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【 あとがき 】
今日は海の日です。
海が深層テーマであるこの作品のあとがきを、今日に持って来るために、この短い物語を、随分と引き延ばしてきました。
いえ、私の中にどこか、まだ終わらせたくない、二作目の断片にピリオドを打ちたくない理由や想いが、もしかするとあったのかもしれません。
鋭い読者様なら、お気付きかと思います。
登場人物の「洸太」にはモデルが実在しています。
彼と喧嘩したり、気持ちを整理したり、別れた時に、一人で頻繁に走りに来ていた海の写真たち。それらが終始、この物語に連弾のように並走し、伴奏の役割も担ってくれていました。
安心して頂きたいのは、実在の彼と私の間には何も無く、いえ確かに、何も、かどうかは、自身でもわかりかねますが、少なくとも粘膜を絡めたことは一度も無く、そうですね。
もし有るとすれば、それはおそらく、彼の医師としての実験の延長か、私の単なる、片想いの妄想でしょう。
「小説とは、ある実態の、単なる提供である」
処女作『ライチ熱』に続き、本作が、安部公房文学を意識していたとしたら、これがその全てです。
勿論、“実態”イコール“ノンフィクション”という意味ではありません。
社会的メッセージや作者の主題、伏線や表現技巧…、小説作品とは、それらを必ず内包している必要性はなく、と或る事実事象をただつらつらと書き置いたものの提供に過ぎない。
詩や随筆とは違い、或る実態の提示としての小説は、それを読んだ第三者の手により、自在に何通りもの意味を派生させ、作者ではなく読者のもとで、大意や主旨さえ、生まれ得る。
『ルービックマウンティング』のクライマックス、White Lace Flower。
この部分が実は一番、本作の見所でした。
年の差恋愛がどうとか、
中学受験の現実がどうかなど、
当拙作にとっては寧ろその方が
脚色されたある意味余計な奥行き世界だったのです。
たった一度のセックスを、
一度きりなら一度きりで、
その前後只中から、詳細に描写しました。
主人公はその瞬間に、刹那の「愛」を見たのですから。
欲的な、瞬間的なものの中に、未来を、永遠を見る事は出来ないだろうか。
刹那的な、欲望の中にも、恒常的な、愛のような、律儀なもののカケラは、なかっただろうか。
「セックスには人間関係を破壊して原始に引戻す力がある」
以前エッセイで引用したこの部分を、散文以上に長さ・クドさが許される“小説”という手法で、ディテール描写・証明したかった。
年齢や社会的立場、理性に収まるべき関係性を越えて、グッと相手の軀に、心に、近づく手段。
私の書く近頃の小説は、
「性を正当化する」というThemaになりつつあります。
下品で俗的な側面ではなく、性の、純粋な奇跡のような側面を、探す旅。
まぁ単に、それが好きなだけですけど(笑)。
…気持ちいいことが好きです。
それは、意外にも、「書くこと」に似てるんです。
訊かれたことだけ話せ、とか
話が長い、とか
叱られてしまいそうなので、
短く。 なるべく、短く。
あとがきは、ここまでにします。
涙が止まらなくなるからでは、ありません。
…決して。
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君のいない海辺を歩く。
湿り気を帯びた潮風の薫りさえ
消毒液の匂いには敵わなかった
砂浜の渇いた風が 今はただただ吹いています。
2024.7.15
〜 Special thanks to my readers. 〜