


「民主主義でいくべきである」
「議会制を取り入れよう」
「国王の横暴を阻止するために憲法を制定しよう」



ヴィクトリア

このような世論が高まったり、このような考えが啓蒙される時代は、あきらかに知識人時代である。

しかしながら、これらの民主的制度が実現されると、瞬く間に知識人時代から、お金を持つ者たちによって支配権が変わる。そして平和な民主的方法を取り入れれば入れるほど、金権腐敗となり、国内の倫理秩序・教育・治安が乱れていく。

日本では戦前と戦後に二度ほど見られる。発展途上国では現代でもちょくちょく見られる。


■明治の教訓・日本の気骨

明治時代、板垣退助や大隈重信といった人たちは、薩摩・長州によって作られた陸軍・海軍の藩閥政治を批判し、選挙で選ばれた議会制・政党制を主張する。尾崎行雄という人も憲政の神様と言われる。やがて官僚支配の政治から、衆議院と政党に政権がうつる護憲運動に発展していく。これはまさに知識人政権時代である。

ところが二大政党政治が確立され、選挙によって選ばれる衆議院議員が、選挙で選ばれない貴族院議員や官僚を抑え、自分たちが政権を支配していくことになるが、彼らにとっては莫大な費用のかかる選挙というものにつねに支配される。選挙権のあるものは税金を納める人たちに限られており、普通選挙制度導入後も、選挙資金の調達に田畑を売ることや、大企業のスポンサーが必要になってくることには変わりなかった。

したがって彼らは官僚という知識人からは自由であったが、財閥という守銭奴からは支配を受けていたのである。

戦後の場合、焼け野原から立ち上がったため、いかにこれを復興するかに焦点がおかれ、知識人が求められた。総理大臣では、外交官の吉田茂、芦田均。弁護士の片山哲、鳩山一郎。ジャーナリストの石橋湛山などであり、また官僚によってこの国の復興計画が作られた。石橋湛山内閣では、この絶望的な貧困から逃れるための「経済優先主義」が掲げられ、その後は商工省出身の岸信介、大蔵省出身の池田勇人、鉄道省出身の佐藤栄作など経済官僚出身の知識人たちによって主導されていく。

ところが田中角栄が次に出現し、利権政治を作りあげ、日本を公共事業で支える。このときから知識人時代は終わり、経済人時代に入っている。金銭を支配する者が政治を支配する者に代わった。官僚組織よりも、自民党を献金で支えてきた経団連のほうが強いのである。最近では小泉純一郎の登場によって、この田中派・竹下派・小渕派・橋本派支配は終わったが、別の観点からすなわち弱肉強食・米国優先の市場経済が促進され、お金が基準の政治に代わりはない。

知識人政権の間、選挙は衆参両院で行われているが、いずれも国民が判断したことは、こと細かな政策ではなくて、「日本は西側・自由主義国につく」という選択ぐらいしかしていない。つまり国民からすると民主的な方法でなく、あくまでも選挙は建前であって、執行するのは知識人の政治家と官僚の時代である。


だから「民主主義をしっかりしよう」と力めば力むほど、守銭奴支配になっていき、格差社会の底辺の人たちは苦しむことになる。

お金が支配している時代に、我が党もお金で対抗してかなうはずがない。力比べに持って行ってはならない。

「押してもだめなら引いてみよ」というが、回転運動が最も良いのである。


■【DVD】大特価!21%OFF!大いなる完 田中角栄元首相をモチーフに「サラリーマン金太郎」の本宮ひろ志が原作を務め、的場浩司、哀川翔などの豪華キャストで贈る激動の昭和初期を舞台にしたドラマ。時代に翻弄され、苦しみながらもたくましく生き抜いていく男と女の姿を描く。

【スタッフ・キャスト】
本宮ひろ志 (原作者)  高橋伴明 (監督)
的場浩司 (出演者)  哀川翔 (出演者)
南野陽子 (出演者)  大塚寧々 (出演者)

「憲法と教育基本法を守り続けよう。 」ブログから
http://blogs.yahoo.co.jp/y2001317/30734078.html


ここに2008年4月7日付けで、井上寿一東大教授が「格差社会と政党政治」と題して論じている。

経済分析の専門家は、すでにアメリカ発の世界恐慌の再来を織り込んでいる。ところが日本では、中央銀行の総裁のポストが空席である。暫定税率も解決の目途が立たない。日本の政治は党利党略で混乱している。

国内の格差拡大社会では、ニート、フリーター、ネットカフェ難民たちが、「路上生活に身を落とす」時代を迎えつつある。

プロレタリア文学の代表作、小林多喜二の『蟹工船』が描く過酷な労働のありさまと今の自分たちの境遇を重ね合わせる若者たちがいる。格差の是正のためならば、戦争も厭わない、戦争による社会の平準化に賭ける戦争待望論すらある。(赤木智弘『若者を見殺しにする国』)

これらすべての兆候は、1930年代の日本を想起させる。昭和恐慌下の日本では、経済的な困窮が社会不安を招いたにもかかわらず、政友会、民政党の二大政党は党利党略の政争に明け暮れていた。民心は二大政党から離反しつつあった。



まさに現代と一緒ではないか。守銭奴財閥が支配する二大政党政治のあと、日本は軍部主導の国になっていく。

平和党はかつてと同じようなパターンの中で、いかに武人政権を作るか、そしてかつてと同じ間違いを繰り返さないための提言をしている。

政友会と民政党の二大政党政治に対して、国民は離反した。現代でいうならば、自民党は駄目だが、民主党にも期待できない・・・というところにまさに現れている。

これはなぜ起きるのだろうか。それは富のパイをお互いが奪い合っているからである。だからここに平和党がさらに参加しても何の利益ももたらさないばかりか、党利党略に巻き込まれることとなる。

したがって、富のパイ自体に意味をなくさせる。富がストックすることにおいて力を持つこと自体に問題があるとし、減価する通貨制度を地域において実施する自然主義経済を我が党は行うのである。

そうでなければ、我が国は、戦争に触手を伸ばさねばならなくなるからである。これではかつてと同じことになる。

(19)30年代の日本の国民は、満州事変から日中全面戦争へと拡大する戦争を支持した。労働者は景気に伴う高賃金を獲得し、戦時食糧増産を促進するために、国は農民に小作料の減免を認めた。出征した男たちの代わりに女性が社会に進出するようになった。

これが軍人・武人政権時代に、女性の地位が向上する理由である。
http://blogs.yahoo.co.jp/heiwaparty/34053666.html


男が武勇の仕事に向けられると、社会では女性の社会進出が始まる。逆に、経済人時代では、男が武勇の仕事でなくても頭脳や金の運営においてなすことが多くなり、女性でも仕事ができるようになる。肉体労働の必要がなくなると女性が経済社会に進出するが、それはあくまでもゲゼルシャフトでの進出であり、女性が地域社会や家族社会での活躍をなくさせる。

つまるところ、女性の地位は経済人時代・守銭奴時代には、低いものとされるのだ。したがって戦時中、「日本は男尊女卑だった」という考えは正しくない。軍人・武人時代こそ男女同権となりうる。女性は子供を産むから尊ばれる。男性が外に出ているから、母が家庭を切り盛りし、家を守る。

経済人時代の女性の地位向上は形でしかなく、おろかなフェミニストを生み出すだけだ。女性の地位向上を経済進出と同じものとし、金を稼ぐ女性はえらく、家庭で家事をしている女性はえらくないという、「経済優先主義」に巻き込まれていくのだ。フェミニズムの基準は、貨幣を獲得できるかできないか・・という、守銭奴のロジックにハマってしまうのである。

そして、彼女らフェミニズムの台頭によって、ますます女性の地位は落ちていくのである。

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国民は戦争が格差を是正することに期待し、自由よりも平等のために、戦争を支持した。

他方で国民は、新しい政党政治の枠組みを求めていた。

党利党略で自滅した二大政党制に用はない。国民は第三の政党の無産政党、社会大衆党を躍進させ、政友会よりはましな民政党との連携に、社会民主主義的な改革の実現を託していた。



ナチス・ドイツの誕生もこれと同じような経緯だ。つまり国民が貧しくなると、社会民主主義政策を支持する。そしてそれが戦争拡大路線に走るのだ。だから富というものに対してストックさせることは、きわめて危険なのだ。社会民主主義も市場競争経済も、富をストックさせるという、つまり戦争の要因を残している点においては全く同様なのだ。

そして過去の歴史を見れば、格差社会の拡大は社会民主主義を支持し、それが戦火の拡大になるということを我々は学ばねばならない。

今、小泉政権以来、弱肉強食の市場経済がなされ、規制緩和がなされ、格差拡大がなされた。このようなときに現れるのが、「富の再分配」をうたう悪魔である。
登場する当初は天使のように見えるが、富を争奪するという点において、彼らは同根であるために、それが引き金となって、無残な社会を作り出してしまう。

私が、昨今の日本の右傾化に対して何の警戒も持たないのはここにある。そんなことよりも、むしろ日本が右傾化していくことによって、反戦運動家・市民運動家・社会民主主義者などの鬱積が問題だ。


これが戦争の引き金になる。小泉純一郎や安倍晋三両内閣時代では戦争は起きないが、現在ではありえないと考えられる志位和夫内閣や福島瑞穂内閣において、平和は脅かされるのである。

歴史はつねに皮肉を持つからだ。消費税に断固反対した社会党が参議院選挙で躍進したからこそ、彼ら社会党委員長・村山富市内閣の手によって消費税は3パーセントから5パーセントに引き上げられたのだ。

自民党を最も利権政治にならしめた小沢一郎新生党代表幹事の手によって、利権政治破壊のための小選挙区制がなされたのだ。

これらと同様に、今まで日本政府が北朝鮮に対して甘い措置を続けてきたから、保守から極右の人たちが今、ここぞとばかりに調子に乗っているのを見ればわかるだろう。彼らは今までエネルギーを蓄えてきたために、今爆発しているのだ。ということは、必ずその逆の現象が起きる。

したがって、日本に戦争が起きるとするならば、日本の右傾化を促進している活動家によってではなく、反戦や社民政策を支持しているようなところから生まれる。

戦争は、戦争好きの人たちが政権にいるから起きるのではなく、戦争嫌いのときに、風が吹けばおけ屋が儲かる式に行われる。

現代はお金という原因によって戦争が引き起こされている。米国がイラクを叩くのも、アフガニスタンで掃討作戦をするのも、米国政府は戦争が好きなのではなくて、お金が好きだから軍人の命や他国民の命を犠牲にしてまでも戦争を行うのだ。

だから平和党は左右どちらの立場にも立たず、どちらの立場をも理解しながら、新たな自然主義経済という方法を提唱しているのだ。つまり旧式の左右思想の束縛から解放するために、平和党は結党されたと言ってよい。


かつての時代、日本国民は社会大衆党に託した。しかし、これは富を富める者から貧しきものに流すという、金銭の移動でしかない。平和党が提唱しているのは、この金銭の移動を無意味なものにする自然主義経済であるから、社会大衆党の理念はそのままでも、政策としては全く逆なのである。


しかし、時代は社民的なものをやがて求めるだろう。その受け皿は社会民主党には相当しないように思われる。国民新党や新党日本にそれらが適応しそうだが、それか若しくは、この郵政民営化反対政党や社民党が、民主党と合併した時、国民は熱烈にこれを支持し、民主党は今よりももっと社民的な方向に転換したとき、民主党政権ができるだろう。


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そして、文化人にもそのような傾向が強く出ている。

戦時下における下流階層の国民のきまじめな改革志向は、今の日本にもあてはまる。たとえばネットカフェ難民の巧みな代弁者、雨宮処凛氏の主張は、社会的なセーフティネットの整備である。

あるいは戦争待望論を期待する赤木氏が求めてやまない「思いやりのある社会」である。この人たちは、安易に保守化、右傾化に与することなく、社会民主主義的な改革をめざしていると言ってよい。

しかし、当時と今とでは大きなちがいが二つある。かつては下流階層の政治的な受け皿として無産政党があった。今は無産政党に代わるものがなく、政党政治への回路が開かれていない。もう一つは、戦争がもたらす社会の平準化作用に期待しても、今日の国際政治情勢のなかで、日本が戦争を起こす可能性は限りなくゼロに近い。政治的な行き場を失った下流階層の国民、戦時中よりも困難な状況に陥っていると言っても誇張ではない。



以下、井上寿一氏は、二大政党ではなく複数政党による民主主義を訴えている。

だが、我が党からしてみると、二大政党であろうと複数政党であろうと、あまり関係がないといえる。

細川政権時代まで、我が国は複数政党制度であった。

ほぼ、自民・社会・公明・民社・共産の五党に加えて、新自由クラブや社民連などで構成されており、このときから今は二大政党になっているが、細川・羽田政権の11か月を除いて自民党が政権にある。

格差拡大による貧困の発生は、国政などでは解決されない。
自然主義経済も当初は国政では解決されない。

地方において、各々の自治体の自主的選択によって可能なものである。

そこが戦時中と違うところになるだろう。

自治体の議会というものは、国政に比べればはるかに党派性に左右されず、地元性に左右される。

党派性に左右されるのは、東京を首都とした「お金の利権」が存在しているからである。地元性に密着したならば、お金に依存しない、つまり格差社会と無縁な、自給自足自治体が可能だからだ。そのためには減価する通貨制度によって地産地消こそが、地方の疲弊を救う手立てである。

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