古臭い、昭和モデルに対する批判をよく聞く

しかし我が国は如何なる社会を目指そうとしているのか

昨日の新聞にあった、仙谷氏のインタビューは、こども保険の「志の低さ」を戒め、あるべき社会の全体像を構想すべきと述べていた

その通りであるが、あるべき社会にコンセンサスがないのが現状である

私の意見は、「昭和は本当に悪いのか?」ということである

むしろ、バブルが崩壊した頃から、失われた25年、或いは30年になるが、この「平成」に問題があったのではないか

失われた25年に、進んだことは、消費停滞、少子化、その背景にある、社会システムの公平性劣化である

地価高騰、塾依存教育による教育機会均等崩壊と教育費高騰、年金等世代間格差、非正規賃金世代内格差等である

これらが発生した原因は、

地価や塾依存教育は、市場の失敗、言い換えれば、国の放任である

地価は、一時期、首都移転の検討もなされたが、バブル崩壊でうやむやになり、その後また、地価は上昇傾向にある

塾は、親が子を思う気持ちが、合成の誤謬となった面もあるが、市場の失敗となり、教育機会均等が崩壊し、機会費高騰により少子化に至っている

年金等世代間格差は、少子化と経済停滞が原因であるが、最早、制度の範囲内での格差是正は難しい

非正規賃金格差については、派遣のような新たな制度の創設、130万の壁による、パートの低賃金化があり、新制度創設や制度の劣化が原因である

これらに共通するのは、国の「公平性に対する感受性の劣化」である

特に、「機会の公平性」についての感受性の劣化があろう

教育機会均等が失われていることが典型的であるし、年金等世代間格差は、「世代」の機会均等が失われている

また、非正規賃金世代内格差も、労働の機会の公平性が失われている

地価は住「機会」の公平性が失われている

これらが生れ、放置されたのが、「失われた25年」、「平成」である

国の「感受性の劣化」以外にも、社会のエゴイズムの問題もある

年金等世代間格差は、世代間のエゴイズムであるし、塾依存も親のエゴイズムとも言える

非正規賃金も企業のエゴイズムかもしれない

このように見ると、「失われた25年、平成」は、社会システムの公平性が劣化し、消費停滞と少子化が進み、その背景は、国の「公平性に対する感受性の劣化」や、社会のエゴイズムがあるということになる

仙谷氏が指摘するように、我が国は、今、こども保険のような、小手先の方法論を議論する前に、如何なる社会を目指すべきかについての議論と合意が必要である

政府は「みんなにチャンス」会議を設けるという

これは、正にタイムリーであり、「機会の公平性劣化」が進んだ、「失われた25年、平成」を、如何に是正するかについての議論が必要なのである

「失われた25年、平成」に、社会システムの公平性劣化が進んだことを踏まえれば、その前の「昭和」が良かったということになる

そこまで単純ではないにしろ、逆に、根拠もなく、昭和を否定することも不適当である

少子化や消費停滞の原因が、公平性の劣化にあることから、あるべき社会を考える、キーワードは公平性であろうし、特に、「機会の公平性」であろう

「みんなにチャンス」で「機会の公平性」が回復されることが求められている

社会経済については、「昭和」がキーワードであるが、安全保障は、昭和は、最早、モデルにはなりえない

昭和(戦後)=冷戦期の構造に戻ることは不可能であろう

中国の弾道ミサイル増強により戦略環境がパラダイムシフトする中、米抑止完全庇護の、冷戦期の構造に戻ることは現実的に不可能と見ざるを得ない

我が国自らが同盟国としての責任を果たさない限り、米の本格的コミットメントは得られまい

その意味で、安全保障は、昭和への回帰は許されず、今はむしろ「明治維新」の状態にある

明治維新を経て、最終的には、常勝神話の故に失敗に終わった、戦前のような失敗は今の日本には考えられないが、いま、我が国は別の種類の神話である「平和神話」に陥っている

いま、二回目の「明治維新」の時に立ち、求められるのは、神話を脱し、「現実」を見た、戦略を構築することである

それは憲法改正とともに実現されるものであろう

他方、社会経済についても、我が国が今、陥っている少子化と消費停滞という問題の根本にある、社会システムの公平性劣化という、「現実」を見ることが、新たな、社会へと立て直す、社会経済の戦略に繋がる

「失われた25年、平成」から脱却することが必要である

「現実」を見て、社会経済と安全保障の戦略を立て直す時である