こんばんは、毬子(マリコ)です。
毎回、ブログのスパンが空いてますが、私は元気に過ごしてます。
今日は家族を亡くした気持ちを綴ろうと思います。
今週末で父親の49日が経とうとしてます。
私は父親の最期に間に合いませんでした。
深夜に1人そっと逝ってしまいました。
涙は出ませんでした。
前回のブログの出来事で、最初で最後の涙になりました。
こんなどうしようもない娘の私を最期まで育ててくれたのは、父親としての誇りがあったからだと思いました。
父も色々あった人生。
最期まで人として父親として、私にはどう映ってたでしょうか。
情けない人?
強い人?
優しい人?
感情的な人?
全部かもしれません。
とはいえ、家族や友人など大切な人を亡くすというのは、もちろん悲しみです。
でも、私が日常で感じる悲しみとは根本的に違った。
地球上の隅から隅まで探しても姿は見つからない。
果てしない空まで探しに行っても見つからない。
どこを探してもいない。
それが人を亡くす悲しみだと思います。
父が亡くなってから、私は窓際のテーブルからカーテン越しだけど、空を眺めてます。
温かい飲み物を飲みながら。
その度に悲しみと優しい感情に包まれます。
だから、父はそれでも幸せな人生だったと私は感じた。
父が生きてきた事実を胸に刻むことで父の存在意義を掘り起こせられるんだと思います。
お父さん、最期まで私を育て下さりありがとうございました。次のバトンをもらったので母として息子をしっかり育てあげます。どうか安らかに。