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神道 平和教のブログ

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近江の国〔今の滋賀県〕の近江八幡市街の北に位置する八幡山の頂上にかつてあった八幡山城。

現在は石垣を残すのみですが、山麓にある日牟礼八幡宮の隣からロープウエイで5分ほどで山頂の城跡に行くことができます。

日牟礼八幡宮

 

とロープウエイ

 

本丸のあった場所には、かつての城主であり、天下人となった豊臣秀吉公の甥であり、関白にまで抜擢されるも、28歳で非業の死をとげた、豊臣秀次公を弔う菩提寺が京都より移設されています。

秀次は秀吉の姉の子であり、本妻に後継者のなかった秀吉が甥の秀次を自分の跡取りとして関白を譲ったため、八幡山城はその居城として築城されました

しかしその後、側室に実子が出来た秀吉は、実子に家督を継がせるため、秀次を謀反の疑いで切腹させたと言われています。

そのため、八幡山城も廃城となりましたが、現在は石垣や麓の屋敷跡などもボランティア団体により整備され、往時をしのぶことができます。

当時のまま残る石垣

 

また、山頂からは天気が良いと、琵琶湖や比叡山、伊吹山、旧城下町なども望むことができます。

晴れた日の眺望は素晴らしい

 

秀次の敗因としては、権力の座にしがみついたことがあげられています。

秀吉公に実子ができた時点で、関白職を退くことができていたら、秀吉に敵視されてしまうこともなかったのではないかとも言われています。

しかし、秀次を死に追いやったことにより、結局は秀吉も衰退の一歩を進むことになったとの見方もあります。

もともとが天下人になるほどの家柄の出ではなかった秀吉には、信頼できる親族や家臣はそれほど多くはありませんでした。

姉の子である甥の秀次一族を滅ぼしたことで、結局は自分自身の信頼できる親族をより減らしてしまい、自らの死後は家康にその権力は奪われてしまうことになります。

 

時代的背景も違いますので、善悪を問うことはできませんが、それでも、歴史から学ぶことも多くあると思います。

現在起こっている戦争はもちろん、わたしたちの身の回りにも、争いは溢れています。

親子きょうだい親族、知人友人上司や同僚。

争い合うことは、結局は自分自身の首をしめることにつながること、それよりも、協力し合い、補完し合える道を選択するほうが、最終的には自分のためになることを、歴史は教えてくれているのではないでしょうか。

過去に平和のために戦ってきた人たちのおかげで、今の平和があることに感謝しつつ、

寶生山平和大御神様の御神命である、世界平和共生進むためには、まずは私たち自身が、自分自身をそして自分の身の回りから平和にしていく事。これが、遠いようで一番の地k道なのかもしれません。

 

 

八幡山城を取り囲む八幡堀は、かつて、琵琶湖とつながり、商業用のものを運ぶ船も行き来していたそうです。

お堀巡りは、その堀を手漕ぎの和船に乗って巡り、情緒あふれる四季折々の景色を楽しむことができます。

歴史に思いを馳せながらゆったりとお堀巡りはいかがでしょうか。

手漕ぎ船によるお堀巡り