大震災からまもなく11年が経とうとしております。

 

蛸の浜上の大橋から鍬ケ崎を。

 

 

 

 

復興も終わりました。

 

 

新しい町作りは、結局は戻って来た被災者は少なかったです。

 

大震災から若者は被災地から出て行き、お年寄りは残り・・・・・

 

家もこれで決まりかと思います。

 

お年寄りはさらに歳を取り後期高齢者が大多数を占めています。

 

鍬ヶ崎にはお店がないです。近くのスーパーは高台の佐原か町中の玉木屋スーパーです。

 

車があればいいですが、免許も車もないお年寄りが多いので大変のようです。

 

人が歩いているのもほとんど見られない被災地の鍬ヶ崎です。

 

空気がなんかこう死んでいますぐすん

 

上からと下からではまた光景も違うので下りて行きました。

 

 

 

山根町・港町付近

 

 

2011年3月12日の朝

七分団から小学校方面

 

 

 

港町~下町4丁目方面を見る

 

 

 

 

2011年3月12日朝

 

 

 

 

前須賀バス停の十字路付近

 

 

 

山根町の鉄砲沢方面を見て

 

 

 

 

2011年3月12日朝

 

 

 

仲町方面

 

 

 

3月12日の朝、山根町の鉄砲沢の上から鍬ケ崎を。

余震があって津波が来るぞーと 誰かが叫んだので

急いで高台の鉄砲沢に上がりました。

 

 

 

 

 

 

 

今日の熊野神社から鍬ケ崎下町方面~海方面を見て。

 

復興してこうなっています。

 

 

 

2011年4月~5月頃

 

 

 

 

2011年4月~5月頃道路は確保され瓦礫が撤去されてきていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

小学校のフェンスから熊野町方面を

 

 

 

2011年4月~5月頃

 

 

 

 

 

 

 

 

2011年4月~5月頃

 

 

 

上町~仲町からタコの浜方面をみて

 

 

 

 

 

 

2011年5月6月には瓦礫撤去作業が進んできてました。

 

 

 

 

 

 

ロシアがウクライナに侵攻攻撃しています。

 

ウクライナの方々が心配でおります。

 

普段、当たり前だったことがいきなり変わります。

 

昨日まで普通にあった家や建物が爆撃で町が破壊され死者もでて生活も一変・・・・・

 

家もなにもかにも無くなるのはショックです。

 

避難民の方々の心の痛み・・・・・

 

ロシアの侵攻はどうにかならないものでしょうか・・・

 

 

大震災後ブログアップしていました。

3月11日から携帯でモブログ情報発信。

下記から当時の状況がどのようなのかご覧ください。

 

大震災2011年の宮古(2011年上半期)

 

大震災2011年の宮古(下半期)

 

 

 

明後日で東日本大震災から11年です。

 

大震災後から支援・救援をなさってくれた方々、ボランティアの方々

そして被災地に入り救助作業や瓦礫撤去作業をして頂いた方々、

 

心から感謝をいたします。

 

あの時は、とても助かりました。今まで色々あって大変でしたが頑張ってくることができました。

 

再建復興し生活も落ち着いてきました。

 

今後も頑張って生きていきます。

 

ありがとうございました。