福島県に減価する地域通貨を おおさか佳巨の活動報告

福島県に減価する地域通貨を おおさか佳巨の活動報告

日本の経済をもっと元気にするために、「減価する地域通貨」の仕組みを紹介。
難しそう?実はとてもシンプル。お金が地域の中をぐるぐる回ることで、お店も仕事も生活も守られます。
当ブログでは、日常の出来事やイベントを通して、実現までの道のりを記録していきます。

先日、私の長女についてInstagramで投稿したところ、多くの方々からコメントをいただきました。

改めて、お一人おひとりの温かいお言葉に心から感謝申し上げます。

 

「まだ若いのに」
「もっと良い出会いがあったはずなのに」
「同じ親として胸が苦しくなる」
「親より先に子どもが亡くなるのは辛すぎる」

 

そのような言葉の数々を読みながら、改めて娘のことを思い出していました。

 

娘は21歳でした。

 

 

失恋をきっかけに、自ら命を絶ちました。

 

そして、娘が愛していた2歳半の娘、私にとっての孫娘も一緒に亡くなりました。

 

 

あの日のことは今でも鮮明に覚えています。

 

娘の友人たちは異変を感じ、部屋に集まって止めようとしてくれました。しかし娘は「自殺なんかしないよ」と言い、その後、誰にも本当の気持ちを打ち明けることなく実行してしまいました。

 

 

当時、私は宮城県の坂総合病院で生死をさまよう病気と闘っていました。

何もできませんでした。

 

親として、祖父として、この無力感は一生消えることはないでしょう。

 

今回のコメントの中には、

「とても優しそうな子ですね」
「繊細で純粋な人だったのでしょう」
「色々と抱え込んでしまったのでは」

という声が数多くありました。

 

まさにその通りでした。

 

娘は他人に悩みを話さない性格でした。

 

周囲には明るく振る舞い、笑顔を見せていました。

 

だからこそ、家族も友人も前兆を感じることができなかったのです。

 

しかし、この出来事を通して私が痛感したことがあります。

 

それは、自殺を考える人が必ずしも「助けてほしい」と言葉にするわけではないということです。

 

むしろ、本当に苦しんでいる人ほど周囲に心配をかけまいとし、一人で抱え込みます。

今回寄せられたコメントの中には、

「自殺がなくなりますように」
「苦しいときは親を頼ってほしい」
「同じ悲劇が起きない社会になってほしい」

という声もありました。

 

 

また、

「私の子どもも失恋で自殺しました」

という、同じ悲しみを経験された方からのコメントもありました。

 

私は娘と孫を失って初めて知りました。

自殺は本人だけの問題ではありません。

 

家族、友人、恋人、地域社会、多くの人の人生を大きく変えてしまいます。

 

そして残された者は、その後も「なぜ気づけなかったのか」「何かできなかったのか」と自問し続けます。

ある自死遺族の方に、どうやってこの悲しみを乗り越えたのか尋ねたことがあります。

 

返ってきた答えは、

「乗り越えてはいない。一生背負って生きていく。」

というものでした。

 

私も今、その意味がよく分かります。

だからこそ私は、この経験を単なる個人の悲劇で終わらせたくありません。

 

孤立する人を減らすこと。

悩みを相談できる社会をつくること。

弱音を吐いても責められない地域をつくること。

そして、生きる希望を持てる社会をつくること。

 

これらは政治の課題でもあり、地域社会全体の課題でもあります。

 

私が市長選挙への立候補を決意した最大の理由も、この経験にあります。

行政の支援が本当に届いているのか。

孤立した人を見捨てていないか。

困っている人が助けを求められる仕組みになっているのか。

そうしたことを問い続けたいと思っています。

 

今回いただいた数多くのコメントは、単なる追悼の言葉ではありませんでした。

「なぜ若い命が失われたのか」

「どうすれば同じ悲劇を防げるのか」

「孤立した人を社会はどう支えるべきなのか」

そんな問いを、社会全体に投げかけるものでした。

 

娘と孫の命は戻りません。

 

 

しかし、その死を無意味なものにしないためにも、私はこれからも自殺問題や孤立の問題について発信を続けていきたいと思います。

皆様からいただいた温かいお言葉に、改めて感謝申し上げます。

 

 

一方で、少数ではありますが、厳しい意見も寄せられました。

その中には、

「相手の男性が誰なのか分かってしまうのではないか」

「娘さんの死を政治利用しているのではないか」

「娘の自殺をきっかけに市長選挙へ立候補するなんて理解できない」

というような声もありました。

 

もちろん、様々な意見があることは理解しています。

しかし、私は少し違う見方をしています。

 

まず、私は娘が亡くなった原因について、失恋が一つのきっかけであったことは公表していますが、相手の男性の氏名や個人情報を公表したことはありません。

 

また、公表するつもりもありません。

 

なぜなら、私が伝えたいのは特定の個人への非難ではなく、「若者が絶望に追い込まれる社会」の問題だからです。

 

一人の人間を悪者にして終わる話ではありません。

もしそれで問題が解決するのであれば、自殺はなくなっているはずです。

 

しかし現実には、自殺者は後を絶ちません。

孤独、孤立、経済的不安、人間関係、家庭環境、病気、失業。

様々な要因が複雑に絡み合い、人を追い詰めます。

私はそこに目を向けるべきだと思っています。

 

また、「加害者側の人権を守るべきだ」という意見もあります。

もちろん法治国家ですから、人権は尊重されなければなりません。

 

しかし近年、いじめ問題などを見ていると、被害者が命を落としているにもかかわらず、加害者側への配慮ばかりが語られ、被害者や遺族の苦しみが置き去りにされる場面も多くあります。

 

亡くなった人は、もう声を上げることができません。

だからこそ、遺された者が語らなければならないこともあるのです。

 

 

 

 

 

そして、「政治利用」という言葉について。

私は娘の死を利用したつもりはありません。

むしろ逆です。

娘と孫娘を失ったことで、この社会の現実を知ったのです。

 

相談できずに苦しむ若者がいること。

助けを求めても制度につながらない人がいること。

孤立したまま命を絶つ人がいること。

自死遺族が長年苦しみ続けること。

それまで頭では理解していたつもりでした。

 

しかし、当事者になって初めて分かったことが数多くありました。

政治とは、本来こうした現実を改善するためにあるものではないでしょうか。

 

交通事故で家族を失った人が交通安全活動を始める。

犯罪被害者遺族が法改正を訴える。

難病患者が医療制度の改善を求める。

それらを「政治利用」と呼ぶ人は少ないでしょう。

 

なぜなら、それは悲しみを社会の改善につなげようとする行動だからです。

私にとっても同じです。

 

娘の死は決して無駄にしたくありません。

 

同じような苦しみを味わう親を一人でも減らしたい。

孤立の中で助けを求められない若者を一人でも減らしたい。

その思いが、市長選挙への立候補につながりました。

 

賛否はあるでしょう。

批判もあるでしょう。

 

しかし私は、自分の人生で起きた最も大きな悲劇から目を背けることなく、その経験を社会のために生かしたいと思っています。

それが父親としての責任であり、祖父としての責任であり、そして政治を志す者としての責任だと考えています。

 

娘と孫娘の命は戻りません。

しかし、だからこそ私は、この悲しみを社会を変える力に変えていきたいと思っています。

「誰にも相談できずに命を絶つ人を減らしたい」

「孤立したまま苦しむ人を減らしたい」

「生きていてよかったと思える地域社会をつくりたい」

その思いを胸に、これからも発信と行動を続けていきます。

昨日の参議院決算委員会質疑で、立憲民主党の古賀千景参議院議員が、

「自衛隊に行く子どもたちは経済的に厳しい子どもたち」
「豊かな子どもたちは自衛隊にはならない」

と発言し、大きな波紋を呼んでいます。

 

 

発言はその後撤回されましたが、私はこれを単なる失言とは思っていません。

むしろ、自衛官やその家族に対する根深い偏見が、思わず表に出てしまったものではないかと感じています。

 

古賀千景参議院議員はこう発言しました。

 

私も教えた子がいっぱい自衛隊にいるんです。いっぱい苦しんでますよ。

 

でもですね、分かって欲しいのは自衛隊に行く子供だって経済的に厳しい子供たちが行くんですよ。

豊かな子供たちは自衛隊とかなりませんよ。

 

と言う発言なのですが、、、、

 

人はそんな単純な理由で進路を決めない

私もこれまで多くの人と接してきました。

子どもたちが将来の職業を考えるとき、その理由は実に様々です。

家の経済状況もあるでしょう。

しかしそれだけではありません。

 

夢や憧れ。

向いている仕事。

勉強の得意不得意。

体力や健康状態。

家族の影響。

社会の役に立ちたいという思い。

 

そして人生で経験した出来事。

 

例えば東日本大震災。

災害派遣で活躍する自衛隊の姿を見て、

「自分も人を助ける仕事がしたい」

と思った子どもたちは少なくありません。

 

また、航空機が好きで航空自衛隊を目指す人もいます。

艦艇に憧れて海上自衛隊を志す人もいます。

 

最新技術に関心を持ち、自衛隊の技術職を選ぶ人もいます。

 

反対に、自衛官になりたいと思っても適性検査や体力面で断念する人もいます。私の息子がそうです。

 

 

また、入隊後に別の道へ進む人もいます。

 

人生はもっと複雑で、多面的なものです。

 

それを「経済的に厳しい家庭だから」という一つの物差しで説明すること自体が、人間を見ていない発想ではないでしょうか。

自衛官の家族から寄せられた声

今回、私の目に留まったのが、自衛官家庭で育った方の意見です。

その方はこう語っています。

 

小学校から中学校まで官舎で育ちました。反自衛隊色の強い地域では、日教組系の教師から授業中に嫌味を言われたこともありました。しかし、自衛官の家族で自分たちを不幸だとか貧しいなどと嘆いている人は見たことがありません。皆、自分の仕事に誇りを持っていました。

 

私はこの言葉に重みを感じます。

 

生活が豪華かどうか。

収入が高いか低いか。

 

それだけが人生の価値ではありません。

 

人は自分の仕事に誇りを持つことで生きているのです。

 

自衛官の方々は、災害が起これば真っ先に現場へ向かいます。

地震、津波、豪雨災害。

私たちが避難する状況で、彼らは現場へ向かう。

 

その覚悟と責任感によって、日本社会は支えられています。

その職業を「経済的に厳しい人が選ぶ仕事」と見なすのは、あまりにも失礼ではないでしょうか。

我々世代が受けた「偏った教育」

私も学校教育の中で育ってきました。

しかし今振り返ると、「本当に政治的中立だったのだろうか」と疑問に思うことがあります。

 

我々の世代が子どもの頃、夏休みの宿題として出されたのは、

「朝日新聞の天声人語を読んで感想を書きなさい」

というもの。

 

当時はそれが当たり前だったのでしょう。

ですが今考えれば、なぜ特定の新聞だけだったのでしょうか。

 

なぜ複数の意見や視点を比較する教育ではなかったのでしょうか。

 

インターネットが普及し、様々な情報にアクセスできるようになった現在、多くの人が学校教育の中に存在していた偏りに気づき始めています。

 

もちろん、すべての教師がそうだとは思いません。

立派な先生方もたくさんおられます。

 

しかし一部には、自らの政治思想や価値観を「正しいもの」として子どもたちに伝えていた教師がいたことも事実でしょう。

今回の発言を聞いて、私はそうした教育界の古い体質を感じました。

本当に多様性を尊重するなら

近年、「多様性」や「包摂性」という言葉が盛んに使われます。

しかし、多様性とは自分が理解できる人だけを認めることではありません。

自分とは異なる価値観や職業、生き方を尊重することです。

 

農家。

職人。

自営業者。

会社員。

公務員。

そして自衛官。

 

どの職業にも社会を支える役割があります。

職業に貴賤はありません。

本当に多様性を尊重するのであれば、自衛官という職業に対しても同じ敬意が払われるべきです。

国防を語るなら現実を見なければならない

私は政治家に求められるのは、現実を見ることだと思っています。

自衛隊に賛成か反対か。

防衛政策をどう考えるか。

 

それは自由です。

 

しかし議論をするのであれば、まず現場で働く人々への敬意がなければなりません。

今回の問題は、一議員の失言として終わらせるべきではないでしょう。

 

なぜそのような認識が生まれたのか。

教育界や政治の世界に残る偏見とは何なのか。

私たちはそこまで考える必要があります。

 

そして何より、自衛官とその家族が誇りを持って働き、暮らしている現実に目を向けるべきではないでしょうか。

表面的なイメージや先入観ではなく、実際に社会を支えている人々の声に耳を傾ける。

それこそが政治家に求められる姿勢だと私は考えます。

 

 

6月10日の衆議院財務金融委員会で行われた河村たかし議員と片山さつき財務大臣との質疑を視聴し、大変興味深い内容だと感じました。

テーマは暗号資産取引に関する法改正でしたが、その中で河村議員はプレミアム付き商品券や地域通貨、ブロックチェーン技術を活用した地域経済の活性化について言及しました。

私はこれまで、郡山市や福島県の地域経済を考える中で、「地域内循環経済」や「減価する地域通貨」の必要性を訴えてきました。

しかし、その話をすると、

「そんなものは理想論だ」

「現実的ではない」

という反応を受けることも少なくありません。

ところが今回の国会質疑を見れば分かるように、地域通貨という考え方は決して空想ではありません。

むしろ国や自治体がすでに取り組み、実証してきた政策の延長線上にあるものなのです。

 

地域のお金が地域から流出している

私は土木施工管理技士として現場を歩き、市民活動や行政との対話を続ける中で、地域経済の衰退を肌で感じてきました。

商店街から人が消える。

個人商店が閉店する。

若者が地元で働けず都市部へ流出する。

一方で、地域で稼がれたお金は大型資本や中央へ吸い上げられていく。

これでは地域が豊かになるはずがありません。

現在の地方創生の多くは、国から補助金を受け取り、それを使い切ることに重点が置かれています。

しかし、本当に必要なのは補助金ではなく「循環」です。

地域で生み出された価値が地域の中で回り続ける仕組みです。

河村議員が提起した重要な視点

今回の質疑で河村議員は、

「プレミアム付き商品券を新しい通貨でやったらどうだ」

という趣旨の発言をしました。

これは単なる商品券の話ではありません。

地域の中だけで流通する独自の経済圏をつくれないかという問題提起です。

これに対して片山大臣は、地方創生担当大臣時代の経験として、

  • 地域コイン

  • プレミアム商品券

  • ポイント還元事業

などを活用した事例が全国各地に存在したことを認めました。

さらに地方銀行や信用金庫などを活用しながら地域決済を行っていたことも説明しています。

つまり、地域通貨はすでに実験段階を超えているのです。

ブロックチェーンは投機だけの技術ではない

今回特に注目したのは、片山大臣がブロックチェーン型の地域コインについて言及したことです。

日本では暗号資産というと投機やマネーゲームのイメージが先行しています。

しかし本来、ブロックチェーン技術の価値はそこだけではありません。

取引履歴の透明化。

不正防止。

低コスト決済。

地域限定利用。

こうした特徴を持つ技術は、地域通貨との相性が非常に良いのです。

私は以前から、デジタル技術を地域経済のために活用すべきだと考えてきました。

技術そのものに善悪はありません。

問題は何のために使うかです。

私が提唱する「減価する地域通貨」

私が考える地域通貨は、単なる電子マネーではありません。

重要なのは循環を促すことです。

現在のお金は貯め込むほど有利になります。

しかし地域経済に必要なのは、お金が動くことです。

そこで私は「減価する地域通貨」という考え方を提案しています。

 

 

 

一定期間使わなければ価値が少しずつ減る。

だから使う。

使うから地域の商店に売上が生まれる。

売上が生まれるから雇用が生まれる。

雇用が生まれるから若者が地域に残れる。

これは単なる通貨政策ではありません。

地域社会そのものを維持するための仕組みなのです。

地方創生の本質とは何か

私はこれまで数多くの行政資料や議会資料を調査してきました。

そこで感じるのは、多くの政策が「外から人を呼ぶこと」に偏っているということです。

 

 

 

 

もちろん交流人口も重要です。

観光も重要です。

 

しかし、それだけでは地域は持続しません。

 

本当に必要なのは、地域の中でお金が回る仕組みです。

地域が自ら稼ぎ、

地域が自ら支え合い、

地域が自ら発展していく。

私はそのための手段の一つとして地域通貨を提案しています。

国会でも議論を始めるべき

今回の質疑を見て改めて感じたのは、私が訴えてきた地域通貨や地域内循環経済の考え方が、決して特殊なものではないということです。

 

国会でも議論されている。

自治体でも実践されている。

技術的にも十分可能である。

 

残る課題は「やる意思」があるかどうかです。

 

人口減少時代を迎えた日本において、従来の中央集権的な経済政策だけでは地方の衰退を止めることはできません。

 

だからこそ私は今後も、

「地域で稼ぎ、地域で使い、地域で循環させる」

という地域内循環経済の実現を訴えていきます。

地方が元気にならなければ、日本は元気になりません。

そして地域通貨は、そのための現実的な選択肢の一つであると私は考えています。

 

私はこれまで、郡山市議会の傍聴や情報公開請求、行政不服審査請求などを通じて、市政の透明性や行政運営の在り方を継続的に監視してきました。

 

また、土木施工管理技士として公共事業の現場に携わり、放送大学で自然科学を学んだ経験からも、「物事は感情ではなく事実と検証で判断するべきだ」という姿勢を大切にしています。

 

その立場から見ても、本日可決された郡山市印鑑条例改正案については、どうしても看過できない違和感があります。

初日に提出、初日に可決

令和8年6月15日、郡山市議会6月定例会が開会されました。

今回提出された議案は予算案、条例案、工事請負契約など合計14件に及びます。

その中で、郡山市印鑑条例の一部改正案だけが、提出されたその日のうちに審議され、可決成立しました。

 

私は長年議会を見てきましたが、このスピード感には強い違和感を覚えます。

もちろん、国の法改正に伴う制度整備であることは理解しています。

しかし、市民生活に直接関わる重要な条例である以上、本来であれば十分な説明と議論があって然るべきではないでしょうか。

 

改正内容そのものよりも「優先順位」が問題

今回の改正は、コンビニ等の多機能端末による印鑑登録証明書の交付対象を拡大するものです。

在留カードとマイナンバーカードの一体化に伴い、中長期在留者や特別永住者などの外国人住民も利用可能となります。

私は、合法的に在留する外国人住民の利便性向上そのものを否定するつもりはありません。

 

しかし、市民からは、

 

「窓口対応が改善されない」

「福祉サービスに不満がある」

「行政手続が複雑だ」

 

という声が数多く寄せられています。

 

そのような状況の中で、なぜこの条例だけが最優先で即日処理されなければならなかったのでしょうか。

私には、その優先順位が市民感覚とかけ離れているように感じられます。

市民が知らないまま決まっていく政治

郡山市議会の副委員長報告では毎回のように、

「種々の質疑がありました」

という一文だけで済まされることがあります。

 

 

しかし、市民が知りたいのは、

「誰が何を質問し、どのような議論が行われたのか」

です。

 

議会は市民の代表機関です。

議論の過程が見えなければ、市民は判断することができません。

今回も全会一致で可決されたと報告されていますが、それだけでは十分ではありません。

本当に慎重な議論が行われたのか。

どのような懸念が示されたのか。

市民には知る権利があります。

利便性と安全性は両立できるのか

私は技術者として、利便性向上を否定する考えはありません。

むしろ行政のデジタル化は必要です。

しかし同時に、システムは便利になればなるほどリスクも増大します。

一枚のカードに機能を集中させることで、

紛失時の影響はどうなるのか。

本人確認は十分なのか。

不正利用対策は万全なのか。

こうした視点からの検証も欠かせません。

行政には「便利になりました」で終わらせるのではなく、市民が安心して利用できる仕組みを説明する責任があります。

私たちが監視し続けなければならない

行政は放置すれば必ず内向きになります。

だからこそ、市民による監視が必要です。

今回の条例改正が正しかったのかどうか。

それは今後の運用を見れば分かります。

 

私は引き続き、この問題を追いかけていきます。

利便性向上も大切です。

しかし、それ以上に大切なのは、市民への説明責任、公平性、そして行政運営の優先順位です。

皆さんは今回の即日可決についてどう感じますか。

ぜひコメント欄でご意見をお聞かせください。

 

 

 

 

 

最近、「LINEに移りませんか?」「こちらの方が便利ですよ」という言葉を見聞きする機会が増えました。

もちろん、本当に便利な連絡手段としてLINEを利用している人も多くいます。しかし近年、SNSからLINEへ誘導し、その後に投資詐欺やロマンス詐欺を行う手口が全国で急増しています。

そして、その被害は福島県でも深刻化しています。

詐欺師はなぜLINEに誘導するのか

詐欺師は最初からお金の話をしません。

まずはInstagram、Facebook、TikTok、マッチングアプリ、ブログなどで接触し、

  • 共通の趣味を探す

  • 相手を褒める

  • 共感を示す

  • 信頼関係を築く

という行動を取ります。

そしてある程度親しくなると、

「もっと便利に話したい」
「ここは使いづらい」
「LINEの方が連絡しやすい」

などと言ってLINEへ誘導します。

公開SNSには第三者の目がありますが、LINEは密室のような環境です。

そのため、

  • 投資話

  • 暗号資産

  • 副業

  • ネットショップ経営

  • 恋愛感情を利用した送金要求

などの話を持ちかけやすくなるのです。

福島県でも被害が急増

福島県警によると、2025年1月から11月までに県内で確認されたSNS型の投資詐欺・ロマンス詐欺は116件、被害額は約18億円に達し、前年を大きく上回りました。被害者の多くはInstagramやマッチングアプリで接触した後、LINEへ誘導されていました。 

 

特殊詐欺被害防止へ迅速連携、福島県内金融機関と県警が協定

福島県内に本店を置く金融機関と県警は23日、特殊詐欺(なりすまし詐欺)などの被害防止に関する連携協定を結んだ。迅速な情報共有で、被害防止や犯人の早期摘発につなげる。23日、県警本部で締結式が行われた ... 五島列島キリシタン物語【後編】地元新聞社が発行している生活情報誌ライターの旅日記をお届け。 創業5年で売り上げ50億円達成の背景に「自責」の精神 渡辺喜久男会長と塚本拓夢オーナーが「おたからや ...

Yahoo!ニュース

1月

ロマンス詐欺160万円被害 70代男性が「石の転売費」振り込む 福島 ...

 

 

また、2026年に入ってからも被害は続いています。県警によると、SNS型投資詐欺やロマンス詐欺の被害額は年初から急増しており、多くのケースでLINEが利用されています。 

 

SNS型投資・ロマンス詐欺 前年比約1億8千万円増 福島

 

 

 

実際に起きた福島県の事例

県南地方では、50代男性がSNSで知り合った相手から「NFT投資で利益が出る」と勧誘され、LINEでやり取りを続けた結果、約1億8000万円相当の暗号資産をだまし取られました。 

 

石川郡では、TikTokで接触した自称投資家からLINEの投資グループに誘導され、40代男性が約4480万円を送金する被害も発生しています。 

 

さらに福島市では、外国人女性を名乗る人物から恋愛感情を利用され、「ネットショップ経営」を持ちかけられた30代男性が約255万円相当の暗号資産をだまし取られました。 

 

須賀川市でも、SNSで知り合った女性を名乗る人物から「ネットショップを経営しませんか」と誘われ、50代男性が電子マネー60万円分をだまし取られています。 

詐欺の特徴

最近の詐欺には共通点があります。

  • SNSで知り合う

  • LINEへ誘導される

  • 投資や副業の話になる

  • 最初は利益が出ているように見せる

  • 出金時に追加送金を要求される

  • 最終的に連絡が取れなくなる

下郷町では、50代女性が「優良株を教える」という広告からSNSへ誘導され、約1380万円を振り込んだ後、出金しようとした際に追加送金を求められ、被害に気付いた事例も報告されています。 

私たちが注意すべきこと

LINEそのものは便利なツールです。

しかし、

  • 知り合って間もない相手

  • 過剰に褒めてくる相手

  • 海外在住を名乗る相手

  • 投資や副業を勧める相手

  • LINEへの移行を急ぐ相手

には十分注意する必要があります。

 

私はSNSでの情報発信を続けていますが、だからこそ公開の場でのやり取りには意味があると感じています。

 

「LINEに移りませんか?」

 

そう言われたときは、一度立ち止まって考えてみてください。

便利さを理由にしたその誘いは、本当に必要なものなのでしょうか。

福島県内でも被害は年々増加しています。

自分だけは大丈夫と思わず、冷静な判断を心掛けることが大切だと思います。

 

 

 

最近スレッズやXなどのSNSを見ていて強く感じることがあります。

「なぜこんなにも攻撃的なコメントが多いのか?」

もちろん、現実社会にも意地悪な人はいます。しかし、SNSの世界ではそれが異常なほど増幅されて見える。特に政治や社会問題について発信していると、内容への議論ではなく、人格攻撃や揚げ足取りに近い反応が返ってくることが少なくありません。

私はこれを、単なる「個人の性格」の問題ではなく、SNSそのものの構造的な問題だと考えています。

SNSは「議論」より「反応」を優遇する

まず前提として、SNSは冷静な議論を促進するために作られているわけではありません。

各プラットフォームは、利用者の滞在時間を伸ばすことで利益を得ています。すると当然、感情を強く動かす投稿ほど拡散されやすい仕組みになります。

  • 怒り

  • 不安

  • 対立

  • 嘲笑

  • 批判

こうした感情は人の注意を引きやすく、アルゴリズム上も有利になります。

つまり、SNSは「理性的な空間」ではなく、「感情が増幅されやすい空間」なのです。

「いいね」の数で価値を判断する危うさ

さらに厄介なのが、「いいね」の数をそのまま価値や正しさと結びつける風潮です。

SNSを見ていると、

「いいねが少ないから間違っている」 「いいねが多いから正しい」 「フォロワーが多いから信用できる」

といった発想で物事を判断する人が少なくありません。

 

しかし、これは極めて危険な考え方です。

 

歴史を振り返れば、多数派が間違い、少数派が正しかった例はいくらでもあります。科学も政治も、最初は少数意見から始まることが多い。

 

それなのに、SNSでは「数字」が一種の権威になってしまっている。

 

背景には、人間の承認欲求があります。

本来、SNSは情報交換のための道具だったはずです。ところが今では、「どれだけ評価されたか」を競う場になりつつある。

その結果、

  • 内容より数字を重視する

  • 議論より人気取りを優先する

  • 真実より共感を求める

という現象が起きています。

特にSNSに長時間依存すると、「いいね」の数が自己評価そのものになってしまう人もいる。そうなると、議論の中身ではなく、「どちらが多く支持を集めたか」という人気投票の発想に陥りやすいのです。

コメント欄は世論ではない

ここで忘れてはいけないのは、コメント欄は世論全体を反映しているわけではないということです。

SNSでは、

  • 強い意見を持つ人

  • 反論したい人

  • 注目を集めたい人

が発言しやすい。

一方で、投稿を見て共感していても何も書かない人は圧倒的に多いのです。

つまり、コメント欄で見える世界は社会全体のごく一部に過ぎません。

 

私は20代のときから30年以上ずっとリアルの政治活動をしてきていますが、ネット上での政治活動では、現実には起きないことにかなり遭遇します。

 

多数決が真実を決めるわけではない

私は政治や社会問題を発信する中で、「少数意見だから間違っている」という空気に何度も違和感を覚えてきました。

しかし、民主主義とは本来、多数決だけで真実を決める仕組みではありません。

 

多数決は「最終的な意思決定の方法」に過ぎず、真実そのものを保証するものではない。

SNSの「いいね」は、さらにその下の単なる人気投票です。

だからこそ、私たちは数字に流されず、自分の頭で考える姿勢を持たなければならないと思います。

最後に

SNSには確かに攻撃的な人がいます。しかし、それ以上に問題なのは、そうした人が目立ちやすく、評価されやすい構造です。

だからこそ、発信する側も見る側も、

  • 数字に振り回されないこと

  • 感情だけで判断しないこと

  • 内容そのものを見ること

が大切なのではないでしょうか。

静かな多数派は、いつの時代も存在しています。

コメント欄の声だけが社会のすべてではありません。

 

#SNS #スレッズ #Threads #ネット社会 #情報発信 #言論 #政治 #社会問題 #誹謗中傷 #炎上 #メディアリテラシー #承認欲求 #いいね至上主義 #ブログ #アメブロ

先日、コメ政策についてSNSで意見を発信したところ、多くのご意見をいただきました。

 

私の問題提起は単純です。

 

 

 

人口減少によって国内のコメ消費が減少していくことが分かっている中で、「余れば減産する」という発想だけで本当に日本の農業は守れるのだろうか。

 

むしろ輸出や新たな需要創出にもっと力を入れるべきではないのか。

 

そんな疑問から発信を行いました。

すると反論が寄せられました。

 

「輸出は昔からやっている」

「そんな簡単に海外では売れない」

「農家でもない人間が語るな」

「国を憂うなら農家から始めろ」

 

確かにその通りだと思う部分もあります。

 

実際、コメの輸出促進政策は昨日今日始まったものではありません。

 

海外市場の開拓も決して簡単なものではないでしょう。

 

農業の現場で働いている方々の苦労は、私などが簡単に語れるものでもありません。

 

 

私は長年、自給自足農業を続けています。

しかし、それでも専業農家の方々と比べれば経験も知識も及ばないでしょう。

 

だからこそ私は、農家の皆さんの声に耳を傾けたいと思っています。

 

一方で、議論の途中から気になったことがあります。

 

それは政策の中身ではなく、「誰が言ったのか」という話になっていったことです。

 

私はこう思います。

民主主義社会において、政治や行政の問題について意見を述べる資格は、特定の職業の人だけに与えられるものではありません。

農政について語るのに農家でなければならないのであれば、教育を語るには教師にならなければならず、医療を語るには医師にならなければならず、政治を語るには政治家にならなければならなくなります。

 

しかし実際にはそうではありません。

 

国民一人ひとりが納税者であり、有権者であり、政策の影響を受ける当事者です。

 

だからこそ意見を述べる権利があります。

 

もちろん、意見が間違っていることもあります。

 

私の考えにも至らない点があるでしょう。

 

その時は内容で批判していただければよいのです。

 

議論とは本来そういうものです。

 

私は農家の皆さんを批判したいわけではありません。

むしろ逆です。

日本の農業を支えている現場の方々が、これ以上苦しい状況に追い込まれてほしくないと思っています。

人口減少はこれからも続きます。

 

国内需要だけに依存する農業はますます厳しくなるでしょう。

 

だからこそ私は、輸出、新たな需要創出、地域ブランド化など、様々な可能性を議論し続けるべきだと思っています。

意見が違うことは問題ではありません。

 

問題なのは、議論そのものをやめてしまうことです。

「お前に何が分かる」

「資格がない」

そう言って議論を終わらせてしまえば、新しいアイデアも改善策も生まれません。

 

私は専門家ではありません。

しかし、一人の国民として、日本の農業と食料安全保障の未来を考え続けたいと思っています。

 

そしてこれからも、間違いを恐れずに問題提起を続けていきます。

 

それが有権者としての責任だと考えているからです。

 

 

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開成山公園Park-PFI事業の「利用者数478万人」問題とは何か

― 郡山市民はこの数字をどう受け止めるべきか ―

郡山市の皆さん、この数字をどう思われるでしょうか。

開成山公園のPark-PFI事業において、指定管理者が報告した年間利用者数が478万9,864人という、常識では考えにくい規模に達しているという事実が、市議会で明らかにされています。

これは福島県の人口(約180万人)のおよそ2倍以上にあたります。
単純に考えても「県民が年に2回以上、全員が訪れている計算」になります。

市議会でこの点を追及したのは吉田公男議員です。

 


郡山市の推計と事業者報告の“巨大な乖離”

さらに問題なのは、市側の推計との乖離です。

  • 市の推計値:約104万人

  • 事業者報告:約478万人(+約304万人)

実に3倍以上の差が存在しています。

しかも、これらの数値はNTT系のビッグデータを用いたとされているにもかかわらず、同様の手法を用いる他自治体と比較しても突出して異常な水準となっています。


ディズニーランドと比較すると見える“異常さ”

この数字の非現実性は、東京ディズニーリゾートとの比較でさらに鮮明になります。

  • 東京ディズニーランド+ディズニーシー:約2,700万人(年間)

  • 面積:約110ヘクタール

一方で開成山公園Park-PFI事業エリアは約12ヘクタール程度、つまり約1/9の規模です。

単純に面積比でスケールを合わせれば、仮に同等の密度で人が訪れるとすれば、

👉 年間約4,700万人規模

という計算になります。

つまり、今回報告された数字は
“ディズニーランド級の密度を開成山公園で実現している”ということになります。

しかし現実に公園を訪れている市民感覚と、この数字はあまりにもかけ離れています。


「技術的要因」「ビッグデータの特性」で説明できるのか

市当局はこの異常な数値について、

  • 技術的要因

  • ビッグデータの特性

といった説明を行っているとされています。

しかし、同じ手法で計測されている他自治体との比較で極端な乖離がある以上、その説明だけで納得できる市民は多くないでしょう。

むしろ、「なぜここまで差が出るのか」という根本的な検証が必要です。


2025年4月以降の“突然の4分の1への修正”

さらに不可解なのは、2025年4月以降の数値変動です。

報告によれば、

  • 4月:51万人 → 17.3万人

  • 5月:45.4万人 → 12.5万人

と、約4分の1への急減が発生しています。

一方で、同時期には「大楽都祭が成功し2万8,000人動員」といった発表も行われており、数字の整合性に強い疑問が残ります。

これを市側は「恣意的な操作ではない」と説明していますが、市民感覚からすれば疑念が拭えない状況です。


問題の本質は“数字”だけではない

この問題の背景には、単なるデータ誤差ではなく、より構造的な問題があると考えられます。

  • 品川万里前市長時代に進められたPark-PFI事業の設計

  • 椎根健雄市政への継承構造

  • 指定管理者制度における透明性の不足

  • 大和リース主体のコンソーシアム運営体制への疑念

 

市民の間では以前から、開成山公園の運営をめぐり「利益誘導ではないか」という指摘も存在してきました。

今回の利用者数問題は、その延長線上にある構造的課題として捉える必要があります。


指定管理者制度は機能しているのか

さらに見逃せないのが、周辺で発生している問題です。

  • 大楽都祭における地元中小企業の未払い問題

  • 公園運営と収益構造の不透明さ

  • 民間委託の検証不足

これらを総合的に見ると、現在の指定管理者制度が本来の目的である「公共性と効率性の両立」を果たしているのか、根本的な検証が必要になっています。


椎根市政に求められる対応

椎根健雄市長には、以下の対応が強く求められます。

  • 利用者数データの第三者機関による徹底検証

  • 全データおよび修正経緯の完全公開

  • 指定管理者への厳格な監査と是正措置

  • 前市政からの事業構造の透明化と見直し

品川時代に決めた事業を、椎根市政が数字まで都合よく調整して守り続けている——そんな不信が急速に広がっています。

なにしろ椎根市長には政治的な考えは全くないので、各種長老の方々の操り人形になっていることが最大の要因だと思います。

 

 

これは“数字の問題”ではなく郡山市政の信頼性の問題

開成山公園は、特定事業者の収益装置ではなく、郡山市民全体の公共財です。

もしこのような不自然な数字が放置されるのであれば、郡山市政そのものへの信頼が揺らぎます。

「本当にその数字は現実を反映しているのか」
この一点を、市民として冷静に問い続ける必要があります。


市民の皆さんへ

実際に開成山公園を利用している方々に伺いたいと思います。

  • 本当に年間数百万人規模の混雑、ディズニーランドレベルを感じますか?

  • 日常の利用実感と数字は一致していますか?

ぜひ皆さんの実感をコメントで共有してください。

この問題は一部の議会だけでなく、市民全体で監視していくべきテーマです。

 

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郡山市に寄せられた一通の投書がありました。

投稿者は昨年、仙台市から郡山市へ転入してきた方です。

「東北第二の都市」という期待を持って移住してきたものの、実際に暮らしてみると気になる点があった。

それが道路環境でした。

 

 

特に指摘しているのは、

道路脇に堆積した砂利や土砂、

そして苔が生えた側溝です。

 

車を運転していても気になる。

散歩をしていても気になる。

 

そして何より、

自転車で走るには危険ではないか。

そう感じたそうです。

 

私はこの意見に大きな説得力を感じました。

なぜなら、

外から来た人だからこそ見える課題があるからです。

地元にいると気づかなくなる

私たちは毎日見慣れている風景に対して、

良くも悪くも慣れてしまいます。

 

しかし転入者は違います。

他都市との比較ができる。

 

だからこそ、

「これはおかしいのではないか」

という違和感を持つことができます。

 

 

外から来た人の声をどう受け止めるか

私は今回の投書を読んでいて、別のことも考えました。

それは、「移住者の声をどう受け止めるか」という問題です。

実は政治活動をしていると、

「東京から来た人が郡山のことを語るな」

「他所から来た人が郡山で政治をするのはおかしい」

といった意見を耳にすることがあります。

しかし私は、その考え方には賛同しません。

 

なぜなら、今回の投書がまさにそうですが、外から来た人だからこそ気づける課題があるからです。

地元に長く住んでいると、

「昔からこうだから」

「当たり前だから」

と見過ごしてしまうことがあります。

しかし移住者は違います。

 

以前住んでいた街と比較できる。

だからこそ、

「なぜここはこうなっているのだろう」

という疑問を持てるのです。

 

これは

「もっと良くなる余地があるのではないか」

という前向きな提案です。

 

今回の仙台市からの転入者も、

郡山を嫌いだから投書したのではありません。

期待して来たからこそ、

気づいたことを伝えてくれたのです。

「選ばれるまち」と言うなら

椎根健雄郡山市長はよく「選ばれるまち」という表現を使います。

人口減少時代の中で、移住者を呼び込み、定住してもらうことは重要な政策です。

 

しかし、

外から来た人を呼び込む一方で、

その人たちが感じた違和感や改善提案に対して

「郡山のことを知らないくせに」

「よそ者が口を出すな」

という空気があるとしたらどうでしょうか。

 

それでは本当の意味で選ばれるまちにはなれません。

そもそも郡山市は水もないような所で、それをよそものたちによって安積疏水を作って今があるのです。

 

人口が減少する地方都市に必要なのは、

閉鎖性ではなく開放性です。

 

地域への愛着は大切です。

しかし愛着と排他性は違います。

郡山を良くしたいという思いがあるなら、

生まれ育った人の意見も、

移住してきた人の意見も、

等しく尊重されるべきではないでしょうか。

 

今回の投書もまさにそうです。

郡山市民の中には、

道路脇に土砂が溜まっている風景を当たり前と思っている人もいるかもしれません。

しかし仙台市から来た方は、そこに大きな違和感を覚えたのです。

 

行政にとって、このような外部の視点は貴重な財産だと思います。

郡山市の回答は比較的前向き

今回の市の回答は比較的評価できます。

まず、「ご不便とご不安をおかけしており申し訳ありません」と謝罪しています。

さらに、

●現地パトロールを実施すること

●主要道路の土砂撤去を進めること

●ロードスイーパー導入も調査研究すること

を明言しました。

 

少なくとも、「現状で問題ない」という姿勢ではありません。

これは評価できる点です。

しかし気になる「市民頼み」の構造

一方で、回答の中には少し気になる部分もあります。

 

それは、道路環境維持の説明として、町内会や市民による清掃活動が紹介されていることです。

もちろん地域住民による美化活動は素晴らしいことです。

実際、年間約100回、約3,100袋分もの土砂撤去が行われているとのことです。

 

協力されている皆さんには頭が下がります。

 

しかし私は、これを行政の成果として語ることには慎重であるべきだと思います。

なぜなら、市民ボランティアは善意によって支えられているからです。

善意は尊いものですが、行政サービスの基盤にしてはいけません。

人口減少社会で通用するのか

今後、

高齢化が進みます。

町内会の担い手も減ります。

若い世代の加入率も低下しています。

そうなったとき、

今と同じような清掃体制を維持できるでしょうか。

私は難しいと思います。

だからこそ、行政には

「市民がやってくれているから大丈夫」

ではなく、「市民の負担を減らしながらどう維持するか」という発想が求められます。

その意味で、投稿者が提案したロードスイーパーは非常に興味深い提案です。

ロードスイーパーは単なる清掃車ではない

ロードスイーパーというと、

単なる道路清掃車というイメージがあります。

 

 

しかし実際には、

道路の安全性向上にもつながります。

特に自転車にとって、

道路端の砂利や土砂は危険です。

 

急ブレーキで転倒する。

タイヤが滑る。

歩行者との接触事故につながる。

 

そうしたリスクを減らす効果があります。

近年は自転車活用推進が全国的な流れになっています。

 

ヘルメット着用や交通ルールだけでなく、安心して走れる道路環境整備も同時に進める必要があります。

郡山のイメージづくりにも関わる問題

私はこの投書を読んでいて、

単なる清掃の話ではないと感じました。

 

道路環境は街の印象そのものです。

駅前再開発も大切です。

イベント誘致も大切です。

 

しかし、

道路脇に土砂が積もり、

雑草が生え、

苔が広がっている状態では、

街全体が古く見えてしまいます。

 

転入者や観光客は、

そうした細かな部分から街を評価します。

だからこそ道路管理は、

単なる維持管理ではなく、

都市ブランドづくりの一部として考えるべきではないでしょうか。

 

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私は普段から郡山市に寄せられた市民の投書や、市議会での議論に目を通しています。

その中で最近、とても興味深い投書を見つけました。

内容は郡山駅西口やアーケード街周辺への公衆トイレ整備についてです。

一見すると小さな話に見えるかもしれません。

しかし私は、この投書には郡山市のまちづくりを考える上で非常に重要な視点が含まれていると感じました。

なぜなら、公衆トイレは単なる設備ではなく、その街の「おもてなしの心」や「暮らしやすさ」を映し出す鏡だからです。

 

福島県川内村の用足し

市民は現場を見ている

投書された方は、

「駅のトイレは混雑している」

「アーケード街や中町周辺には気軽に利用できる公衆トイレが少ない」

と指摘しています。

私自身も郡山市内を歩き回り、多くの方から話を聞いてきました。

実際に中心市街地でトイレを探して困ったという声は珍しくありません。

観光客であればなおさらでしょう。

地元の人なら場所を知っていても、初めて訪れた人には分かりにくい。

だからこそ投書者は、

「快適で話題になる公衆トイレを整備してはどうか」

という提案をしたのです。

これは単なる要望ではありません。

郡山をもっと良い街にしたいという前向きな提案です。

市の回答に感じた違和感

これに対し市は、

「既に市営トイレがあります」

「設備改修を行いました」

「案内標識を設置しています」

と回答しました。

確かに事実でしょう。

私もそれを否定するつもりはありません。

しかし投書者が聞きたかったのは、本当にそこだったのでしょうか。

市民が知りたかったのは、

「今後さらに整備する必要があると考えているのか」

「中心市街地の利便性向上をどう考えているのか」

ということだったはずです。

ところが回答は、

現在ある施設の説明が中心でした。

私はここに、行政と市民のすれ違いを感じます。

「ある」と「足りている」は違う

行政はしばしば、

「既にあります」

という説明をします。

しかし市民が聞いているのは、

「あるかどうか」

ではありません。

「足りているのか」

なのです。

例えば病院が一つあるからといって医療が十分とは限りません。

公園があるからといって住民のニーズを満たしているとは限りません。

トイレも同じです。

一つ存在することと、利用者が不便なく使えることは別問題です。

市民は日々の生活の中で現場を見ています。

だからこそ行政には、

「なぜ現状で十分だと考えるのか」

あるいは

「課題は認識しているが財政上難しい」

など、もっと率直な説明が求められているのではないでしょうか。

街の評価は小さなところで決まる

私は政治活動を通じて様々な地域を見てきました。

その中で強く感じるのは、

街の魅力は大規模事業だけで決まるわけではない

ということです。

むしろ、

・トイレが使いやすい

・ベンチがある

・案内表示が分かりやすい

・歩きやすい

こうした小さな積み重ねが、

「また来たい」

「ここに住みたい」

という評価につながります。

公衆トイレはその象徴とも言える存在です。

だから私は、この投書を単なるトイレの話だとは思いません。

郡山という街が、市民や来訪者にどう向き合うのかという問題だと思うのです。

行政に求めたいこと

私は行政に何でも賛成してほしいと言っているわけではありません。

新しいトイレが必要ないと判断するなら、それでも構いません。

しかしその場合は、

なぜ必要ないのか。

どのような調査や判断に基づいているのか。

将来的な検討の余地はあるのか。

そうしたことを市民に丁寧に説明してほしいのです。

市民は必ずしも自分の意見が採用されることを求めているわけではありません。

自分たちの声が真剣に検討されたことを知りたいのです。

おわりに

郡山駅前の公衆トイレ問題は、小さな話に見えるかもしれません。

しかし私は、この問題の中に行政と市民の関係性が表れていると思います。

市民が投げかけた問いに対して、

「既にあります」

で終わるのか。

それとも、

「どうすればもっと便利になるのか」

を一緒に考えるのか。

その違いは決して小さくありません。

私はこれからも、市民の皆さんの声に耳を傾けながら、現場感覚を大切にした政治を目指していきたいと思います。

まちづくりとは、大きな理想を語ることだけではありません。

日常の不便に向き合うことから始まるのだと思います。

 

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