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「はーい。」
パステルカラーのうす紫ネイルの乾きを気にしながら、そっと抜き足でソファーから立ち上がって玄関モニターを見ると、洸太先生だった。
「あれっ…今日…」
続けて話そうとしたら、黒いBluetoothイヤホンを両耳に付けたままのコタが、よく聞こえないという風に片耳を近づけている様子だったので、一旦外に出て話すことにした。
ガチャ…
「せんせーい、今日は、」
そう言いかけたけれど、斜め向かいの噂好きのおばさまがちょうど2階のベランダで洗濯物を取り込んでいる最中だったので、反射的に口を遮断して、一旦玄関の中に入ってもらう為に、「あ、ちょっとこっち、」と小さく手招きして洸太先生を誘導した。
なんせ中学受験は厳しい世界。“全落ち”した時の為に、「めんどくさい」人達にはひた隠しにして、それとなく予防線を張っていたから。
パタン。
暗くて狭い玄関で、背の高いコタを見上げるようにすぐ説明した。
「今日は、帳、林間学校で泊まりでいない日なんです。…また間違えちゃいました?」
もう私はあの頃のように、説教モードでもなければ、怒ったりもしない。
「あ。そー、なんすか。ほんと申し訳ないです!すみません、じゃ、大学戻ります。」
「は?また?今から?」
私は洸太と話しながら、見栄のようなものが、そう多分、また私の見栄が邪魔をして、今思えば、魔が差してしまった。
綺麗になった部屋を、たぶん誰かに見て欲しかった。
いつも先生に散らかった部屋ばかり見せつけているから、こんな風に私だって、時間さえあれば、綺麗に、出来るんだよって。
見栄。
そう。
中学受験もそうだった。
シングルの家庭は絶対無理だと決めつけているようなあの発言。
私は必死に働いて、
二つの仕事に頭を下げて、
愛する帳に
この道の選択肢を作った。
「大変だね」
「いつもカテキョの時間、ほんとはゼミがあってて、それ抜けて、また帳終わったら戻ったりしてるんすよ。夜11時近くまでやってます」
「うわ…。そか。」
「あ、ねぇ、折角来たんだし、ちょっとお茶でもする間、タブレット充電してったら?どーせまた1とか3、良くて5パーくらいなんでしょ?」
「あ… はい。あっ、でも今日は多分20はあると思いますけど…」
コタは嬉しそうにはにかんで言いながら、脇に挟んでいたタブレットをパカっと開けると、私たちはその右上を覗きこんだ。
「……13%(パー)じゃん。」
アハハと笑って私たちは靴を脱いだ。
洸太はちゃんと振り返って白いスニーカーをいつものようにお邪魔します、と揃えて“お母様とのお話”の時にしか入らないリビングに入った。
「匂うでしょ。ちょっとクッキー焼いたんだけどね、これは自分仕様に作ったから、食べさせられないわ。小動物は流石に入ってないと思うけど」
「いやー、ぜんぜんぜんぜん。水あるし、お気遣いなく」
「ごめん、熱いのダメだったよね?じゃあ冷たいレモンティーしかないや」
私はグラスに慌ててそれを注ぎながら、
チラッとコタを見ると、“綺麗になった部屋”には全く興味がないようで、Gジャンをタブレットを持つ手で器用に腕まくりしながらキョロキョロしていた。
「あ、ごめ!もしかして、タイプC?」
「それならコード、2階しかないや」
「持ってくるね」
「あ、いいすよ、自分行きますよ」
そう言って私たちは2階に上がった。
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