自民党総裁や外相を歴任された河野洋平元衆議院議長が、6月8日お亡くなりになりました。心から哀悼の意を表したいと思います。
私が尊敬する政治家に石橋湛山・宮沢喜一元首相がいますが、最も敬愛する好きな政治家は河野洋平氏でした。護憲ハト派、保守リベラルという思想や政策も近く、金権腐敗打破、政治改革を掲げて新自由クラブを結成された時には、河野氏の個人的な魅力と相まって、直ちに河野新自由クラブの支持者になりました。
10年後党が伸び悩み解党して大多数のメンバーは自民党に復党しましたが、護憲ハト派の多い宏池会という派閥に入会されたので、私も自民党支持になった次第です。
私は、平成7年(1995年)4月の船橋市議選で当選し市議にさせて頂いたのですが、その半年ほど前、当時野党だった自民党の河野代表と森喜朗幹事長が船橋駅南口で街頭演説をすると聞き、駆け付けました。河野代表の演説は素晴らしく、その後、自民党県連にお願いして録音テープを分けてもらい、何度も何度も聞いて演説の練習をしたほどです。なお、河野代表とはお話しできませんでしたが、森幹事長には高校・大学の後輩で翌年4月の船橋市議選に立候補の予定ですと御挨拶し、「頑張れよ」と激励されました。
自民党に復党後、宮沢首相が退陣し自民党総裁に選ばれ、政治改革や自社さ連立政権誕生に努力されました。大変悔やまれるのは、村山富市首相が政権を譲ると言った時、何故受けなかったのか。橋本龍太郎と争ってでも立候補しようとしなかったのかということです。新自由クラブからの出戻りというトラウマがあったからという人もいますが、出戻りだからこそ、やる時はやるべきだったという声もありました。本人でなければ本当のところは分かりませんが、保守本流でもとりわけ宏池会系は、旧田中角栄系の平成研究会と異なり権力志向が弱くて大人しい人が多いと言われます。橋本氏も保守本流ですが、河野氏はもっと保守リベラルであり、その後の自民党、そして日本が変わっていたのではないかと思うからです。後の加藤の乱の加藤紘一氏と合わせて、河野、加藤両氏の失策が自民党からリベラルを消してしまったという声があるほどで、大変残念でした。
しかし、議員をお辞めになった後も、自民党や国政について、護憲リベラルの立場から積極的に発言をされていました。2017年6月、安倍首相が憲法改正で自衛隊の根拠を9条に明記する案を提起したことについて、「9条は触るべきではない。国民も納得しているからこのままでいい。自衛隊の存在がある以上、(憲法に)書くべきだという人もいるが、それは間違っている」と反対する考えを表明しました。
また、「憲法は現実に合わせて変えるのではなく、現実を憲法に合わせる努力をするのが先だ。憲法には国家の理想が込められていなければならない」と強調。その上で、「護憲党と改憲党が合併してできた自民党が改憲を主張する政党だなんていうのは、スタートから認識が間違っている」と語り、安倍政権下での性急な改憲発議にも反対姿勢を示したとのことです。
なお、河野氏には、1993年8月に宮沢内閣の官房長官として出した従軍慰安婦についてのいわゆる河野談話があります。談話では、「慰安所における生活は、強制的な状況の下で痛ましいものだった」「募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」と指摘しました。これに対して、非難する声が一部にありますが、2015年4月、安倍首相はオバマ大統領との共同記者会見で「河野談話は継承し、見直す考えはありません」と明言しています。
保守本流護憲派のご意見番が年々少なくなってきています。ご健康に留意され、少しでも長く保守リベラルの復活にお力添えを頂ければと思っていましたが、この度の御訃報にあらためて御冥福をお祈りいたします。
